第3話 悪役令嬢、実家へ帰る
翌朝。
王都は大騒ぎだった。
『王太子、ついに婚約破棄か』
『悪役令嬢失脚』
『未来の王妃交代か』
貴族たちは好き勝手に噂し、新聞屋は朝から飛ぶように売れ、社交界は蜂の巣を突いたような騒ぎになっていた。
なお。
その頃、渦中の王太子は。
「…………」
死んでいた。
「殿下、生きてください」
側近のクラウスが声をかけても返事がない。
執務室の机へ突っ伏したまま、ぴくりとも動かなかった。
「……私は、何を言った?」
「覚えてないんですか」
「覚えているから聞いている」
クラウスは深いため息を吐いた。
「最低でしたね」
「やはりそうか……」
「むしろなぜ“いける”と思ったんです?」
「嫉妬していた」
「知ってます」
「……他の男に笑いかけていた」
「社交です」
「分かっている」
「分かってないからこうなってるんですよ」
正論が王太子へ突き刺さる。
アルヴェインは額を押さえた。
昨夜の光景が頭から離れない。
リリアーナの顔。
傷ついた目。
静かな声。
完璧な礼。
そして去っていく後ろ姿。
思い出すだけで胃が痛い。
「……嫌われたかもしれん」
「今さらですか」
「クラウス」
「はい」
「胃が痛い」
「知ってます」
そんな王太子を見ながら、側近は思う。
(この人、戦場では冷静なのに恋愛だけ本当に駄目だな……)
一方その頃。
エヴァレスト公爵邸では。
「リリアーナお嬢様がお帰りです!!」
使用人の声が屋敷中へ響いた。
玄関ホールへ、公爵夫妻が飛び出してくる。
「リリアーナ!」
「お父様、お母様」
リリアーナはいつも通り美しかった。
背筋は伸び、表情も穏やか。
完璧な公爵令嬢。
……に見えた。
だが。
娘を十数年育てた親に誤魔化せるわけがない。
「部屋へ行きましょう」
公爵夫人ミレイユが即座に言った。
「はい……」
返事が小さい。
公爵の眉間に皺が寄る。
数十分後。
公爵家私室。
ソファへ座ったリリアーナへ、温かい紅茶が差し出される。
「……ありがとうございま――」
「で?」
父だった。
低い声。
「何を言われた」
「お父様」
「泣かされたのか」
「泣いてませんわ」
「今にも泣きそうだ」
リリアーナが黙る。
すると公爵夫人が優しく娘の髪を撫でた。
「リリアーナ」
柔らかな声。
「ここには、貴女を裁く人間はいません」
その一言で。
リリアーナの肩が、小さく震えた。
「……っ」
俯く。
唇を噛む。
それでも涙を堪えようとして。
でも。
「……わたくし、分からないのです」
ぽつり、と。
零れた声は弱かった。
「殿下は、時々とても優しくて……でも突然、突き放すようなことを仰って……」
苦しそうだった。
「嫌われているのなら、諦められますのに……」
公爵夫妻が顔を見合わせる。
はい両想い。
知ってた。
父親だけはちょっと殺意が残っていたが。
「お父様、顔が怖いです」
「気のせいだ」
「気のせいではありません」
公爵夫人が呆れる。
「あなた、今にも王宮へ殴り込みに行きそうな顔してますわ」
「娘を泣かせた男が悪い」
「まだ泣いてませんわ」
「時間の問題だ」
昨日も聞いた会話だった。
一方その頃。
王宮では。
「なるほど」
王妃エレノアは静かに頷いた。
「リリアーナ嬢は実家へ戻られたのですね」
「はい……」
アルヴェインが死んだ声で答える。
王妃は微笑んだ。
美しい笑顔。
だが息子は知っている。
これは怒っている時の顔だ。
「アルヴェイン」
「はい」
「わたくし、以前申し上げましたよね?」
「……はい」
「“考え直す”“距離を置く”“婚約破棄”系の言葉は禁止、と」
「はい……」
「では、なぜ言いましたの?」
王太子、沈黙。
王妃はにっこり笑った。
「説明を」
「嫉妬を……」
「はい」
「しました……」
「誰に」
「第三騎士団長子息です……」
「なぜ」
「リリアーナが笑いかけていたので……」
王妃、深いため息。
「それで?」
「頭に血が上りました……」
「つまり」
王妃は優雅に結論づける。
「恋愛で暴走したのですね」
「…………はい」
完全敗北だった。
その横で国王が腕を組む。
「お前、昔の私そっくりだな」
「陛下はもう少し酷かったですわ」
「やめろ」
「事実でしょう?」
王太子は思った。
(父上もこんな感じだったのか……)
嫌な遺伝である。
すると。
部屋の隅で死んだ魚みたいな目をしていたセレスが、ぼそりと呟いた。
「まだ終わってませんよ……」
全員がそちらを見る。
占星術師は星盤を睨みながら、青ざめていた。
「破局運命、消えてない……むしろ強くなってる……」
「なんですって?」
王妃の声が低くなる。
セレスは震える声で続けた。
「このままだと、本当に婚約破棄まで行きます……!」
沈黙。
そして。
「「「「は???」」」」
本日二度目の悲鳴が、王宮へ響き渡った。




