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「君は正しすぎる」と婚約破棄された私は、もう自分を責めない  作者: 黒猫と珈琲


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12/21

第12話 雨の日は予定変更

 朝から空はどんよりと曇っていた。


 灰色の雲が王都を覆い、今にも雨が降り出しそうな空模様だった。それでも共同事業の視察は予定通り行われる。ルビー・ロッサを扱う店を回り、新商品の反応を確認する予定だった。


「今日は降りそうですね」


 商会を出ながらリディアが空を見上げる。


 カイルも同じように空を見た。


「そうですね」


「でしたら急ぎましょうか」


 すると、カイルは首を横に振った。


「急いでも、雨は待ってくれませんから」


 思わず笑ってしまう。


「それもそうですね」


 二人は市場へ向かった。


 店主たちから話を聞き、新しい焼き菓子の評判や果実茶の売れ行きを確認する。どの店でもルビー・ロッサは好評だった。


「今年は贈り物にも人気ですよ」


「冬は果実茶を楽しみにしているお客様も多いんです」


 嬉しそうに話す店主たちの笑顔を見ていると、自然と胸が温かくなる。


「良かったですね」


 リディアが言うと、カイルも嬉しそうに頷いた。


「皆さんのおかげです」


 その時だった。


 ぽつり、と頬に冷たいものが落ちる。


「あ……」


 空を見上げた瞬間、雨粒が一つ、また一つと増えていく。


「降ってきましたね」


 言い終わる前に、雨脚は一気に強くなった。


 市場の人々が慌ただしく屋根の下へ駆け込んでいく。


「こちらへ」


 カイルが近くの喫茶店を指差した。


 二人は小走りで店へ飛び込む。


 窓際の席へ案内される頃には、外はすっかり土砂降りになっていた。



 窓を叩く雨音を聞きながら、温かな紅茶が運ばれてくる。


 店内は落ち着いた雰囲気で、雨宿りをする客が何組かいるだけだった。


「予定変更ですね」


 リディアが笑う。


「ええ」


 カイルも笑う。


「今日は私のせいではありません」


「確かに」


 二人で顔を見合わせて笑った。


 そんな穏やかな空気の中、リディアは窓の外を見つめる。


「雨は、お好きですか?」


 何気なく尋ねると、カイルは少し考えてから頷いた。


「好きですよ」


「意外です」


「そうですか?」


「予定が崩れますから」


 するとカイルは声を立てて笑った。


「確かに崩れますね」


 そして紅茶を一口飲み、窓の外へ視線を向ける。


「でも、そのおかげで見られる景色もあります」


「景色?」


「雨の日しか入れない店もありますし、今日みたいにゆっくりお茶を飲む時間もできます」


 静かに雨を眺めながら続ける。


「予定通りだったら、この時間は味わえません」


 リディアも窓の外へ目を向けた。


 以前の自分なら、予定が狂ったことばかり気にしていただろう。


 でも今は違う。


「そうですね」


 静かに頷く。


「少し得をした気分です」


 その言葉に、カイルは嬉しそうに笑った。


 しばらくすると、雨脚は少し落ち着いてきた。


 窓の外では、濡れた石畳が静かに光っている。


「昔は」


 リディアがぽつりと口を開いた。


「雨は嫌いでした」


 カイルは黙って耳を傾ける。


「予定が変わることが苦手だったんです」


 婚約中は特にそうだった。


 予定を守ること。


 失敗しないこと。


 迷惑を掛けないこと。


 そればかり考えていた。


「だから雨が降ると、不安になっていました」


 カイルは静かに微笑む。


「今は違いますか?」


 リディアは少し考えた。


 そして窓の外を見ながら、小さく笑う。


「はい」


「今は、雨も悪くないと思えます」


 その笑顔は、とても柔らかかった。



 店を出る頃には雨は止んでいた。


 雲の切れ間から、淡い光が差し込む。


「あ……」


 リディアが足を止める。


 空に一本の虹が架かっていた。


 雨上がりの王都を、大きな虹が静かに包んでいる。


「綺麗……」


 思わず見上げる。


 子どものように目を輝かせるリディアを見て、カイルは言葉を失った。


 嬉しそうに空を見上げる横顔。


 自然にこぼれる笑顔。


 その姿から目が離せない。


 胸の奥が、ゆっくりと熱くなる。


 最初は放っておけないだけだった。


 真面目で。


 頑張りすぎて。


 自分を責めてばかりいる人。


 そう思っていた。


 けれど、違う。


 彼女が笑うと嬉しい。


 落ち込んでいると気になる。


 面白いものを見つけると、最初に見せたくなる。


 綺麗な景色を見ると、一緒に見られたらと思ってしまう。


 その答えは、もう一つしかなかった。


「……困りましたね」


 小さく呟く。


「何かおっしゃいましたか?」


 虹を見たまま、リディアが振り返る。


 カイルは穏やかに首を横に振った。


「いいえ」


 言えなかった。


 まだ、この気持ちは。


 けれど胸の中では、もうはっきりと分かっていた。


 好きなんだ。


 雨が降らなければ、この景色は見られなかった。


 予定が変わらなければ、この時間も生まれなかった。


 そして――。


 婚約が解消されなければ、彼女と出会うこともなかった。


 虹を見上げるリディアは、幸せそうに微笑んでいる。


 その笑顔を見つめながら、カイルも静かに笑った。


 雨の日は、悪くない。


 そう思ったのは、きっと今日が初めてではなかった。


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