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毎日来る副校長が、なぜか“会計の瞬間だけ消える”話  作者: おみき
番外編 エピローグを遡って
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特別編 見送った後で

玄関の戸が、静かに閉まる。



外の足音が、少しずつ遠ざかる。



しばらく、誰も動かない。



居間に戻っても、すぐには座らなかった。



父が、ゆっくりと息を吐く。



「……帰ったな」



短い言葉。



母が、小さく頷く。



「そうね」



それだけ。



湯のみの茶が、少し冷めている。



父が、それを一口飲む。



苦い。



「……重いな」



ぽつりと、言う。



母は、すぐには答えない。



「ええ」



やがて、小さく返す。



「軽い話じゃないわね」



沈黙が落ちる。



テレビもついていない。



時計の音だけが、やけに響く。



父が、腕を組む。



「……あいつ」



少しだけ言葉を探す。



「全部、自分で背負ってる顔してたな」



母が、少しだけ目を伏せる。



「そうね」



静かに同意する。



「隠そうとも、していなかった」



それが、余計に重い。



父が、鼻で息を吐く。



「……正直なやつだ」



褒めているのか、分からない言い方。



母が、少しだけ笑う。



「あなた、そういう人、嫌いじゃないでしょ」



父は、少しだけ視線を外す。



「……嫌いじゃない」



短く言う。



それから。



「だがな」



一拍。



「娘に背負わせるには、重すぎる」



本音だった。



母は、ゆっくりと頷く。



「ええ」



否定しない。



「私も、そう思うわ」



それでも。



言葉は続く。



「でも」



少しだけ、顔を上げる。



「それを分かった上で、ここに来たのよね」



父が、黙る。



「普通は、隠すわ」



母の声は、穏やかだった。



「言わなければ、楽なのに」



それでも言った。



その事実。



父が、もう一度息を吐く。



「……ああ」



短い同意。



それから、少しだけ低く言う。



「仕事のこともな」



視線が、少しだけ遠くを見る。



「俺に仕事を用意した」



「借金も、整理した」



一つずつ、確認するように。



「医者も、連れてきた」



「手術も、金も」



言葉が、少し荒くなる。



「全部、あいつだ」



沈黙。



それは事実だった。



母が、静かに言う。



「……でも、押し付けてはいない」



父が、顔を上げる。



「選ばせてくれたわ」



働くかどうか。



治療を受けるかどうか。



全部。



母が、少しだけ目を細める。



「助けてはいるけど、奪ってはいない」



その言葉に、父はしばらく黙る。



やがて。



「……そうだな」



小さく認める。



それから、少しだけ声を落とす。



「……山下ってやつも」



母が、頷く。



「ええ」



言葉が、少しだけ重くなる。



「あの子、体を削ったのよね」



父が、目を閉じる。



「……ああ」



短い返事。



それだけで、分かる。



「それでも、何も言わない」



母が、ぽつりと。



父が、苦く笑う。



「そういう連中なんだろうな」



誰かのために動いて、



それを口にしない。



「……あいつも、同じだ」



世古のことだった。



母が、静かに言う。



「だから、あの話もしたのね」



父が、ゆっくりと頷く。



「……ああ」



妻子の話。



守れなかった過去。



「普通は、言わん」



父の声は低い。



「言えば、嫌われるかもしれん」



それでも言った。



「……逃げてない」



ぽつりと、言う。



母が、少しだけ微笑む。



「ええ」



それから、ゆっくりと。



「怖かったと思うわ」



父が、何も言わない。



否定できない。



「それでも、来た」



母の言葉は、静かだった。



「それだけで、十分な理由になる人もいるわ」



父が、腕を組む。



しばらく考える。



長く。



それから。



「……綾は」



短く言う。



「もう決めてる顔してたな」



母が、優しく頷く。



「ええ」



それが、すべてだった。



父が、最後に言う。



「……だったら」



一拍。



「俺たちが止める話じゃない」



はっきりと。



それで終わり。



母が、少しだけ笑う。



「そうね」



その声は、やわらかい。



「見守るしかないわね」



それが、親の選択だった。



そのとき。



廊下の向こうで、わずかな音がする。



綾が、壁にもたれて立っていた。



気づかれていない。



そのまま、静かに聞いている。



胸の奥が、少しだけ熱い。



涙は出ない。



でも。



何かが、確かに残る。



父と母の声。



迷い。



受け入れ。



全部。



「……」



何も言わずに、そっと自分の部屋に戻る。



ドアを閉める。



静かに。



それでいいと思った。



それで、十分だった。


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