第86話 名前のない形
夜の公園は、静かだった。
ベンチの上、少しだけ冷えた空気。
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綾は、ゆっくりと座る。
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待っているわけじゃない。
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それでも。
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少しだけ、ここに来る理由がある。
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足音が近づく。
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顔を上げる。
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――来た。
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「こんばんは」
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「こんばんは」
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同じやり取り。
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同じ時間。
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それでも。
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前とは違う。
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言葉にしなくても分かる。
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少しだけ、間をあけて座る。
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距離は変わらない。
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でも。
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近さが違う。
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風が通る。
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何も話さない時間。
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長く続く。
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それでも。
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沈黙は、重くない。
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「……最近」
綾が、ぽつりと口を開く。
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言葉を探す。
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「少しだけ、分かる気がします」
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前にも言った言葉。
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でも。
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今回は、少しだけ違う意味を持つ。
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世古は、静かに聞いている。
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「全部じゃないですけど」
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「でも」
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少しだけ息を吸う。
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「選ぶっていうのが、どういうことか」
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言葉にする。
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完全ではない。
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それでも。
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自分の言葉だった。
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世古は、ほんのわずかに頷く。
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「そうですか」
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短い言葉。
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それ以上は言わない。
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それでも。
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否定もしない。
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綾は、少しだけ空を見る。
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夜は変わらない。
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それでも。
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自分の見え方は変わっている。
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「……ありがとうございます」
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自然に出た言葉。
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前よりも、少しだけはっきりしている。
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世古は、少しだけ視線を動かす。
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「……必要なことを、しただけです」
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前と同じ言葉。
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それでも。
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今は、少し違って聞こえる。
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綾は、小さく頷く。
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「……それでも、です」
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それだけ。
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それ以上は言わない。
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言わなくても、いいと思えた。
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しばらくして、世古が立ち上がる。
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「……では」
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「はい」
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同じ別れ。
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それでも。
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もう、最初と同じではない。
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世古が歩き出す。
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背中が、少しだけ遠くなる。
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追いかけない。
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呼び止めない。
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それでも。
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ここにあるものは、消えない。
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綾は、しばらくそのまま座る。
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そして。
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ゆっくりと立ち上がる。
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帰り道。
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どちらに進むか、迷わない。
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自然に、足が動く。
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それが、答えだった。




