表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「君は正しすぎる」と婚約破棄された私は、もう自分を責めない  作者: 黒猫と珈琲


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
13/21

第13話 同じ景色

 雨の日から数日が過ぎた。


 共同事業は変わらず忙しく、ヴァレンティア商会には朝から人の出入りが絶えない。ルビー・ロッサの加工品は王都でも評判となり、新しい取引の話も次々と舞い込んでいた。


 リディアも毎日のように商会へ通い、書類に目を通し、取引先との調整に追われている。


 そんな慌ただしい日々の中でも、一つだけ変わらない時間があった。


「今日も書店へ寄りますか?」


 打ち合わせを終えた帰り道、リディアが尋ねる。


 カイルは少し笑った。


「もちろんです」


「予定変更ではないのですね」


「今日は最初から予定に入っています」


「珍しいですね」


 二人で顔を見合わせ、小さく笑う。


 その何気ないやり取りさえ、カイルには以前とは違って感じられた。


 雨の日以来、この気持ちはもう見ないふりができなくなっていた。



 書店街は今日も賑わっていた。


 新刊を並べる店主。本を選ぶ親子。旅装束の青年が地図を広げながら旅行記を探している。


 以前と何も変わらない景色。


 けれど、不思議だった。


 同じ通りなのに、以前より明るく見える。


 カイルは隣を歩くリディアへ視線を向けた。


 彼女は真剣な顔で本棚を眺めている。


「何か気になる本はありましたか?」


「はい」


 そう言って一冊の旅行記を手に取る。


「前に話した港町です」


 表紙には、白い街並みと青い海が描かれていた。


「新しく出た版ですね」


「ご存じなのですか?」


「ええ。一度読んだことがあります」


 リディアは嬉しそうにページをめくる。


 その横顔を見ながら、カイルは思う。


 以前なら、本を楽しそうに読む人だと思っていただけだった。


 今は違う。


 そんな何気ない表情まで愛おしく感じてしまう。


 自分でも困るくらいに。


「カイル様?」


 呼ばれて我に返る。


「どうかしましたか?」


「いえ」


 危なかった。


 見つめすぎていたらしい。


「何でもありません」


 そう答えると、リディアは少しだけ首を傾げたものの、それ以上は何も聞かなかった。


 書店を出ると、夕暮れが近づいていた。


 二人は王都の中央広場を通って商会へ戻る。


 噴水の周りでは子どもたちが笑いながら走り回り、ベンチでは老夫婦が穏やかに話をしている。


 平和な夕暮れだった。


「前にも、この道を歩きましたね」


 リディアが呟く。


「ええ」


「同じ景色なのに」


 空を見上げながら笑う。


「前とは少し違って見えます」


 その言葉に、カイルの胸が静かに揺れた。


「どう違いますか?」


 リディアは少し考えてから答える。


「前は、景色を見ていただけでした」


 噴水を見つめる。


 子どもたちの笑い声に耳を澄ませる。


「今は、その場所にいる人たちまで目に入るんです」


 花を売る少女。


 楽しそうに話す夫婦。


 買い物帰りの親子。


「皆さん、それぞれの毎日を過ごしているのだと思うと、不思議と世界が広く感じます」


 その横顔は穏やかだった。


 カイルは静かに微笑む。


「それはきっと」


 一度言葉を切る。


「リディア様の世界が広がったからでしょう」


 リディアは目を丸くした。


「私の世界、ですか?」


「ええ」


 初めて会った頃の彼女は、自分のことばかり責めていた。正しくあることだけを見つめていた。


 けれど今は違う。


 周りの人の笑顔を見て。


 景色を楽しんで。


 本を読み。


 未来の話をするようになった。


「同じ景色でも、見る人が変わると違って見えるものです」


 リディアはその言葉をゆっくり噛みしめるように頷いた。


「そうかもしれません」


 そして、少し照れたように笑う。


「以前の私なら、この景色を見ても何も思わなかった気がします」


 その笑顔を見て、カイルも自然と笑みを浮かべる。


 ――本当に変わった。


 景色ではない。


 変わったのは彼女だ。


 そして。


 彼女を見つめる自分も。



 商会が見えてきた頃だった。


「カイル様」


「はい」


「ありがとうございます」


 突然の言葉に、カイルは立ち止まる。


「何がですか?」


「分かりません」


 リディアは困ったように笑う。


「でも、お礼を言いたくなりました」


 その笑顔は夕陽に照らされ、柔らかく輝いていた。


 カイルは思わず目を細める。


「どういたしまして」


 そう返すのが精一杯だった。


 本当は、ありがとうと言いたいのは自分の方だった。


 彼女が笑うようになったこと。


 自分の気持ちを口にできるようになったこと。


 隣を歩いてくれること。


 その一つひとつが、何より嬉しかった。


 本当は伝えたいことがある。


 けれど、今ではない。


 彼女はようやく、自分らしく笑えるようになったばかりなのだから。


 その笑顔を守りたい。


 急がず、焦らず。


 今はただ、彼女の隣で同じ景色を見ていたい。


 夕焼けに染まる王都を歩きながら、二人は自然と歩幅を合わせていた。


 誰が合わせたわけでもない。


 気付けば、二人の歩幅はぴたりと重なっていた。


面白いと思っていただけましたら、ブックマークや評価(★)をいただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ