第6話 隠し撮り写真
画面の中央に無防備な姿で写っていたのは、間違いなく俺自身だった。
第二開発部のフロアで、パソコンに向かって眉をひそめながらキーボードを叩いている俺の横顔。
誰かが斜め後ろから、スマートフォンのカメラでこっそりと撮影したような画角だ。
「なんだこれ……どういうことだ?」
俺は震える指でマウスをクリックし、次の画像を表示させた。
次に現れたのは、社員食堂で昼食をとっている俺の姿だった。
向かいに座っている同僚と談笑している瞬間を、少し離れたテーブルからズームで狙い撃ちしたような不自然なアングル。
さらに次の画像。今度は、夜の通勤電車の中で吊り革に掴まり、疲れた顔でスマートフォンを眺めている俺の姿だ。
「うそ、だろ……」
次々と表示されるサムネイルは、すべて俺だった。
オフィスでコーヒーを飲んでいる俺、エレベーターを待っている後ろ姿の俺、駅のホームで電車を待つ無防備な俺。
何十枚、いや、百枚を超える「俺、亜久嶋大輝の隠し撮り写真」が、そのフォルダには延々と保存されているではないか。
カチッ、カチッ、とマウスをクリックする音が、深夜の静まり返った部屋に虚しく響く。
背筋を冷たい汗が流れ落ちていくのを感じた。
「俺は……監視されていたのか?」
一瞬、俺は完全に固まった。
他人のプライバシーを覗き見て、安全な場所から見下ろしているつもりだった。俺が支配者であり、他人の秘密を握る側だと信じて疑わなかった。
だが、現実は違った。
俺自身が、見知らぬうちに彼女のターゲットにされ、一挙手一投足を隠し撮りされていたのだ。
ストーカー?
このハードディスクの持ち主である、網代真緒菜が?
あの、感情の起伏を一切見せない鉄面皮の堅物女が、俺の背後からスマートフォンを構えて、息を殺してシャッターを切っていたというのか。
「気味が悪い……っ」
得体の知れない恐怖が胸の奥からせり上がってきた。
自分の知らないところで、じっと観察され、記録されているという事実。
それは俺が他人のハードディスクを復元して味わってきた「覗き見の快楽」を、そのまま自分自身に向けられたような強烈な不快感だった。
画面の中の俺は、自分が撮られていることに全く気づいていない。間抜けな顔で同僚と笑い、無防備に立っている。
「冗談じゃないぞ……!あいつ、何を企んで……」
俺はマウスを放り出し、頭を抱えた。
警察に行くべきか?いや、どうやって説明する。他人のハードディスクを不正に復元して覗き見たら、自分の盗撮写真が出てきました、などと言えるわけがない。
会社に報告するにしても、同じ理由で不可能だ。
俺は完全に袋小路に追い詰められていた。
+++
だが、数分間荒い息を吐きながらモニターを睨みつけているうちに、俺の中でゆっくりと「ある思考」が形を成し始めた。
「待てよ……?」
俺はゆっくりと顔を上げ、再び画面の隠し撮り写真を見つめた。
網代真緒菜は、なぜ俺の写真を撮る必要があった?
彼女は、裏では超絶美麗な人気コスプレイヤーであり、過激なBL同人誌を大量に買い漁るような女だ。
そんな彼女が、会社の同期である俺を、わざわざ通勤電車の中にまで張り付いて隠し撮りする理由。
怨恨か?いや、俺は表向きは「人当たりの良い爽やかなエリート社員」を演じきっている。彼女に直接的な危害を加えたことは一度もない。
では、情報収集か?俺のミスを探るために?それにしては、社員食堂での談笑風景や、電車で疲れて寝ている顔など、業務に全く関係のない写真が多すぎる。
「ということは……」
俺の唇の端が、自然と吊り上がった。
恐怖で凍りついていた脳細胞に、再び甘美な毒のような興奮が回り始める。
「網代の奴……俺に気があるんじゃないか?」
それなら、すべての辻褄が合う。
あの女、会社では俺に対して冷たく厳しい態度ばかりとっているが、それは単なる裏返しだったのだ。
本当は俺のことが気になって仕方がない。けれど、あのお堅いプライドが邪魔をして素直になれない。
だから、俺に隠れてこっそりと写真を撮り、夜な夜なこのモニターで俺の姿を見つめていたのだ。
「はは……あっはははは!」
俺は両手で顔を覆い、狂ったように笑い声を上げた。
先ほどまでの背筋が凍るような恐怖は、すでに跡形もなく消え去っていた。
代わりに胸を満たしているのは、爆発しそうなほどの優越感だ。
「あの鉄仮面女、普段は俺を冷たくあしらっておきながら、裏では俺に欲情して盗撮までしていたのか!」
なんという滑稽な女だ。
あんな過激な格好で他人の視線を浴びるような破廉恥な裏の顔を持ち、脳内では男同士のいやらしい妄想を膨らませ、その上、同期の男の隠し撮り写真をコレクションしている。
これが、あの完璧なエリート社員を気取る網代真緒菜の正体なのだ。
「……かわいいところがあるじゃないか、網代主任」
俺はモニターに映る自分自身の隠し撮り写真に向かって、歪んだ笑みを向けた。
胸の奥底から、ドロドロとしたサディスティックな欲望がとめどなく溢れ出してくる。
あの女の仮面を引き剥がしてやりたい。
会社では完璧なエリート社員を気取っている網代が、自分の裏の顔をすべて知られたと悟った瞬間、どんな顔をするだろうか。あの冷徹な眼差しが恐怖と羞恥に染まり、涙目で俺に懇願してくる姿を想像するだけで、脳髄が痺れるような快感が走る。
副業規定違反となるコスプレ活動の証拠、異常な性癖を暴く購入履歴、そして俺へのストーカー行為。これだけのカードを突きつければ、あいつを完全に屈服させ、俺の思い通りに飼い慣らすことができるはずだ。
「明日、会社でこの写真を突きつけて……」
そこまで口走って、俺はハッと我に返った。
マウスを握る手に、じわりと嫌な汗が滲む。
待て。俺は今、何をしようとしている?
これまでの俺は、中古ハードディスクから復元したデータを、ただ安全な部屋の中から覗き見て楽しむだけだった。他人の隠された恥部を知り、一人で優越感に浸る。それで完全に完結していた。
得た情報を現実世界に持ち出し、相手を直接脅迫して悪用するようなマネは絶対にしない。それが、俺なりの「ただの覗き見趣味」と「犯罪者」とを隔てる、唯一のポリシーだったはずだ。
もし、このデータを使って網代を脅せば、俺は明確に一線を越えることになる。それこそ「パンドラの箱」を開けてしまうことになってしまう。
万が一にも会社にバレれば、懲戒処分を受けるのは俺の方かもしれない。リスクが高すぎる。いつも通り、この部屋の中で「あいつの正体を知っているのは俺だけだ」と優越感に浸っていれば、それで十分に鬱憤は晴れるではないか。
「そうだ……馬鹿な真似はやめろ。ただのエンターテインメントだ。現実と混同するな」
俺は自分に言い聞かせ、パソコンの電源を落とそうとカーソルを動かした。
しかし、指が動かない。
画面の中では、『漆黒のアルケミスト』の過激な衣装を着た網代が、妖艶な視線でこちらを見つめ返している。その横のウィンドウには、俺自身を隠し撮りした何十枚もの無防備な写真。
『利益率改善を謳う本企画の根幹に関わる微小な不備ですが、いかがお考えですか』
昼間、同僚たちの前で俺を完膚なきまでに論破し、見下してきたあの氷のような声が脳裏に蘇る。
――こんな奇跡のような偶然、何度生まれ変わってもあるわけがない。
俺をコケにした、目障りで生意気な堅物女。
その女が、偶然にも俺が買ったジャンク品のハードディスクの元の持ち主であり、しかも俺に異常なまでの執着を抱いている。
今、俺の手の中には、あいつの人生を根底から破壊できる爆弾があるのだ。
ピンを引き抜くだけで、あの高慢な女が俺の足元にひれ伏す。絶対的な支配。その圧倒的な誘惑が、俺のちっぽけなポリシーを激しく揺さぶっていた。
「一線を、越えるか……?それとも……」
俺はモニターの前に座ったまま、頭を抱えた。
チクタクと進む時計の音だけが、静まり返った深夜の部屋に響いている。
安全な優越感か、それとも禁断の支配か。
答えの出ない葛藤に身を焦がしながら、俺はただ、画面の中の美女を見つめ続けていた。




