第71話 踏み込まない距離
自動ドアが開く音で、顔を上げる。
ほんの少しだけ、息が止まる。
――来た。
⸻
「いらっしゃいませ」
声は、いつも通り。
⸻
その人は、棚の前で立ち止まる。
今日は、商品を手に取るまでに、少しだけ時間がかかった。
ほんの一瞬の差。
けれど、分かる。
⸻
包帯と消毒液。
前と同じ組み合わせ。
⸻
レジに来る。
同じ距離。
同じ立ち方。
⸻
「袋、いりません」
⸻
「ポイントカードはお持ちですか」
⸻
「……持っていたことはあります」
⸻
同じやり取り。
⸻
それでも。
⸻
綾は、ほんの一瞬だけ迷う。
⸻
言うべきか、言わないべきか。
⸻
そして。
⸻
「……お大事に」
⸻
気づいたら、口にしていた。
⸻
空気が、わずかに止まる。
⸻
その人の手が、一瞬だけ止まる。
⸻
ほんのわずかな間。
⸻
「……ありがとうございます」
⸻
低い声。
⸻
前と同じはずなのに、少しだけ違って聞こえた。
⸻
会計を終える。
商品を渡す。
⸻
指先が、少しだけ触れる。
⸻
今度は、冷たくなかった。
⸻
その人は、すぐには動かなかった。
⸻
「……」
何かを言うかのような間。
⸻
けれど。
⸻
「……忙しいですか」
⸻
前と同じ問い。
⸻
綾は、少しだけ考える。
⸻
「……前よりは」
⸻
正確じゃない。
でも、嘘でもない。
⸻
「少しだけ、楽になりました」
⸻
その言葉に、自分で少し驚く。
⸻
世古は、わずかに頷く。
⸻
「そうですか」
⸻
短い返事。
⸻
それでも。
⸻
ほんの少しだけ、安心したように見えた。
⸻
その人は、商品を受け取る。
⸻
そして、今度は立ち止まらない。
⸻
自動ドアへ向かう。
⸻
音が鳴る。
⸻
外に出る、その直前。
⸻
「……それは、よかった」
⸻
小さな声。
⸻
振り返らずに、そう言った。
⸻
ドアが閉まる。
⸻
音が、静かに残る。
⸻
綾は、その場に立ったまま、少しだけ息をつく。
⸻
踏み込んだわけじゃない。
⸻
それでも。
⸻
ほんの少しだけ、距離が変わった気がした。




