番外編 選ぶということの先
部屋のドアを閉める。
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静かだった。
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さっきまで聞こえていた声が、少し遠くなる。
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綾は、そのまま立っていた。
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動かない。
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動けない、の方が近い。
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胸の奥に、いろんなものが残っている。
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父の声。
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母の言葉。
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あの人の、静かな声。
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「……」
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ベッドに腰を下ろす。
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手を見る。
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何も変わっていない。
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それでも。
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さっきまでとは、少し違う。
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「……重い、か」
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小さく呟く。
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父の言葉を、なぞる。
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確かに、重い。
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過去も。
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選択も。
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覚悟も。
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全部。
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簡単に受け取っていいものじゃない。
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「……でも」
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顔を上げる。
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天井を見る。
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逃げる理由は、いくらでもある。
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怖い。
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同じことが起きるかもしれない。
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また、失うかもしれない。
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それでも。
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「……だから、どうするか」
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問いは、そこだった。
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過去があるから、やめるのか。
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それとも。
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過去がある人と、一緒に生きるのか。
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「……」
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少しだけ、笑う。
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「分かりやすいな」
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答えは、もう出ている。
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ずっと前から。
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ただ、言葉にしていなかっただけ。
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あの人は、逃げないと言った。
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結果がどうであれ、引き受けると。
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だったら。
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「……私も」
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小さく、息を吐く。
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「逃げない」
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それだけ。
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それで、決まる。
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立ち上がる。
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迷いは、もうない。
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――翌日。
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自動ドアが開く音。
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いつもの音。
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それでも。
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今日は、少しだけ違う。
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レジの向こうに、世古が立つ。
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変わらない顔。
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変わらない距離。
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「いらっしゃいませ」
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いつも通り、声を出す。
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会計を終える。
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それも、いつも通り。
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それでも。
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今日は、終わらせない。
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「……少し、いいですか」
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世古が、視線を上げる。
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「はい」
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短い返事。
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それだけで、十分だった。
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店の外。
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人の流れ。
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日常の音。
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その中で、二人だけが少し止まる。
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「……昨日の話」
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綾が、口を開く。
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「聞きました」
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世古は、何も言わない。
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否定もしない。
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「……全部、分かった上で言ってますよね」
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確認。
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「はい」
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即答。
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やっぱり、この人はそういう人だ。
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綾は、少しだけ息を吐く。
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それから。
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まっすぐ見る。
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「じゃあ、結婚してください」
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一拍。
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空気が止まる。
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世古の目が、わずかに動く。
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初めての反応。
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「……」
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言葉が、出ない。
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珍しい。
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綾は、少しだけ笑う。
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「そうでもしないと、言わないでしょ」
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軽く言う。
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でも。
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本気だった。
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「付き合うとか、順番とか」
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肩をすくめる。
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「そういうの、たぶん全部飛ばす人ですよね」
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世古は、まだ黙っている。
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考えている。
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逃げてはいない。
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「私は」
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綾が、続ける。
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「全部分かってるつもりです」
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過去。
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怖さ。
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リスク。
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「それでも、いいと思ってます」
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言い切る。
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揺れない。
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「だから」
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一歩、踏み込む。
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「結婚してください」
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もう一度。
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同じ言葉。
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今度は、少しだけ柔らかく。
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世古が、ゆっくりと息を吐く。
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視線を、落とさない。
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「……本来は」
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言いかけて、止める。
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それから。
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「……いいのですか」
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短い問い。
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確認。
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綾は、すぐに頷く。
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「はい」
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迷いはない。
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それを見て。
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世古は、ほんのわずかに目を閉じる。
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一瞬だけ。
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それから、開く。
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「……承知しました」
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短い答え。
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それだけ。
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でも。
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それで、すべてが決まる。
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綾は、少しだけ笑う。
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「はい」
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それでいい。
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それで、十分だった。
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自動ドアが、また開く。
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同じ音。
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それでも。
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もう、同じ意味ではなかった。




