第10話 最前列での接触
俺は周囲のカメコたちの波を強引に押し退け、最前列へと躍り出た。
「おい、なんだよあんた。並べよ!」
「今はナオマ様のソロ撮影中だぞ!邪魔すんな!」
背後からオタクどもの野次が飛んでくるが、そんなものは俺の耳には入らない。俺の視線は、数メートル先で完璧なポーズを決める網代真緒菜ただ一人に注がれていた。
まばゆいフラッシュの嵐の中、俺はゆっくりと口を開き、周囲の喧騒を切り裂くようにはっきりと通る声で言い放った。
「――もしかして、網代さん?こんな所で会うなんて、奇遇だね」
その瞬間だった。
俺のすぐ横で、あのSPのように周囲を仕切っていたカメコ――伸治の動きがピタリと止まった。
不意にこちらへ向けられた超望遠レンズ。その巨大なガラスの奥で、伸治の目が一瞬だけ、ゾッとするほど冷徹な光を放ったように見えた。
(……ん?なんだ、今の気味の悪い睨みは。俺を排除しようとしているのか?)
一瞬の違和感。だが、俺はすぐにそれを「推しの撮影を邪魔されて怒り狂っているオタク特有の気味の悪い表情」だと解釈し、脳内から切り捨てた。そんなモブの反応よりも、俺の目の前には最高の獲物がいる。
俺の声を聞いた瞬間、完璧な彫像のようだった網代の体が、ビクンと大きく跳ねた。
「え……あ……っ、ああ……っ!?」
冷徹なドS幹部の表情が、みるみるうちに崩壊していく。見開かれた目、血の気が引いていく唇。俺が予想していた通りの、いや、それ以上の明らかな動揺ぶりだ。
「あ、あの……。な、なんのことですか……っ?」
「え?東都フーズ第二開発部の、網代真緒菜さんだよね。俺だよ、亜久嶋。まさかお前がこんな露出度の高いコスプレをしてるなんて、驚いたなぁ」
周囲のカメコたちが「え?」「知り合い?」「本名?」とざわめき始める。
網代は顔面を蒼白にしながら、必死に首を横に振った。
「ち、違います……っ!私は、そんな人じゃありません!人違いです!」
会社ではあんなに理路整然と俺を論破していた女が、今は声の震えも隠せず、まるで怯えた小動物のように後ずさりしている。
たまらない。最高だ。その絶望に染まった顔を、もっと俺に見せてくれ。俺の腹の底で、ドSの嗜虐心が歓喜の雄叫びを上げていた。
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俺はわざとらしく大げさなため息をつき、両手を上げて見せた。
「……そうか。ごめんなさい。あまりにもそっくりだったもので。俺の勘違いみたいだ」
「は、はい……。そうです、全くの別人です……だから、お引き取りを……っ」
網代は胸を撫で下ろすように息を吐き、必死に取り繕った笑顔を作った。これ以上追求されないと踏んで、安堵したのだろう。
愚かな女だ。俺がここで素直に引き下がるわけがないだろう。一度相手を泳がせてから、完全に逃げ道を塞いで絶望させるのが一番面白いんだ。
俺は引き下がるフリをしてクルリと背を向け、数歩だけ歩き出した。
そして、カメコどもの群れに紛れ込む直前で足を止め、ジャケットの内ポケットからスマートフォンを取り出した。
画面を操作し、連絡先を開く。そこにあるのは、入社時の新人研修で「同期の連絡網」として交換したきり、一度も使っていなかった『網代真緒菜』の電話番号だ。
俺は網代に背中を向けたまま口角を限界まで吊り上げ、通話ボタンをタップした。
コール音が、俺の耳元で鳴り始める。
ツルルルルル……。
その直後だった。
「――♪♪♪!」
静まり返った撮影エリアの奥。サークル『ナオマ』のブースの机の下に置かれた、網代の私物のボストンバッグから、着信音が大きく鳴り響いた。
「えっ……!?」
網代は弾かれたように息を呑み、肩をこわばらせた。
周囲のカメコたちも「誰のスマホだ?」とキョロキョロと周囲を見回している。
俺はスマホを耳に当てたまま、ゆっくりと振り返った。
「あれ?偶然だなぁ。俺が網代さんに電話をかけた瞬間に、君の荷物から着信音が鳴るなんて」
「あ……ぁ……っ」
網代は自分のバッグと俺の顔を交互に見比べながら、喉の奥でひゅっと息を飲んだ。もはや、どんな言い逃れも通用しない。完璧なチェックメイトだ。
俺はスマホの通話を切り、数歩歩み寄って、凍りついた彼女の耳元に顔を近づけた。
「……やっぱり?だよねぇ。嘘はよくないよ、網代さぁ~ん」
「ひっ……!」
網代の口から、悲鳴にも似た小さな喘ぎ声が漏れた。
ハイレグ風レザーボディスーツという過激な戦闘服のまま、彼女は全身をガタガタと震わせている。
周囲のオタクどもは状況が飲み込めず、ただポカンと口を開けてこちらを見ているだけだ。俺は周囲の視線など意に介さず、獲物を追い詰める毒蛇のように言葉を紡いだ。
「会社じゃあんなに偉そうにしているお堅い同僚が、まさかこんな淫らな格好で、多くの男性に囲まれて媚びを売ってたなんてなぁ……」
「や、やめて……っ、おねがい……」
網代は涙目を浮かべ、俺のスーツの袖をすがるように掴んできた。
あの鉄面皮で気位の高い網代真緒菜が、今、俺に完全に屈服し、怯えて泣きそうになっている。
ふふっ……ははははっ!
声を殺してあざ笑った。
俺の胸の奥底で燻っていた、どす黒い支配欲。それが完全に満たされ、爆発的な快感となって全身を駆け巡った。
俺は彼女のすべてを握り潰せる。これから先、この女は俺の思い通りに動く完璧なオモチャになるのだ。俺はこれ以上ないほどの絶対的な優越感と、甘美な全能感の絶頂に酔いしれていた。




