第12話 雨の日は予定変更
朝から空はどんよりと曇っていた。
灰色の雲が王都を覆い、今にも雨が降り出しそうな空模様だった。それでも共同事業の視察は予定通り行われる。ルビー・ロッサを扱う店を回り、新商品の反応を確認する予定だった。
「今日は降りそうですね」
商会を出ながらリディアが空を見上げる。
カイルも同じように空を見た。
「そうですね」
「でしたら急ぎましょうか」
すると、カイルは首を横に振った。
「急いでも、雨は待ってくれませんから」
思わず笑ってしまう。
「それもそうですね」
二人は市場へ向かった。
店主たちから話を聞き、新しい焼き菓子の評判や果実茶の売れ行きを確認する。どの店でもルビー・ロッサは好評だった。
「今年は贈り物にも人気ですよ」
「冬は果実茶を楽しみにしているお客様も多いんです」
嬉しそうに話す店主たちの笑顔を見ていると、自然と胸が温かくなる。
「良かったですね」
リディアが言うと、カイルも嬉しそうに頷いた。
「皆さんのおかげです」
その時だった。
ぽつり、と頬に冷たいものが落ちる。
「あ……」
空を見上げた瞬間、雨粒が一つ、また一つと増えていく。
「降ってきましたね」
言い終わる前に、雨脚は一気に強くなった。
市場の人々が慌ただしく屋根の下へ駆け込んでいく。
「こちらへ」
カイルが近くの喫茶店を指差した。
二人は小走りで店へ飛び込む。
窓際の席へ案内される頃には、外はすっかり土砂降りになっていた。
◇
窓を叩く雨音を聞きながら、温かな紅茶が運ばれてくる。
店内は落ち着いた雰囲気で、雨宿りをする客が何組かいるだけだった。
「予定変更ですね」
リディアが笑う。
「ええ」
カイルも笑う。
「今日は私のせいではありません」
「確かに」
二人で顔を見合わせて笑った。
そんな穏やかな空気の中、リディアは窓の外を見つめる。
「雨は、お好きですか?」
何気なく尋ねると、カイルは少し考えてから頷いた。
「好きですよ」
「意外です」
「そうですか?」
「予定が崩れますから」
するとカイルは声を立てて笑った。
「確かに崩れますね」
そして紅茶を一口飲み、窓の外へ視線を向ける。
「でも、そのおかげで見られる景色もあります」
「景色?」
「雨の日しか入れない店もありますし、今日みたいにゆっくりお茶を飲む時間もできます」
静かに雨を眺めながら続ける。
「予定通りだったら、この時間は味わえません」
リディアも窓の外へ目を向けた。
以前の自分なら、予定が狂ったことばかり気にしていただろう。
でも今は違う。
「そうですね」
静かに頷く。
「少し得をした気分です」
その言葉に、カイルは嬉しそうに笑った。
しばらくすると、雨脚は少し落ち着いてきた。
窓の外では、濡れた石畳が静かに光っている。
「昔は」
リディアがぽつりと口を開いた。
「雨は嫌いでした」
カイルは黙って耳を傾ける。
「予定が変わることが苦手だったんです」
婚約中は特にそうだった。
予定を守ること。
失敗しないこと。
迷惑を掛けないこと。
そればかり考えていた。
「だから雨が降ると、不安になっていました」
カイルは静かに微笑む。
「今は違いますか?」
リディアは少し考えた。
そして窓の外を見ながら、小さく笑う。
「はい」
「今は、雨も悪くないと思えます」
その笑顔は、とても柔らかかった。
◇
店を出る頃には雨は止んでいた。
雲の切れ間から、淡い光が差し込む。
「あ……」
リディアが足を止める。
空に一本の虹が架かっていた。
雨上がりの王都を、大きな虹が静かに包んでいる。
「綺麗……」
思わず見上げる。
子どものように目を輝かせるリディアを見て、カイルは言葉を失った。
嬉しそうに空を見上げる横顔。
自然にこぼれる笑顔。
その姿から目が離せない。
胸の奥が、ゆっくりと熱くなる。
最初は放っておけないだけだった。
真面目で。
頑張りすぎて。
自分を責めてばかりいる人。
そう思っていた。
けれど、違う。
彼女が笑うと嬉しい。
落ち込んでいると気になる。
面白いものを見つけると、最初に見せたくなる。
綺麗な景色を見ると、一緒に見られたらと思ってしまう。
その答えは、もう一つしかなかった。
「……困りましたね」
小さく呟く。
「何かおっしゃいましたか?」
虹を見たまま、リディアが振り返る。
カイルは穏やかに首を横に振った。
「いいえ」
言えなかった。
まだ、この気持ちは。
けれど胸の中では、もうはっきりと分かっていた。
好きなんだ。
雨が降らなければ、この景色は見られなかった。
予定が変わらなければ、この時間も生まれなかった。
そして――。
婚約が解消されなければ、彼女と出会うこともなかった。
虹を見上げるリディアは、幸せそうに微笑んでいる。
その笑顔を見つめながら、カイルも静かに笑った。
雨の日は、悪くない。
そう思ったのは、きっと今日が初めてではなかった。




