第42話 覚醒するM
俺の耳に飛び込んできたのは、嘲笑や哀れみではなく、明らかな『羨望』の声だった。
こいつらから見れば、俺は『ナオマ様に直接触れられ、叩かれる特権を与えられた存在』なのだ。
その事実を認識した瞬間、俺の脳内で何かがショートした。
「ふふっ、そうよね。この駄馬め!私が直々に調教してあげてるんだから、光栄に思いなさい」
真緒菜はファンに向けてSキャラ全開で言い放つと、鞭の柄を使って、俺の首元に巻かれたスカーフをツンツンと弄り始めた。
「なっ……真緒、菜……っ」
「ほら、みんなに見せてあげなさいよ。貴様が、誰のものかを」
鞭の柄でスカーフの襟元がわずかにめくられ、その下に隠された黒いレザーのチョーカーが、カメラのフラッシュに照らされてチラリと見え隠れする。
大勢の人間にはただのアクセサリーに見えるかもしれない。だが、俺と真緒菜だけが知っている『絶対的な服従の証』が、公衆の面前で晒されている。
「あっ……あぁ……っ」
極限の羞恥、鞭の鋭い痛み。そして、周囲からの狂気的な羨望の眼差し。
俺の心臓は激しく早鐘を打ち、ウェアラブルセンサーリングを通じて真緒菜へとその興奮がリアルタイムで伝わっているはずだ。
嫌だ、こんな屈辱的な扱い……嫌なはずなのに。
俺の下半身は、抗いがたい熱を帯び、硬く膨張し始めていた。
自分がエリートだというプライドが破壊され、完全な底辺の『駄馬役』として扱われること。
彼女の暴力と支配に身を委ね、絶対的な弱者として這いつくばること。
それが、恐ろしいほどの『快感』となって俺の脳髄を溶かし始めていたのだ。
「いい声で鳴くじゃない。もっと叩いてほしいのかしら?」
ピシィッ!!
「ああっ……!は、はいっ……もっと、叩いて……ください……っ。ミラ准将!」
俺の口から無意識にこぼれ落ちたその言葉は、もはや恐怖からの服従ではなく、明確な快楽への懇願だった。
大勢のオタクどもが熱狂するイベント会場のど真ん中で、俺は自身の中に深く眠っていた『究極のM気質』を、完全に覚醒させてしまっていたのだ。
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撮影の第一部が終わり、真緒菜が衣装のメンテナンスとメイク直しのために控え室へと戻っていった。
俺は痛む尻と背中を庇いながら、通路の隅で荷物の番をしていた。
先ほどの、公衆の面前で馬扱いされ、鞭で打たれた感触と屈辱。そして、それに興奮してしまった自分自身への戸惑いが、頭の中でぐちゃぐちゃに渦を巻いている。
「お疲れ様です、亜久嶋主任。……いや、今は『ナオマ様の駄馬』と呼ぶべきですかね」
不意に、頭上から低く冷徹な声が降ってきた。
ビクッと肩を跳ねさせて見上げると、そこにはプロ仕様の超高級一眼レフカメラを首から下げたガタイの良い男が立っていた。ナオマ熱狂的カメコグループの代表であり、専属SP統括の橋本伸治だ。
イベント中はオタク特有の熱を帯びていたはずのその目は、今は一切の感情を排した、一流のボディガードそのものの鋭い光を放っている。
「あんた……」
「お嬢様……いや、真緒菜様がいつもご迷惑をおかけしています。ですが、あなたがあの方を脅そうとしたのも事実。自業自得というやつです」
伸治は周囲に人がいないことを確認すると、俺の前にしゃがみ込み、静かに語り始めた。俺の会社での正体も、真緒菜を脅迫しようとして逆に完全服従させられた経緯も、すべて知っている。
「私は過去、海外の警護任務で致命傷を負い、死にかけていたところを網代家の当主、お嬢様のお父上に救われました。私の命は、網代家と真緒菜様のためにあります」
「……だから、あの狂った道楽にも付き合ってるって言うのか」
「お嬢様の安全と幸福を守るためなら、どんな異常な命令にも私は私情を挟まず完璧に応えます」
伸治は一切の迷いがない、狂信的とも言える忠誠心を口にした。
「亜久嶋さん。あなたは今、お嬢様の『奴隷』として飼われています。ならば、私と同じように完璧な忠誠を誓いなさい。少しでもお嬢様を裏切る素振りを見せれば、あなたの社会的地位どころか、物理的な命の保証すらできないと思ってください」
伸治の言葉には、脅しではなく明確な『殺意』が込められていた。
俺は息を呑み、力なく頷くことしかできなかった。
逃げ場はない。真緒菜の狂気を物理的に支えるこの男がいる限り、俺が逆転する可能性は万に一つも存在しないのだ。




