第30話 参加制限
パシフィコ横浜の広大な展示ホール。
俺たちがサークル『ナオマ』のブースに到着した時、そこにはすでに幾重にも重なる黒山の人だかりができていた。皆、高級な一眼レフカメラを首から下げ、今か今かとカリスマレイヤーの登場を待ち構えている。
「あ……ぁ……っ」
真緒菜は俺の背中に隠れるようにして、クリア素材のビスチェと極端に丈の短いスカートという、あまりにも過激な未完成の衣装のまま、群衆の前に姿を現した。
一瞬の静寂の後。
ホールを揺るがすような爆発的な歓声と、嵐のようなシャッター音が巻き起こった。
「うおおおおっ!今日のナオマ様、ヤバすぎだろ!」
「氷雪の女王フリージアの衣装だよな!?本来あるはずの雪のレースがないじゃん!」
「でも、いつもよりエロい!むしろ布が少ないのが神アレンジだ!」
「ナオマ様、こっち目線ください!最高です!」
ファンたちは、真緒菜の過激すぎる露出姿を見て、完全に勘違いをして熱狂していた。
彼らは、ナオマがあえてこの露出度の高いアレンジを選んだのだと思い込んでいる。真緒菜が必死に両腕で胸の谷間や腰回りを隠そうと身を縮こまらせている姿も、彼らの目には「恥じらいながらもファンにサービスする女王様」という都合の良いフィルターを通して消費されていた。
「ひっ……やめ、やめて……っ」
容赦なく浴びせられる無数のフラッシュ。大勢の男たちの舐め回すような視線に晒され、真緒菜の瞳には限界の涙が浮かんでいる。
俺はそんな彼女の惨めな姿を特等席で見下ろしながら、腹の底から込み上げる笑いを必死に噛み殺していた。
滑稽すぎる。こいつらが神のように崇め、興奮しているこのエリート女は、俺の命令で無理やりこの格好で立たされているだけの、ただの哀れな奴隷なのだ。
「そこまでだ、お前ら」
俺はわざとらしく低い声を出し、真緒菜の前に立ちはだかって群衆を制した。
「俺はナオマの専属マネージャーだ。今日の衣装は少し露出が激しすぎる。撮影は、俺が許可したアングルだけだ。勝手なローアングルや、卑猥なポーズの要求は一切禁止する」
俺がマネージャーとしてその場を仕切り、高圧的なルールを敷いた。
当然、高い入場料を払って参加しているオタクたちからは、「なんだよそのマネージャー」「ふざけんな」と不満のどよめきが起きかけた。
だが、その暴動を未然に防いだのは、最前列に陣取っていたガタイの良い男――仕切りたがりカメコ、伸治だった。
「お前ら、静かにしろ!ナオマ様のマネージャーの指示に従え!少し下がって、指定のラインを守るんだ!」
伸治が野太い声で一喝すると、文句一つ言わずに周囲のカメラマンたちは波が引くようにスッと後退し、俺の指示通りの完璧な陣形を作り上げた。全員がまるで軍隊のように統率され、伸治の言葉、いや、俺の敷いたルールに完璧に服従している。
(……くくっ、見ろ。俺の威厳が、この気色悪いオタクどものボスすらも完全に屈服させたぞ)
俺は内心で、底知れぬ優越感に打ち震えていた。
所詮、どんなに熱狂的なファンだろうと、俺が握っている『真緒菜の社会的な弱み』の前では無力だ。俺の一声で、この会場の空気すらも支配できる。
「ほら、ナオマ様。俺が許可してやったんだから、ファンのみんなに最高のポーズを見せてやれよ」
俺は振り返り、真緒菜の耳元で冷酷に囁いた。
「うぅ……っ、はい……っ」
真緒菜は屈辱に顔を真っ赤に染めながら、ゆっくりと腕を解き、透明なビスチェに包まれた豊かな胸元と、露出した網タイツの太ももを大観衆の前に晒した。
大群衆の中で、自分だけが彼女の本当の惨めさを知り、そして周囲の人間すらも間接的に支配している特権階級であるという事実。俺は、自分がこの世界の神にでもなったかのような、絶対的な全能感を再認識していた。
+++
イベント終了後の夕刻。
パシフィコ横浜の地下駐車場に停めた、薄暗いワンボックスカーの車内。
「はぁ……はぁ……っ、うぅ……」
真緒菜は未完成で過激なフリージアの衣装を着せたまま、後部座席に丸まって泣きじゃくっていた。
一日中、布地が足りない状態で大勢の男たちの視線とフラッシュを浴び続けた彼女の精神は、すでにボロボロだった。派手なメイクは涙で崩れ、冷たいクリア素材の衣装越しに見える肌には、鳥肌が立っている。
バタン、とスライドドアを閉め、俺は密室となった後部座席で彼女の隣に腰を下ろした。
ここからは、俺と彼女だけの反省会だ。
「お疲れ様、真緒菜。今日の君は、最高に美しかったよ」
「あ……ぁ……っ、亜久嶋さん……もう、帰らせて……ください……っ」
真緒菜は両手で顔を覆い、すがるような声で懇願してきた。
だが、俺がそんな甘えを許すはずがない。俺は彼女の細い手首を強引に掴み、その涙で濡れた顔を覗き込んだ。
「帰る?何を言っているんだ。君は今日のイベントで、本来あるべき布地がない状態で大勢の男に卑猥な目で見られて、本当は興奮したんじゃないのか?」
俺は、彼女の耳元でネチネチと問い詰めた。
「ち、ちがいます……っ!そんなわけ……ないじゃないですか……っ!」
「嘘をつくな。俺にはわかっていたぞ。カメラを向けられるたびに、君の身体がビクビクと反応していたのを。会社じゃあんなに偉そうなエリートのくせに、本当は自分の身体を大勢に見せびらかして欲情する、どうしようもない変態女なんだろ?」
「違います……っ、やめて……もう、言わないで……っ」
俺の言葉の刃が、真緒菜の残されたプライドをさらに削り落としていく。
彼女は首を横に振り、俺の胸にすがりついて泣き崩れた。
「俺はね、君のその尻軽な態度が気に食わないんだよ。俺の専属タレントのくせに、他の男どもにあんな淫らな姿を見せつけるなんてな」
俺は彼女の顎を持ち上げ、その唇を親指で乱暴に撫でた。
会社バレの脅しから始まったこの関係が、いつしか俺の中で、他の男には絶対に触れさせないという歪んだ独占欲へとすり替わっていたのだ。
こんなにも美しく、そして俺の前だけで完全に服従する極上のオモチャであり美術品でもある。これを他の底辺のオタクどもに見せびらかすことすら、もはや腹立たしく感じていた。
「いいか、真緒菜。これからは、俺以外の男の前でその姿を見せるな」
俺は彼女の瞳を真っ直ぐに見据え、今後のイベント参加を制限する決定的な命令を下した。
「え……?」
「お前のその過激な姿も、泣いて怯える顔も、全部俺だけのものだ。俺が許可しない限り、イベントには出さないし、写真も撮らせない。お前の秘密を守ってやれるのは、そしてお前を管理できるのは、この世界で俺だけなんだからな」
歪んだ庇護欲とサディズムを拗らせた俺の言葉。それは、彼女のコスプレイヤーとしての活動を完全に封殺し、俺の私物として鳥籠に閉じ込めるという宣言だった。
真緒菜は大きく目を見開き、一瞬だけ息を呑んだ。
自分の最大の趣味であり、アイデンティティであった場所を完全に奪われる絶望。
彼女はギュッと目を瞑り、やがて力なく俺の胸に額を擦り付けた。
「はい……。私には、もう……亜久嶋さんしか頼れる人がいません……っ」
真緒菜は俺のジャケットの裾を強く握りしめ、完全な依存と服従の言葉を口にした。
「ふふっ……いい子だ。それでいい」
俺は満足げに彼女の頭を撫でた。
完璧だ。社会的な脅迫から始まった関係は、精神的な完全支配へと昇華された。彼女はもう、俺なしでは生きられない。俺の歪んだ愛と支配の鳥籠の中で、一生飼い殺されるだけの存在になったのだ。
俺は真緒菜を後部座席に残し、勝利の余韻に浸りながら運転席へと移動した。
エンジンをかけ、薄暗い地下駐車場から車を発進させる。俺の頭の中は、これからこの女をどうやって二人きりの密室でいたぶり尽くしてやろうかという、甘美な妄想で満たされていた。
車を発進させながらバックミラーを見た。
うつむいていた真緒菜の口元が、笑みの形に歪んだ?
さらに彼女の目尻にある二つの泣きぼくろが、暗闇の中でぞっとするほど艶めかしく吊り上がった。
ん?
見間違えだろう。俺はそんなことを思い、車の運転に集中した。




