第60話 嫉妬って…独占って
名前のない独占
昼。
ドラッグストア。
いつも通りの時間。
綾は、レジに立っている。
手は動く。
声も出る。
全部、問題ない。
――はずなのに。
少しだけ、気になる。
入口の方。
無意識に、何度か視線が向く。
理由は、分かっている。
でも。
認めるほどではない。
自分の中で、まだ。
そこまでじゃない。
自動ドアが開く。
音。
綾は、顔を上げる。
――違う。
世古じゃない。
それだけで。
ほんの少しだけ、何かが落ちる。
自分でも気づかないくらいの、小さな落差。
すぐに、戻す。
「いらっしゃいませ」
声は、いつも通り。
⸻
数分後。
また、音。
今度は。
分かる。
視線を上げる前に。
分かる。
世古が入ってくる。
いつも通り。
それだけ。
それなのに。
胸の奥が、少しだけ軽くなる。
綾は、何も考えない。
考えないまま。
ほんの少しだけ、姿勢を整える。
それだけ。
⸻
そのとき。
先に、声がかかる。
「先生」
綾の手が、止まりかける。
止めない。
動かす。
でも。
耳は、完全にそっちを向く。
世古が、足を止める。
声の方を見る。
女性。
前にも見た顔。
落ち着いた雰囲気。
距離が近い。
「この前の件、助かりました」
柔らかい声。
慣れている。
綾は、商品をスキャンする。
ピッ。
ピッ。
音が、やけに大きく聞こえる。
世古は、短く返す。
「そうですか」
それだけ。
女性は、少しだけ笑う。
「また相談してもいいですか?」
同じ流れ。
前と同じ。
それなのに。
綾の中では、違う。
「内容によります」
世古が答える。
いつも通り。
変わらない。
変わらないのに。
綾は、少しだけ息を詰める。
――来る。
また来る。
そう思ってしまう。
女性は、軽く頷く。
「じゃあ、また」
そう言って、少しだけ下がる。
完全には離れない。
距離を残したまま。
その感じが、やけに引っかかる。
⸻
世古が、レジに来る。
いつも通り。
それだけ。
それなのに。
綾の中は、少しだけ静かじゃない。
「いらっしゃいませ」
声が出る。
少しだけ固い。
自分でも分かる。
「袋、いりません」
同じやり取り。
綾は、頷く。
商品をスキャンする。
ピッ。
音が、整わない。
ほんの少しだけ、ズレる。
世古が、わずかに視線を落とす。
気づいている。
それでも、何も言わない。
それが、余計に気になる。
綾は、口を開く。
考えていない。
出てしまう。
「……さっきの方」
言ってから、少しだけ遅れて気づく。
踏み込んでいる。
でも。
止めない。
世古が、短く返す。
「保護者です」
それだけ。
説明はしない。
綾は、小さく頷く。
「……よく、来るんですか」
続ける。
自然なふりをして。
自然じゃない。
自分でも分かっている。
世古は、少しだけ間を置く。
「たまにです」
曖昧。
珍しい。
綾は、少しだけ視線を上げる。
世古を見る。
ほんの一瞬。
「……そうなんですね」
それだけ言う。
それ以上は、続けない。
続けられない。
⸻
会計が終わる。
商品を渡す。
指先が触れる。
いつも通り。
それなのに。
綾は、ほんの少しだけ強く握る。
一瞬だけ。
すぐに離す。
自分でも、理由が分からない。
世古は、何も言わない。
それでも。
ほんのわずかに、手が止まる。
それだけ。
⸻
世古が、店を出る。
背中が遠ざかる。
綾は、見ない。
見ないまま。
レジに戻る。
⸻
「……あーあ」
後ろから声。
同僚。
綾は、振り返らない。
「今の、完全に出てたよ」
楽しそうな声。
隠していない。
「何がですか」
綾は、淡々と返す。
同僚は、笑う。
「独占欲」
一言。
はっきりと。
綾の手が、止まる。
今度は、はっきりと。
「違います」
すぐに否定する。
間を置かずに。
強く。
同僚は、少しだけ目を細める。
「ふーん」
それだけ。
信じていない顔。
「まあ、いいけど」
また、それ。
でも。
今度は、少しだけ優しい。
「気づくの、遅いと大変だよ」
ぽつりと。
綾は、何も言えない。
言葉が、出てこない。
⸻
レジに立つ。
次の客。
「いらっしゃいませ」
声は、いつも通り。
でも。
胸の奥が、少しだけ違う。
さっきの言葉。
独占欲。
頭の中で、繰り返される。
違う。
はず。
そう思う。
それでも。
完全には、否定できない。
なぜか。
さっきの女性の顔が、浮かぶ。
距離。
声。
空気。
全部。
少しだけ、嫌だった。
理由は、分からない。
分かりたくもない。
それでも。
消えない。
綾は、小さく息を吐く。
まだ。
名前はつけない。
つけられない。
でも。
それは、もう。
そこにあった。




