第33話 仕組まれた罠
ふかふかのマットレスに背中から沈み込んだ俺の上に、真緒菜がゆっくりと跨ってきた。
俺が身に纏っていたシルクのガウンは、彼女の滑らかな手によってあっけなく左右に剥ぎ取られる。
完全に物理的な主導権を握られ、俺は仰向けのまま身動きが取れなくなってしまった。
「な、何を……っ」
「しーっ。いいから、そのまま大人しくしてて」
真緒菜は妖艶に微笑みながら、人差し指を俺の唇に押し当てた。
会社で見せる冷徹な鉄面皮でもなく、俺の命令で怯えて涙を流す哀れな奴隷の顔でもない。絶対的な余裕と、底知れぬ捕食者の色香を放つその表情に、俺は状況が飲み込めず激しく混乱していた。
彼女の手が、俺の首筋から胸元へと這うように滑り降りていく。
その愛撫は、異常なほど的確だった。俺がどこをどう触れられれば感じるのか、まるで俺の体の構造を隅々まで把握しているかのように、指先と唇が俺の敏感なポイントを次々と責め立ててくる。真緒菜は圧倒的な手際で、愛撫による「攻め」を開始したのだ。
「あっ……んっ……」
「ふふっ、いい声。亜久嶋くん、こういう風に触られるの、好きでしょ?」
俺の心は、想定外の事態と目の前の女の正体に対する恐怖で完全に凍りついているというのに。俺の体は、彼女のテクニックによって意志とは無関係に熱を帯び、無様な反応を示し始めていた。
「ま、待て……!どういうことだ、真緒菜……お前、スマホの予定に……」
俺が震える声で問い質そうとすると、真緒菜は俺の胸の突起を指先で軽く弾き、甘い息を吹きかけた。
「んっ……!」
「驚いた?あの予定表。あれね、亜久嶋くんが私のスマホのロックを解除して中を見るように、わざと見えやすい位置に置いておいたの」
「わざと……?パスワードもか……?」
「そう。だって、亜久嶋くんなら絶対に覗き見るって信じてたから」
真緒菜は俺の腹部をゆっくりと撫で下ろしながら、これまでの出来事がすべて自分の仕組んだ「罠」であったことを耳元で囁いた。
「私ね、ずっと亜久嶋くんのことが好きだったの。新入社員の歓迎会の時から、ずっとよ」
彼女は、ずっと俺に片思いしていたのだという。
「だから、亜久嶋くんの休日の行動パターンも、行きつけのお店も、全部調べて知ってたんだ」
「……は?」
「そして……他人の古いHDDを買ってきて、削除されたデータを復元して覗き見るっていう、その悪趣味な性癖もね」
その言葉を聞いた瞬間、俺の全身から一気に血の気が引いた。
俺が誰にも言わず、秘密裏に楽しんでいたはずの覗き見趣味。それを、なぜこの女が知っている?
「どうして……っ」
「ふふっ。秋葉原の裏路地にある『タカミヤ電脳堂』……よく通ってたでしょ?」
真緒菜の口から出たその店名に、俺は息を呑んだ。
「『仕事で屈辱を味わった日は、必ずあの店に寄る』っていうあなたの行動パターン、ずっと観察してたから。あの日、私が会議で論破すれば、確実に店に行くってわかってたの。それに、あの店の高宮さん、お金を積めばなんでもやってくれる人だったから。私が用意した『罠のHDD』を、亜久嶋くんに買ってもらうように頼んだの」
「罠の……HDD……っ」
俺の脳裏に、あの日ジャンク屋でHDDを買った時の光景が鮮明にフラッシュバックした。
『あんまり他人の秘密に深入りしすぎるなよ』
店主の耕三がタバコの煙を吐き出しながら言った、あの何気ない忠告。あれは親切心などではなかった。俺がこれからドツボに嵌まることを知っていた上での、皮肉に満ちた嘲笑だったのだ。
あいつも……あの適当で冴えない親父も、俺が確実に罠のHDDを買うように金で抱き込まれていたグルだったのか!
「う、嘘だろ……っ!じゃあ、あのHDDに入ってたお前のコスプレ写真も、俺の隠し撮りも……!」
「全部、亜久嶋くんに見つけてもらうために私が仕込んだエサ。亜久嶋くん、見事に引っかかってくれたよね。私の弱みを握ったって勘違いして、嬉しそうに私をイベント会場で脅しに来てくれて……私、あの時本当にゾクゾクしてたんだぞっ」
真緒菜は恍惚とした表情を浮かべながら、俺の下半身へと手を伸ばし、容赦なくそこを撫でさすった。
「あぁっ……!」
絶望的な事実を突きつけられ、精神が崩壊しそうになっているというのに。彼女の手のひらの感触と熱が、俺の股間に強烈な快感を与え、抗いようもなく下半身を膨張させていく。
「でもね、本当に仕掛けてあった罠は、写真のデータじゃないの。亜久嶋くんがあのHDDをパソコンに繋いで、復元ソフトを走らせた瞬間……私が仕込んでおいたトロイの木馬が発動するようになっていたの」
「ト、ロイの……?」
「そう。亜久嶋くんのパソコンの中にあったデータ、全部私のクラウドに送信されたんだよ」
真緒菜は俺の上に跨ったまま、見下すような冷たい笑みを浮かべた。
「例えば……『Collection_04』っていう隠しフォルダに入ってた、天井の煙探知機に偽装したカメラの盗撮動画。あれ、すごく生々しくて面白かったな。他にも、他人のクレジットカードの番号が写った画像とか、過去の違法・グレーな覗き見ファイル群とか……亜久嶋くん、けっこうエグいものたくさん集めてたね」
彼女の口から次々と並べ立てられる具体的なファイル名と動画の内容。
それは、俺が絶対に安全だと信じ切っていた俺の城の奥底に隠していた、誰にも見せていないはずの秘密のコレクションだった。
「う、嘘だ……嘘だろ……っ」
「嘘じゃないよ。全部、私の手元に完璧なコピーがある。……私のコスプレが会社にバレるのと、亜久嶋くんのその犯罪まがいのデータ群が警察や会社に提出されるの、どっちが社会的に終わるかな?」
「ひっ……!」
俺の喉から、情けない悲鳴が漏れた。
俺が彼女の生殺与奪の権を握っていたと思っていた。彼女を逃げ場のない鳥籠に閉じ込め、完璧に支配していると信じて疑わなかった。
だが、現実は全く逆だったのだ。
最初から、俺のすべては彼女に筒抜けであり、俺の社会的生命は完全に彼女の掌の上に握られていた。
「リスク管理が甘すぎますよ、亜久嶋主任。自分が犯罪者になるリスクを、全く計算できていなかったなんて。うふっ」
真緒菜の冷酷な言葉が、俺の脳髄を叩き割るように響き渡る。
社会的な生殺与奪の権を完全に奪われた俺は、攻守が逆転したという残酷な現実に底知れぬ恐怖を覚えた。
俺は自分が王様だと錯覚して、この真性の怪物の口の中に自ら飛び込んでいたのだ。そして、罠だと気づいた時には、もう絶対に逃げ出せないところまで飲み込まれていた。
ガタガタと全身が震え、恐怖で歯の根が合わない。
しかし、そんな極限の絶望と恐怖の中にあっても、真緒菜の滑らかな指先は、俺の敏感な部分を執拗に、そして妖艶に撫で回し続けていた。
「こ、こんな……こんなこと……っ」
「ふふっ。心は怖がってるのに、体は正直だね。すごく熱くなってる……亜久嶋くん、ほんと最高だよ」
精神は恐怖でズタズタに引き裂かれているのに、肉体は彼女の愛撫によって絶頂へ向けて熱を持たされていく。
この圧倒的な支配力。攻守が完全に一瞬で逆転したという絶望的な現実の中で、俺は為す術もなく、彼女の狂気に満ちた悦楽の底へと引きずり降ろされていった。




