第15話 社内チャット
数秒後、俺のスマホに必死の返信が届いた。
『それだけはどうかお許しください。そんなことをしたら、主任としての私の威厳も信頼もすべて失われます』
俺は鼻で笑った。威厳だと?俺の足元で跪いて「なんでもします」と泣きついた女が、今さら何を言っているんだ。
俺は文字では返信せず、カメラロールを開いた。
そして、先週末のイベントで、非常階段に逃げ込んだ時に撮った『真緒菜の過激なコスプレ姿』の写真を一枚選択した。
漆黒のハイレグ風レザーボディスーツ姿で、涙目で震えながら写真集を抱え込んでいる、惨めな写真。
それを無言で、ポンッと真緒菜のチャットに送信してやった。
……三十秒の沈黙。
遠くのデスクで、真緒菜がギュッと目を瞑り、唇を噛みしめてブルブルと震えているのが見えた。
やがて、諦めと絶望が入り混じった一言が返ってきた。
『……わかりました』
俺は満足げに頷き、パソコンの社内チャットツールを開いて、その瞬間を待ち構えた。
+++
数分後。
第二開発部全員が参加している業務連絡用のグループチャットに、網代主任のアカウントから新規メッセージが投下された。
『第二開発部のみんな、お疲れ様だぞ☆今月の経費精算の締め切りは明日の十七時までだから、絶対に忘れないでよねッ!遅れた奴は、アタシの巨大ハンマーでお仕置きしちゃうんだからっ♪(怒)』
――静寂。
カタカタと鳴っていたフロアのタイピング音が、一瞬にしてピタリと止んだ。
「……えっ?」
「な、なんだこれ……」
「網代主任のアカウントだよな……?」
周囲の社員たちが、ざわめきながら自分たちのモニターと、フロアの奥に座る真緒菜の顔を交互に見比べ始めた。
当然だ。いつもは「経費精算の期日は明日十七時です。遅滞なきよう提出願います」と機械のように冷徹な文面しか送ってこない鉄面皮の女が、突然、魔法少女のコスプレキャラのような痛々しい口調でメッセージを送ってきたのだから。
すぐに、チャットツールに次々と困惑の返信が書き込まれ始めた。
『網代主任、タイプミスですか?珍しいですね』
『何かのアカウントと間違えて誤爆してますか?』
『誰かにPC乗っ取られてますか?大丈夫ですか!?』
フロア中の視線が真緒菜に突き刺さる。
真緒菜は自分のデスクで、顔を耳の裏まで真っ赤に染め上げ、信じられないほどの屈辱に耐えるように、両手で顔を覆って俯いていた。
彼女の肩は小刻みに震えており、今にも泣き出しそうだ。
「くくっ……はははっ」
俺は自分のデスクで書類の束で顔を隠しながら、腹の底からこみ上げる笑いを必死に押し殺した。
最高だ。
あのプライドの高いエリート女が、自分の手で社会的な自爆ボタンを押させられ、部下たちからの奇異の目に晒されている。その羞恥と屈辱に塗れた姿を特等席で見下ろす快感は、何物にも代えがたい極上のエンターテインメントだった。
このまましばらく放置して、彼女がどこまで追い詰められるか観察するのも悪くない。だが、それではただのいじめだ。俺が求めているのは、彼女の心と身体を完全に支配し、俺なしでは生きられないように飼い慣らすこと。
俺はキーボードに手を伸ばし、ざわつく全体チャットにすかさずメッセージを打ち込んだ。
『あ、ごめんみんな!俺がさっき網代主任のPC借りて新しいマクロのテスト送信した時に、俺の前任者の変な予測変換が残ってたみたい!網代主任、勝手にPC使ってごめんね!経費の件、みんなよろしく!』
送信ボタンをターンッ、と軽快に叩く。
爽やかで頼れる同期からの、見事なフォローのメッセージだ。
「なんだ、亜久嶋主任のイタズラかよ!」
「びっくりしたー、網代主任が突然キャラ変したのかと思いましたよ」
「亜久嶋さん、そういう冗談は心臓に悪いっすよー!」
フロアに安堵の笑い声が広がり、凍りついていた空気が一瞬にして和やかなものへと変わった。
真緒菜に向けられていた疑惑の目は、「亜久嶋の気まぐれなミス」という形で完全に逸らされた。
「ごめんごめん、次から気をつけるよ」
俺は周囲の社員たちに向けて、愛想のいい営業スマイルを振りまいた。
そして、ゆっくりと真緒菜の方へ視線を向ける。
顔を覆っていた手をそっとどけ、涙目のまま俺を見つめてくる真緒菜。
その瞳には、羞恥と屈辱、そして、俺に対するどうしようもない恐怖と「安堵」が入り混じっていた。
――わかったか?お前の社会的な地位も、尊厳も、俺の指先一つで簡単に崩壊する。
――そして、お前を救ってやれるのも、この世界で俺だけなんだ。
俺は無言のまま、真緒菜に向かってゆっくりと片目を瞑ってみせた。
真緒菜はビクッと肩を跳ねさせ、力なく小さく頷いた。
完璧な依存と服従の構図だ。
表向きは「頼れる爽やかなエリート社員」を演じながら、裏ではこの高慢な女を真綿で首を絞めるように精神的に追い詰め、俺がいないと呼吸すらできない犬へと作り変えていく。
俺は誰にも気づかれないように深く息を吸い込み、オフィス中に満ちる背徳感と絶対的な支配の甘い蜜を、肺の奥底までたっぷりと味わっていた。




