第25話 放屁の弁明
真緒菜は、自分が「大観衆の前で盛大におならをした」という状況に仕立て上げられたことに、ようやく気がついた。
「ち、ちが……っ!私じゃない、です……っ!」
顔面を沸騰したように真っ赤に染め上げ、真緒菜はパニックに陥って首を横に振る。
「お願い、信じて……っ!本当に、私じゃないの……っ!」
だが、偽装されたBluetoothスピーカーから流れた偽物の音だとは誰も気づいていない。周囲の嘲笑と奇異の視線が、極端な露出のサイバー衣装を着た彼女に容赦なく突き刺さる。
会社では俺のわずかなミスを冷徹に指摘し、周囲から畏怖されていた完璧な網代主任。
そんなエリート女が今、大勢の男たちに囲まれ、「おならを漏らした」と指を差されて、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして泣き崩れているのだ。
「やめ……やめてっ、見ないでぇ……っ!」
真緒菜は完全に限界を迎え、その場にへたり込んだ。両手で顔を覆い、羞恥のあまり子供のように泣きじゃくり始める。
カリスマレイヤーとしての威厳など、もう微塵も残っていない。ただの惨めで哀れな、公開処刑されたピエロだ。
「くくっ……あははははっ!」
俺は少し離れた場所からその完璧な絶望の光景を見下ろし、腹の底から湧き上がる笑いを噛み殺した。
こんなに滑稽で、極上のショーがあるだろうか。
俺はパンドラの箱から他人の災厄を自在に引き出し、弄ぶ神にでもなった気分だった。
だが、俺の完璧な脚本はここで終わりではない。完全に心をへし折った後、たった一人の「救世主」として手を差し伸べることで、この女の依存は絶対的なものになるのだ。
「そこまでだ!今日の撮影は中止!離れろ!」
俺は血相を変えたマネージャーを演じながら、カメコどもの群れを強引に掻き分けた。そして、床にへたり込んで泣きじゃくる真緒菜の肩を抱き寄せ、自分の上着を頭から被せてフラッシュの嵐から隠すようにし、足早にその場から連れ出した。
喧騒から逃れ、地下駐車場に停めておいたワンボックスカーの後部座席。
バタン、と重いスライドドアを閉めて完全な密室空間を作ると、俺は怯える真緒菜を優しく腕の中に抱きしめた。
「うわぁぁん……っ!違う、私じゃない、私じゃないのにぃ……っ!」
真緒菜は俺の胸に強くすがりつき、子供のように泣きじゃくっていた。会社で見せる完璧なエリート女の面影など微塵もなく、ただ恐怖と羞恥に震える哀れな小動物だ。
「大丈夫だ、真緒菜。俺は分かってる。あんなの、スピーカーのノイズか何かの間違いに決まってるだろ」
俺が背中を優しく撫でながら甘い言葉を囁くと、真緒菜は弾かれたように顔を上げた。
「亜久嶋さん……っ!信じて、くれるの……?」
「当然だ。俺はお前のマネージャーであり、この世界でたった一人の、絶対の味方だからな」
「あぁっ……ありがとうございます、ありがとうございます……っ!私にはもう、亜久嶋さんしかいない……っ!」
俺の腕の中で、彼女はさらに強く抱きついてきた。
俺という存在への完全な依存。計画通りだ。この女にとって、俺だけが唯一のすがりつける蜘蛛の糸になったのだ。俺の腹の底で、ドロドロとした歓喜が渦を巻く。
その時だった。
プゥッ……。
静まり返った車内に、小さく、しかしはっきりとした気の抜けた音が響いた。
それは間違いなく、俺に密着している真緒菜のお尻のあたりから発せられたものだった。極度の緊張状態から解放され、俺の胸の中で完全に安心してしまったせいで、無意識に緩んでしまったのだろう。
一瞬の、痛いほどの静寂。
俺の腕の中で、真緒菜の体が石のように硬直した。
「……こ、これもシートか何かがこすれただけだよな?」
俺がわざとらしく、コレも勘違いだと尋ねると、真緒菜は俺の胸からゆっくりと顔を離した。
その顔面は、先ほどの公開処刑の時よりもさらに真っ赤に、耳の裏から首筋まで沸騰したように染まり上がっていた。
「ち、ちが……っ」
「ん?違う?じゃあ、今の音は何だったんだ?」
俺が逃げ道を塞ぐように意地悪く追及すると、真緒菜は涙でぐしゃぐしゃになった顔を両手で覆い、消え入るような声で白状した。
「今のは……シートじゃなくて……わ、私、です……っ」
「へぇ?じゃあ、さっき大勢の前で漏らさなかった代わりに、ただ一人の味方である俺の前で、本物のオナラを漏らしたってことか?」
「うぅっ……!やめっ、言わないで……っ!あぁぁっ……恥ずかしい、死にたいぃっ……!」
真緒菜はシートの上に崩れ落ち、頭を抱えて極限の羞恥に身をよじらせた。
さっきの偽物の音とは違う、俺の腕の中での生々しい本物の失態。俺だけが知っている、この高慢な女の最も無様で無防備な恥部。
「くくっ……ははははっ!」
これ以上ないほどの滑稽な姿を見下ろしながら、俺の歪んだ支配欲とサディズムは、限界突破の悦楽で満たされていた。
この女の尊厳を粉々に打ち砕き、俺の用意した密室に逃げ込むしか道がないように作り変える。静まり返った車内で、俺は絶対的な支配者としての甘美な毒に、どこまでも深く溺れていった。




