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「君は正しすぎる」と婚約破棄された私は、もう自分を責めない  作者: 黒猫と珈琲


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14/21

第14話 過去と仲直り

 共同事業の成功を祝う夜会が開かれた。


 ルビー・ロッサを中心とした共同事業は予想以上の成果を上げ、今では王都でも広く知られるようになっている。新たな販路の話まで持ち上がり、その成功を祝うため、王都でも名高い侯爵家の大広間には、多くの貴族や商人たちが集まっていた。


 煌びやかなシャンデリアが輝き、楽しげな談笑が会場を満たしている。


 リディアはその光景を見渡しながら、小さく息を吐いた。


 最初は不安だった。


 共同事業など経験がなかった。


 失敗したらどうしようと、そればかり考えていた。


 けれど今は違う。


 自分の仕事に誇りを持てていた。


「リディア様」


 聞き慣れた声がした。


 振り返ると、カイルが立っている。黒の礼装姿は普段よりも一層洗練されて見えた。


「こんばんは」


「カイル様、こんばんは」


 自然と笑みが浮かぶ。


 その笑顔を見て、カイルも優しく目を細めた。


「とても楽しそうですね」


「そう見えますか?」


「ええ」


 迷いなく頷く。


「初めてお会いした頃は、こんなふうに笑ってくださるとは思いませんでした」


「失礼ですね」


 思わず笑う。


 二人で顔を見合わせる。こうして肩の力を抜いて話せるようになったことが、不思議なくらい嬉しかった。


 数か月前の自分なら、想像もできなかっただろう。


 その穏やかな時間を破るように、一人の声が響いた。


「リディア」


 身体がわずかに強張る。


 振り返ると、一人の男性が立っていた。


 ロイ・ベルモント。


 元婚約者だった。


 数か月ぶりの再会だった。整った容姿も、真面目そうな雰囲気も変わらない。ただ、以前より少しだけ疲れて見えた。


 カイルもロイへ視線を向ける。二人の間に流れた空気だけで、その男性が誰なのか察したのだろう。


「リディア様。では、またあとで」


 穏やかに一礼する。


「はい。またあとで」


 リディアは微笑んで頷いた。


 その笑顔を見届けてから、カイルは静かにその場を離れる。商人たちに声を掛けられ、会話へ加わる。


 けれど。


 無意識に、視線だけはテラスの方へ向いてしまう。


 二人が並んで立っていた。


 大丈夫。


 彼女ならきっと。


 そう思うのに、胸の奥が少しだけ落ち着かなかった。



「お久しぶりです」


「久しぶりだな」


 ロイは静かに頷く。


「先ほどご一緒にいた方が、ヴァレンティア商会の会頭かな?」


「ええ、そうです」


 昔なら胸が苦しくなっていたかもしれない。


 けれど今は、不思議なくらい穏やかだった。


「共同事業の成功、おめでとう」


「ありがとうございます」


「実に見事だった」


 その言葉に嘘はなかった。


 リディアは微笑む。


「ヴァレンティア商会をはじめ、皆さんと一緒に作り上げた結果です」


 自然にそう言えた。


 以前なら、自分一人が頑張らなければならないと思っていた。失敗してはいけないと、自分を追い込んでいた。


 ロイはそんな彼女を静かに見つめる。


 柔らかく笑っている。


 肩の力も抜けている。


 昔のリディアとは、まるで違っていた。


「少し、お話できますか」


「もちろんです」


 二人はテラスへ出た。


 夜風が心地よく頬を撫でる。会場の賑わいが遠く聞こえていた。


 しばらく沈黙が続く。


 先に口を開いたのはロイだった。


「なんだか楽しそうだな」


 ぽつりと言う。


 リディアは少し驚き、それから微笑んだ。


「そうでしょうか」


「ああ」


 ロイも小さく笑う。


「昔より、ずっとリラックスしているように見える」


 リディアは夜空を見上げた。


 正しい婚約者でいようとしていた頃。


 期待に応えようとしていた頃。


 失敗を恐れていた頃。


 あの頃の自分が、遠い昔のことのように思えた。


「私も知りませんでした」


 静かに言う。


「こんなふうに笑えるとは思っていませんでした」


 ロイは目を伏せた。


 夜風だけが二人の間を通り抜ける。


「……私は、勘違いしていたのかもしれない」


「え?」


「君のことを理解したつもりになっていた」


 苦く笑う。


「今なら分かる」


 そして、静かに続けた。


「後悔している」


 リディアは何も言わなかった。


「君を理解したつもりになっていたことを」


 ロイは夜空へ視線を向ける。


「私は君を見ているつもりだった」


 一度、言葉を切る。


「でも、本当に見ていたのは『理想の婚約者』だった」


 静かな声だった。


「君が何を好きで、何を望んでいるのか。私は一度も聞こうとしなかった」


 責める気持ちは、不思議となかった。


 怒りもない。


 ただ少しだけ切なかった。


 あの頃の二人は、お互いに余裕がなかったのだ。


「私も後悔していました」


 リディアは穏やかに口を開く。


 ロイが顔を上げた。


「もっと頑張れば良かったのではないか。もっとできたのではないかと、ずっと考えていました」


 少し前までの自分なら、それが答えだった。


 けれど今は違う。


「あの頃の私は」


 一呼吸置く。


「私なりに精一杯だったのだと思います」


 自然と言葉がこぼれた。


 以前なら言えなかった一言だった。


 ロイはしばらく黙っていた。


 やがて、ゆっくり頷く。


「そうだな」


 その表情は少し寂しく、それでもどこか安堵しているようにも見えた。


「君は変わった」


「そうでしょうか」


「いや」


 ロイは首を横に振る。


「違うな」


 そして穏やかに笑った。


「今の方が君らしい」


 一瞬、言葉を失う。


 それからリディアは静かに微笑んだ。


「ありがとうございます」


 もう過去へ戻りたいとは思わない。


 あの時間があったからこそ、今の自分がいる。


 そう思えた。



 リディアが会場へ戻ろうとした、その時だった。


 ロイの視線の先にカイルがいた。談笑していたカイルが、ふとこちらを見る。


 二人の視線が重なった。


 カイルは穏やかに微笑む。


 それだけだった。


 けれど、その笑顔を見たリディアは、ほっとしたように笑みを返す。


 何も言わなくても伝わる。


 そんな空気が、二人の間には流れていた。


 ロイは静かに目を伏せる。


 胸の奥が、少しだけ痛んだ。


 そうか。


 あの笑顔を、自分は知らなかった。


 肩の力が抜けた表情。


 何も飾らない笑顔。


 安心しきった眼差し。


 失ったのは今日ではない。


 婚約を解消した日でもない。


 もっと前から少しずつ、彼女の心は離れていたのだ。


「行っておいで」


 ロイは静かに言った。


 リディアは少し驚き、それから柔らかく微笑む。


「ありがとうございます」


 その背中を見送りながら、ロイは夜空を見上げた。


 後悔はある。


 きっと、この先も消えることはないだろう。


 けれど、それも自分が選んだ人生だ。


 だから願う。


 今度こそ、彼女が幸せでありますように。



 リディアが戻ってくると、カイルは安心したように微笑んだ。


「何か、お話があったようですね」


 リディアは少し考え、それから穏やかに笑う。


「過去と仲直りできた気がするのです」


 その一言で十分だった。


 詳しく聞く必要はない。


 彼女の表情を見れば分かる。


 本当に吹っ切れたのだと。


「それは良かったです」


 カイルが静かに言う。


 その笑顔を見て、リディアも微笑み返した。


 そんな二人を見ていた職員たちが声を掛ける。


「会頭、そろそろ乾杯が始まります」


「今行きます」


 歩き出したリディアの隣へ、カイルも自然に並ぶ。


 歩幅が合う。


 それが、今では当たり前になっていた。


 胸の奥が静かに満たされる。


 ……本当に困りましたね。


 カイルは小さく苦笑した。


 彼女が笑うと嬉しい。


 落ち込んでいると気になる。


 何か面白いものを見つけると、一番に見せたくなる。


 もう理由は分かっている。


 けれど、この想いを伝えるには、もう少しだけ時間が欲しかった。


 彼女はようやく、自分らしく笑えるようになったばかりだから。


 その笑顔を、もう少し隣で見ていたい。


 夜会の灯りが二人を優しく照らしていた。


 過去は静かに幕を閉じる。


 そして未来は、ゆっくりと動き始めていた。


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