102 名前
時が止まったように、シンと静まり返るパーティー会場。
誰もが絶句して私に注目しているのを感じる。
「な……何を、なさるの!? クリスティナお姉様!」
私に殴られて倒れたユリアン。何をされたのか、まだ理解が追いついていないみたい。
その姿をじっと見下ろす。
「あやしくないわ!」
「は!?」
私は胸を張って、堂々と宣言する。
「私、こうやって殴る時は勘に従って殴るの! たぶん、女神の思し召しってやつね!」
女神の名を出したことで、ぐっと押し黙る気配が周りからする。
私は気にせずに続けた。
「でも今回は、その勘であんたに何もあやしいところがなかった!」
そう言い切ったところ、周りからは疑問を覚えたようで首を傾げる姿が視界の端にちらほら。
「なん……では、なぜ殴りましたの!」
勘がまったくあやしさを告げていない。なら安全だと思っていい。
「私が公爵家のとご嫡男と親しくしているのが、そんなに気に食わなかったんですの!?」
ミリシャがそう高らかに宣言すると『え、そういうこと?』といった声も聞こえてくる。
私はそんなミリシャには目を向けずに、ユリアンの反応を見た。
今もそこにあやしい気配は感じない。邪神の一部である証拠は何もない。
他ならない、私の直感がそう告げている。
「……まいったな。こんなに熱烈な歓迎を受けるとは。だが、喜んでいいのかな? 君がミリシャ嬢に嫉妬して、こうしたというのなら。君は俺に気を向けてくれていると?」
「ユリアン様! 何をおっしゃるの!」
立ち上がりながら、そんなことを呟くユリアンにミリシャは怒って縋る。
ミリシャに対して、雑に扱うわけではないものの、どこか無視する態度であしらうユリアン。
その目は、まっすぐに私へ向けられている。
「クリスティナ嬢、私は」
「──フンッ!!」
「がっ!?」
立ち上がろうとする姿勢へ向けて、もう一発! ぶん殴ったわ!
「きゃあ!?」
二撃目も想定外だったようで、ガードはされなかったものの、流石に受け身を取られる。
「……何をするんだ。冗談では済まされないよ」
「冗談でこんなことをしないわ!」
私は胸を張りつつ、見下ろしながら口にする。
「今も私の勘は、貴方が危険ではないように感じているわ。だから、貴方にはなんの落ち度もないのでしょう」
「……なら」
「さっきまでは」
私の言葉にピクリと反応し、様子を窺うような視線を向けてくる。
私は殴って右手を閉じたり、広げたりして振る。
「痛いわ」
「……なに?」
「殴った右手が痛いの」
「……まさか、その責任を取れとでも?」
「いいえ」
目を細めて、ユリアンを見据える。
「私が【天与】を纏って殴る時、手は痛くないの。【天与】の光に護られているから。でも、貴方を殴った拳は痛い。──【天与】が効いていないみたいに」
そこまで告げると、周囲もなんらかの異変を感じ取ったみたい。
警戒心が跳ね上がったような感じがするわ。
目の前のユリアンもそう。さっきまでの余裕が少し薄れる。
「……へぇ?」
「私は勘に頼って物事を判断しているのは否定しないけど。今回は、その私自身の勘さえも疑うことにしたの。女神でさえ気づかない、気づけない何かが貴方にはあるみたい。もっとはっきりさせておくわね? ──浄化の黄金薔薇!」
会場の中央で浄化の黄金薔薇が咲き誇り、ユリアンの体を拘束する。
だけど、次の瞬間。
サァァアア、と。
「ひっ……!」
浄化薔薇の光が、あっという間に翳り、薔薇は枯れ落ちていく。
視覚的に明白に示された異変に、ほとんどの人が流石に理解させられる。
「ひどいな。この薔薇は君が操るものだろう? このような演出で私を貶めようというのかい?」
「言いたいことはそれだけ? 私が貴方の言葉に惑わされると思う?」
「……誰から見ても横暴で野蛮なのは君の方だと思うけど?」
「そうね! だから?」
「……だから、って。蛮族じゃあるまいし」
「私、蛮族でけっこうよ!」
あやしいと思えないし、【天与】を効かなくされるのは厄介だけど。
でも、ここでこいつを捕まえておけば、これから先の被害は減ると思うわ!
「……どう見ても君が先に手を出した。疑わしいのは君の方だ。衛兵に君を捕らえてもらうのが、最もいいかな。理性を以て対話ができない人間は、この場に相応しくないと誰もが、」
「言いたいことは終わった?」
私は【天与】の光を拳に纏う。
「私のことをなんとでも言えばいいわ。暴力女だと、蛮族だとか、赤毛の猿姫だとか。なんとでもね! でも、そんな私が本気で貴方を殴ろうとしているってことは伝わるわよね! 演出でも演技でもない。私が貴方を【天与】の光で殴りたい! この光が消えるとしたら、それは私の意思じゃあないってことよ! つまり殴ればわかるわ!」
黙って殴られて、それで光が消えなかったらシロ!
クロでも光が当たったなら邪神への攻撃になる!
「間違っていたら謝ってあげるわね!」
「…………」
三度、私はユリアンに向けて殴りかかった。
今度は流石に身構えていて、バシン! とその拳を受け止められる。
いつもの私だったら、その腕ごと弾けそうなものなのに。
「……!」
グッと掴み返されて、完全に受け止められてしまったことがわかる。
やっぱり【天与】が効いていない。
ただの私、身体強化が働いていない状態の私になってしまっている。
何より、私の拳を覆っていた光が消えていく。
私の拳を掴んだままのユリアンが冷たく見下ろしてきたかと思うと、ニッとほくそ笑む。
その瞬間に。
「離せ」
私の陰から飛び出してきたエルトが、私の腕を掴んでいる側に回り込んでガードができない角度でユリアンの体を蹴り抜く。そのまま私の腰を掴んで支えてくれた。
そのおかげで掴まれていた腕から抜け出せたわ!
「エルト!」
「大丈夫か、クリスティナ。腕が」
「ん!」
ユリアンに掴まれていた右拳に黒い痣のようなものが渦巻いている。
……確定ね! こいつ、敵だわ!
「クリスティナ様!」
「クリスティナ!」
ルーナ様たちが事態に気づいて私に駆け寄ってくる。
「な、何が……」
ミリシャは私たちのやり取りについていけていないみたいで、視線を泳がせている。
「これで証拠が出たみたいね、ユリアン・ルフィス・リュミエット。いいえ、教団の手先!」
エルトに蹴られても、少し体を後方に飛ばされたくらいで、まだ余裕って感じよ。
「……はぁ。ふっ……。くく、くくく! はははは!」
いきなり殴られて、蹴られて、おかしくなって笑った。そんなふうにも見えるけれど。
誰にもわかる異変は、そこで明らかになった。
「ああ、忌々しい。そして愛おしいな、クリスティナ」
気配。体に重くのしかかるような、それが会場に満ちる。
誰も息を呑み、言葉を失いながら、ユリアンに視線を向ける。
「ユリアンお兄様……?」
微笑みを浮かべるその表情に、一つだけ大きな変化があった。
それは瞳の色だ。ユリアンの瞳の色は、先程まで髪色と同じ青色だったのに。
今、彼の目はとても赤い、私と変わらない……いえ、もっと濃い赤に変わっている。
「瞳が……」
気配の変化と瞳の色の変化。これはユリアンじゃない。
私はエルトに支えられながら、痛みを感じる右手を無視して問いかける。
「貴方、何者?」
その問いに嬉しそうに笑みを浮かべて。青髪の男はこう答えた。
「──ロビクトゥス」
その名は、私が戦ってきた教団が信仰する、邪神の名だった。
ガシャアアン!
「……!?」
ユリアンもどきが名乗った瞬間、会場の端にあるバルコニーへの扉についたガラスが割れる。
その先には立っていたのはレミーナ王女。なのだけど。
「あ、ああ……あ」
「レミーナ!」
テンセイシャとはまた別の形で、受肉した邪神の一部のようなものがレミーナ王女に取り憑いていた。




