特別編 告白
夜の相王子は、昼よりも音が多い。
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遠くの車の音。
どこかの家のテレビ。
生活の気配が、途切れない。
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その中で。
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平泉家の居間だけが、少しだけ静かだった。
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「……どうぞ」
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父の声で、場が整う。
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世古は、座布団の上で姿勢を正す。
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綾は、その少し後ろに座っている。
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視線は、落としていない。
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逃げないと決めている顔だった。
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母が、湯のみを置く。
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小さな音が、やけに響く。
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「……お時間をいただき、ありがとうございます」
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世古が、頭を下げる。
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丁寧な言い方。
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でも。
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その奥にあるものは、軽くない。
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父が、腕を組む。
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「……話があるんだろ」
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促すでも、急かすでもない。
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ただ、受ける準備がある声。
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世古は、一度だけ息を吸う。
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そして。
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「私は――」
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言葉を置く。
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「過去に、家族を守ることができませんでした」
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部屋の空気が、わずかに変わる。
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母の手が、ほんの少しだけ止まる。
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綾は、動かない。
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父は、目を逸らさない。
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「妻と、子どもがいました」
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短く。
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必要な分だけ。
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「……事故か」
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父の声は低い。
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詰めるでも、責めるでもない。
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ただ、確認する。
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「……いいえ」
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世古は、首を振る。
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「私の判断です」
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はっきりと。
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逃げない。
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「……守れた可能性があった」
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言葉が続く。
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「それでも、私は別の選択をしました」
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綾の指先が、わずかに動く。
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でも、何も言わない。
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「結果として」
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一拍。
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「守れませんでした」
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それで、全部だった。
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沈黙が落ちる。
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長い。
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だが、誰も急がない。
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父が、ゆっくりと口を開く。
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「……その話を、なぜここでする」
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場所を含んだ問いだった。
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世古は、迷わない。
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「ここで生活されているご家族に対して、お伝えするべきことだと考えました」
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相王子。
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綾の現実。
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その中心で言う意味。
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父は、わずかに目を細める。
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「……それで」
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短く促す。
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世古は、続ける。
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「綾さんを、好きです」
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静かな言葉。
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「お付き合いをさせていただきたいと考えています」
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頭を下げる。
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深く。
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それは形式ではなく、意思だった。
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父が、息を吐く。
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「……重いな」
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ぽつりと。
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それは否定ではない。
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事実の確認。
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「軽くはありません」
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世古は、即答する。
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「軽く扱うつもりもありません」
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言い切る。
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逃げない。
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父が、少しだけ前に身を乗り出す。
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「……また同じことが起きたらどうする」
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まっすぐな問い。
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「守れなかった過去がある」
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「その先で、同じ状況になったら」
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一拍。
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「今度は、守れるのか」
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世古は、少しだけ目を伏せる。
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ほんの一瞬。
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それから、戻す。
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「……分かりません」
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正直な答え。
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逃げない。
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「結果は、保証できません」
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父の視線が、鋭くなる。
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それでも。
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世古は続ける。
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「ですが」
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一度、息を吸う。
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「今度は、逃げません」
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短い。
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でも、揺れない。
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「どのような結果であっても」
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一拍。
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「引き受けます」
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その言葉が、静かに落ちる。
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母が、ゆっくりと口を開く。
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「……あなたは」
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優しい声。
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「そのことを、ずっと背負ってきたんですね」
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世古は、答えない。
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答える必要がない。
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それが答えだった。
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母は、小さく頷く。
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「それでも、もう一度誰かと向き合おうとしている」
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少しだけ微笑む。
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「それは、とても怖いことだと思います」
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綾の目が、わずかに揺れる。
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母の言葉は、優しい。
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でも、逃がさない。
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父が、ゆっくりと背を戻す。
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「……綾はどう思ってる」
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初めて、綾に向けられる。
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綾は、少しだけ息を吸う。
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時間をかけない。
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「……一緒にいたいと思っています」
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はっきりと。
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迷いは、ない。
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父は、その言葉を受け止める。
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すぐには、何も言わない。
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やがて。
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「……そうか」
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短く言う。
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それから、世古に視線を戻す。
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「全部分かった上で来たんだな」
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確認。
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「はい」
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即答。
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「なら」
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一拍。
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「反対はしない」
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はっきりと。
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その一言で、場が変わる。
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綾の肩が、ほんの少しだけ下がる。
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母が、静かに頷く。
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「ただし」
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父が続ける。
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「綾を泣かせるようなことがあったら」
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少しだけ、目が強くなる。
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「そのときは、俺が出る」
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短い言葉。
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それで十分だった。
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世古は、深く頭を下げる。
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「承知しています」
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それ以上は言わない。
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言えない。
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窓の外。
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相王子の夜は、変わらず動いている。
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音も、光も、止まらない。
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その中で。
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ひとつ、決まったことがある。
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それは、特別なものじゃない。
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でも。
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確かに、現実の中で選ばれたものだった。




