第12話 涙の懇願
「ああ、そうだ。さっき君のブースで、これも買わせてもらったよ」
俺は持っていた手提げ袋から、先ほど三千円で購入したフルカラーの写真集を取り出した。
表紙には、今目の前にいる網代と全く同じ、露出度の高い漆黒のレザーボディスーツに身を包んだ妖艶な女が、見下すような視線を向けている。
俺はそれを、網代の目の前でパラパラとわざとらしくめくってみせた。
「素晴らしい出来だね。紙質もいいし、何より被写体が極上だ。会社じゃあんなに堅物で通っている網代真緒菜が、裏ではこんな破廉恥な格好をして、自分の体を切り売りしていただなんて。しかも、うちの会社の副業NGを知って尚。言わないけど」
俺がそう言って写真集を突きつけると、網代の顔色はさらに青ざめた。
「あ……ぁっ……」
「ほら、自分でしっかり持ってみなよ」
俺は写真集を無造作に網代の胸元へ押し付けた。網代はビクッと肩を震わせながらも、落としてはならないと反射的に両手でそれを受け取った。
漆黒のハイレグ風レザーボディスーツ姿の女が、自身の恥部とも言える自費出版の写真集を両手で抱え込み、怯えたように俺を見上げている。
会社での鉄面皮からは想像もつかないその無防備な姿に、俺の脳髄をガンガンと揺らすような背徳感と支配欲が込み上げてきた。
「さて、と……」
俺はスマートフォンのカメラアプリを起動し、レンズを網代に向けた。
薄暗い非常階段のコンクリートの壁に、フラッシュの眩い光と、無機質なシャッター音が反響する。
「やっ……やめて……っ、撮らないで……!」
「動くなよ。さっきまで、あんなに大勢の目をギンギンにした男たちに向かって、嬉しそうに見下すようなポーズをとっていたじゃないか。俺のスマホのカメラだと不満なのか?」
「ちがっ……そういうのじゃ……っ!」
「何が違うんだ?同じだろ。ほら、もっとよく顔を見せてくれよ。せっかくナオマ様の長い列を並んだんだからさぁ」
俺は片手で彼女の細い肩を壁に押し付け、もう片方の手でスマホを操り、網代の全身をゆっくりと舐めるように撮影し始めた。
カシャッ、カシャッ、カシャッ。
冷徹なドS幹部の過激な衣装。深紅の裏地がついたロングマント。胸元と腰回りに施された重厚な金属装飾。しかし、それを纏っている中身は、恐怖と屈辱でガタガタと震える哀れな女だ。
「いいねぇ……。会社でいつも偉そうにしている網代主任の、この情けない顔。たまらないよぉ」
俺は網代の周囲をゆっくりと回りながら、様々なアングルからシャッターを切り続けた。
深く入ったスリットから覗く白い太もも。過呼吸気味に上下する豊かな胸元。そして、涙目になりながらも完全に怯えきっているその表情。
「これ、第一開発部の連中や、役員会に回ったらどうなるかな?せっかく君がデータ分析から品質改善まで行って売上を伸ばした『クイック・シェフ』シリーズの主任ポストも、一発で剥奪だよね?言わないけど」
「あっ……ひぐっ……」
「それに、この写真集の売上。これだけの大規模なイベントで荒稼ぎして、確定申告とかどうしてるの?税務署が入る前に、会社から懲戒解雇されるのが先かな?……危ない橋を渡っているね~。言わないけど」
「やめ……やめてください……おねがい……っ」
俺が「言わないけど」と爽やかな笑みでプレッシャーをかけるたびに、網代の体はビクン、ビクンと大きく跳ね、その瞳からは大粒の涙が溢れ出していく。
派手なアイメイクが涙で少しずつ崩れ、右目の目じりにある二つの泣きぼくろが、濡れて艶めかしく光っていた。
「お願いです……!会社にだけは、言わないでください……っ!」
ついに網代は耐えきれなくなったのか、膝から崩れ落ちるようにその場にへたり込んだ。
冷たいコンクリートの床に膝をつき、派手なメイクのまま、両手で自身の自費出版の写真集を胸に強く抱え込んで小さく震えている。
「じゃあ、コスプレ辞める?もったいないなぁ~」
俺があえて冷酷な声で見下ろすように問いかけると、網代は弾かれたように顔を上げ、すがるように首を激しく横に振った。
「嫌です……っ!始めは、ただの友達の付き合いだったんです。でも……楽しくなってのめり込んで、今ではこれが、私の生きがいなんです……っ」
会社では感情を一切見せない鉄面皮のエリート女が、涙でぐしゃぐしゃになった顔で、自身の秘めた想いを必死に吐露している。
「お願いです、どうか私から……コスプレを取り上げないでください……っ」
「なんでも……なんでもしますから……っ!だから……」
涙声で懇願する彼女を見下ろしながら、俺はあふれ出る笑いを抑えきれなかった。
「くくっ……ははっ、あはははは!」
非常階段に、俺の高笑いが響き渡る。
完璧だ。俺の思い描いた通りの、いや、それ以上の最高のシチュエーションだ。
東都フーズという厳しい実力主義の職場で、ミス一つ許さない完璧なエリート女として俺を論破してきたあの高慢な女が、今、俺の足元でひざまずき、「なんでもする」と泣きついている。
たった今、俺は彼女の人生の生殺与奪の権を完全に握った。この圧倒的な優越感。他人の秘密を暴き、弱みを握ってコントロールする――俺のドSとしての嗜虐心が、これ以上ないほどに満たされていく。
「……なんでもするって、言っちゃった?」
俺は笑いを収め、しゃがみ込んで網代と視線を合わせた。
「は、はい……っ。で、でも、出来る範囲で」
「お金を要求したり、無理やり会社を辞めさせたりするような、野暮な真似はしないよ。俺は君の趣味を応援したいんだ。会社に秘密にする代わりにね……」
俺はあえて、同期を気遣うような優しい声色を作って囁いた。
「代わりに……?」
「代わりに、これからの君のイベント遠征や撮影のスケジュール、その全てを俺に共有してもらう。君のプライベートの時間は、俺が管理する。つまり、俺が君の『専属マネージャー』になるってことだ」
「えっ……」
「もちろん、ただのマネージャーじゃないよ。君は俺の許可なくイベントに出ることも、新しい衣装を作ることも、誰かに撮影されることも許されない。俺が『出ろ』と言えば出るし、『やめろ』と言えばやめる。わかるよね?」
それはつまり、彼女の私生活を、そしてカリスマコスプレイヤー『ナオマ』としての活動の全てを俺の支配下に置けという宣言だった。
網代の顔が再び蒼白になり、唇がわなわなと震えている。
自分の最も大切な趣味であり、アイデンティティでもある場所を、片思いをしていた男に完全に掌握される。その絶望の深さは計り知れないだろう。
「嫌ならいいんだよ?今すぐここで、役員宛てのメールにこの写真集の画像を添付して送信ボタンを押すだけだから」
俺がスマホの画面をチラリと見せると、網代は弾かれたように首を横に振った。
「やっ……やめて……!わかり、ました……。従います……っ」
網代はギュッと目を瞑り、屈辱に耐えるように唇を噛み締めながら、力なく了承した。
「ふふっ、よし。いい子だ。これからよろしく頼むよ、網代主任」
俺は彼女の顎を指先で持ち上げ、その涙で濡れた頬を優しく撫でた。
網代は抵抗することもなく、ただ怯えた目で俺を見上げて震えている。
この瞬間、俺と網代真緒菜の間の立場は完全に固定された。
会社では完璧なエリート女。だが、俺の前では絶対に逆らえない専属の所有物。
俺は彼女のすべてを操っている。彼女の運命は俺の掌の上にあるのだ。
薄暗い非常階段の中で、俺は自身が絶対的な支配者であるという甘美な背徳感と全能感に完全に酔いしれていた。この先に始まるであろう俺の欲望を満たす下劣な遊びを思い描き、俺はただ目の前の悦楽だけを貪っていた。




