第69話 背中の変化
実家の扉を開ける。
いつもと同じはずの音。
けれど、少しだけ軽く聞こえた。
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「ただいま」
声をかける。
少しして、奥から返事が返ってくる。
「おう」
短い声。
でも、前より少しだけ早かった。
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靴を脱いで上がる。
部屋の空気が、前と違う。
重さがなくなったわけじゃない。
ただ、沈んでいない。
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台所の方から、音がする。
包丁の音。
一定のリズムで、刻む音。
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覗くと、父が立っていた。
野菜を切っている。
手つきは、少しぎこちない。
でも、止まらない。
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「……珍しいね」
思わず口に出る。
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「たまにはな」
振り向かずに返す。
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それだけの会話。
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けれど。
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その背中が、少しだけ違って見えた。
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丸まっていたはずの肩が、ほんの少しだけ開いている。
立ち方に、迷いが少ない。
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「仕事、どうだったの」
自然に聞いていた。
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少しだけ、間があく。
包丁の音が、一度止まる。
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「……まあ、悪くない」
それから、また動き出す。
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「細かいとこ、ちゃんと見てる」
誰に言うでもなく、続ける。
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「無駄がない」
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その言葉に、少しだけ熱があった。
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綾は、それ以上聞かなかった。
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聞いてしまうと、言葉にしてしまうと、
この変化が崩れる気がした。
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「そっか」
それだけ返す。
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包丁の音が、また一定のリズムで続く。
その音が、部屋に静かに広がる。
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「……明日も行く」
ぽつりと、父が言う。
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決意、というほど強くはない。
でも、迷いでもない。
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「うん」
綾は、短く頷く。
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それで十分だった。
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テーブルの上を見る。
あの封筒は、もうなかった。
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どこにいったのかは、分からない。
聞こうとも思わなかった。
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代わりに、作業着が一つ、椅子にかけてある。
まだ新しいもの。
少しだけ、サイズが合っていない。
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父のものだと、すぐに分かる。
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綾は、それに触れなかった。
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ただ、少しだけ、安心した。
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同じ家。
同じ場所。
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それでも。
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ほんの少しだけ、違う場所になっていた。




