第18話 撮影セット
カメラのファインダー越しに見る世界など、これまでの俺の人生には全く無縁のものだった。
休日の家電量販店のカメラコーナー。俺はショーケースに並ぶ数十万円の高級一眼レフと、本格的な照明機材のセットを前にして、店員の説明に熱心に耳を傾けていた。
「こちらのモデルなら、暗い室内でもノイズが少なく、被写体の肌の質感を驚くほど滑らかに描写できます。ポートレート撮影には最適ですよ」
「なるほど。じゃあ、これと、あのアンブレラ付きのストロボセットも頼む。あと、背景布のスタンドも一式だ」
「かしこまりました!ありがとうございます!」
店員がホクホク顔でレジへ向かうのを見送りながら、俺はクレジットカードを取り出した。
コスプレオタクどもがバズーカのようなレンズを振り回しているのを、少し前までは心底見下していたというのに、俺が飲み込まれるなんて滑稽な話だ。
だが、あの復元されたデータの中にあった、プロ顔負けの艶やかな写真の数々。そして、休日の駐車場で俺の足元に這いつくばった、真紅のドレス姿の網代真緒菜。
あの圧倒的な美術品を、俺の手で、俺だけのものとして最高の形で記録したい。ただ弱みを握っていたぶるだけでは飽き足らず、そんな歪んだ情熱と独占欲が、俺を突き動かしていた。
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数日後の東都フーズ本社、第二開発部。
フロアには今日も、相変わらずの張り詰めた緊張感が漂っている。
「亜久嶋主任。よろしいでしょうか」
背後から、氷のように冷たく、感情の起伏を一切感じさせない声が響いた。
振り向くと、きつく結い上げた黒髪と、一切の隙を感じさせないグレーのスーツ姿の真緒菜が、分厚いファイルの束を抱えて立っていた。
「どうしたんだい、網代。そんな怖い顔をして」
「先日のパッケージリニューアルに関する見積もりですが、物流の燃料費高騰分が反映されていません。このままでは、期末の利益率にコンマ数パーセントの悪影響が出ます。直ちに修正をお願いします」
真緒菜はフロア中の同僚たちが聞き耳を立てている前で、容赦なく俺のミスを指摘してきた。
「あー……本当だ。確認不足だったよ。すぐに計算し直す」
「お願いします。私たちの部署は、全社の期待を背負っているんです。このような初歩的なミスは二度とないようにしてください」
「厳しいなぁ。でも、君の言う通りだ。助かったよ、ありがとう」
俺は内心の優越感を微塵も見せず、神妙な面持ちを作り上げて素直に頭を下げた。真緒菜は小さく頷くと、踵を返して自分のデスクへと戻っていく。
周囲の後輩たちが「また網代主任の厳しいツッコミが入りましたね」「亜久嶋さんも大変だ」と同情の視線を向けてくるが、俺は苦笑いでそれに応えた。
だが、俺の内心はどす黒い歓喜で満ち溢れていた。
数日前の夜、俺は『専属マネージャー』として、彼女に一つの指示を出していたのだ。
『会社では、俺が裏でお前を飼っていると誰にも悟られないようにしろ。今まで通り、俺を厳しく論破して見下すんだ。いいな?』
真緒菜はその指示を忠実に守り、完璧な鉄面皮を演じきっている。
しかし、俺にはわかる。
俺のミスを厳しい口調で指摘している間、彼女の銀縁眼鏡の奥の瞳が、恐怖と背徳感で微かに震えていたことを。
会社ではこうして大勢の前で俺をゴミのように見下し、俺もそれに耐える。
この圧倒的なギャップがあるからこそ、二人きりの密室で彼女を完全に屈服させる瞬間の快感が、何倍にも膨れ上がるのだ。
「ふふっ……いいぞ、網代。人前ではもっと俺を冷たくあしらえ」
俺はパソコンのモニターに向かいながら、誰にも見えないように口角を吊り上げた。
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そして迎えた週末の休日。
俺の住むマンションの自室に、控えめなチャイムの音が響いた。
玄関のドアを開けると、地味な私服姿で大きなキャリーケースを引いた真緒菜が、所在なさげに立っていた。
「……おはようございます、亜久嶋さん」
「遅いぞ。約束の時間から二分すぎている。マネージャーを待たせるタレントがどこにいる」
「すみません……っ」
会社でのあの堂々とした態度はどこへやら、真緒菜は俺の少し強い口調にビクッと肩を跳ねさせ、涙目を浮かべて頭を下げた。
「まあいい、入れよ。今日はもっと良い写真を撮ってやるからな」
俺がマンションの奥へと招き入れると、真緒菜はキャリーケースを引きずりながら、おずおずと足を踏み入れた。
「まずは着替えだ。寝室を使っていい。メイクもそこで完璧に仕上げてこい」
「は、はい……」
「今日持ってくるように指示した衣装、間違えていないだろうな?」
「大丈夫、です。『学園破天荒!マジカルバスターズ』の、夜叉姫ラズベリーの衣装一式と、小道具のハンマーも……」
真緒菜が恥ずかしそうに目を伏せる。
夜叉姫ラズベリー。短すぎるマイクロミニ丈のフリルスカートに、お腹が丸出しになったセーラー風のノースリーブトップス。そして身の丈ほどある巨大ハンマーという、痛々しいほどハイテンションで露出度の高い魔法少女キャラクターだ。
普段のお堅い彼女とのギャップが最も激しい衣装を、あえて選ばせたのだ。
「よし。じゃあ、早く着替えてこい。俺はリビングでセッティングを進めておく」
真緒菜を寝室に押し込み、ドアを閉める。
俺はリビングに戻ると、部屋の家具を端に寄せ、広々と空いたスペースに先日の家電量販店で買い揃えた機材を広げ始めた。
背景布のスタンドを組み立て、真っ白なスクリーンを張る。
アンブレラ付きのストロボを左右に配置し、高級一眼レフカメラを三脚にセットして、試し撮りで光の当たり具合を微調整していく。
こんな大掛かりなセッティングを自分の部屋でする日が来るとは思いもしなかったが、すべてはあの完璧な被写体を、俺だけのものとしてしゃぶり尽くすためだ。
ガチャリ。
数十分後、寝室のドアが開く音がした。
俺がカメラから顔を上げると、そこには、先ほどまでの地味な堅物女の面影は一切なくなっていた。
「あ、あの……着替え、終わりました……っ」
金髪のウィッグを被り、派手なメイクを施した真緒菜が、巨大なハンマーの小道具を抱きしめるようにして立っていた。
フリルのついた極端に短いスカートから伸びる、ニーハイソックスに包まれた絶対領域。お腹が丸出しになったセーラー服からは、引き締まったウエストのくびれが露わになっている。
「……」
わかってはいたが、息を呑むほどの美しさと色気だった。
あの鉄面皮の網代真緒菜が、俺の自宅という完全なプライベート空間で、こんな破廉恥な魔法少女の格好をして、羞恥に顔を赤らめながら俺を見つめている。
俺のドSとしての支配欲と、カメラマンとしての歪んだ熱が、腹の底でドロドロと混ざり合いながら沸騰していくのを感じていた。




