第57話 綾、負けません
静かな牽制
昼。
ドラッグストア。
いつもと同じ時間。
同じ景色。
それなのに。
空気が、少しだけ違う。
綾は、レジに立っている。
手は動く。
声も出る。
でも。
視線を感じる。
直接じゃない。
遠くから。
何人か。
はっきりとは見ない。
でも、分かる。
見られている。
理由も、分かっている。
自動ドアが開く。
音がする。
綾は、顔を上げる。
世古が入ってくる。
いつも通り。
それだけ。
それなのに。
その瞬間。
店内の空気が、ほんの少し動く。
近くにいた女性客が、ちらりと見る。
別の棚の前の人も、少しだけ視線を向ける。
気づかないふりをしているだけで。
みんな、見ている。
世古は気にしない。
いつも通り、商品を手に取る。
そのまま、レジへ。
綾は、いつも通り声を出す。
「いらっしゃいませ」
少しだけ柔らかい。
それが、余計に目立つ。
「袋、いりません」
同じやり取り。
それだけ。
それなのに。
背中に、視線が増える。
気のせいじゃない。
分かる。
綾は、商品をスキャンする。
ピッ、という音。
その中で。
横から、声が入る。
「先生」
知らない声。
でも。
近い。
綾は、ほんの少しだけ顔を上げる。
レジの横に、女性が立っている。
少しだけ年上。
落ち着いた雰囲気。
でも。
視線は、真っ直ぐ世古に向いている。
「この前の件、ありがとうございました」
丁寧な言葉。
でも。
距離は近い。
世古は、軽く頷く。
「別に」
短い。
いつも通り。
女性は、少しだけ笑う。
「また相談してもいいですか?」
綾の手が、ほんの少しだけ止まる。
すぐに動かす。
止まっていないふりをする。
世古は、少しだけ間を置く。
「内容によります」
はっきりと。
曖昧にしない。
女性は、それでも引かない。
「じゃあ、また来ますね」
軽く言う。
綾は、視線を落としたまま聞いている。
聞かないふりをしながら。
全部、入ってくる。
――また来る。
その言葉だけが、残る。
会計が終わる。
商品を渡す。
指先が触れる。
いつもより、少しだけ短い。
綾が、先に離す。
世古は何も言わない。
そのまま、店を出る。
⸻
「……ねえ」
すぐに声が来る。
同僚。
綾は、振り返らない。
「今の見た?」
「普通ですけど」
間を置かずに返す。
準備していたみたいに。
同僚は、少し笑う。
「普通じゃないよ」
静かに言う。
さっきまでより、少しだけトーンが低い。
「さっきの人、保護者」
綾は、何も言わない。
「結構有名」
「積極的な人」
一つずつ、落とす。
逃げ場がない。
「で、あの感じ」
少しだけ間を置く。
「完全に来てるでしょ」
綾は、手を動かす。
止めない。
止めたら、終わる気がした。
「別に」
それだけ言う。
同僚は、少しだけ息を吐く。
「まあ、いいけど」
また、それ。
でも。
さっきまでと違う。
「でもさ」
一歩だけ近づく。
「あの人たち、本気だよ」
軽く言う。
でも。
軽くない。
「副校長って、結構ブランドだから」
冗談みたいに言う。
それでも。
現実。
綾は、何も言えない。
言葉が出てこない。
同僚は、少しだけ優しくなる。
ほんの少しだけ。
「早いよ?」
ぽつりと。
それだけ。
それ以上は言わない。
⸻
綾は、レジに立ったまま動かない。
胸の奥が、少しだけざわつく。
さっきの女性。
その前の人。
話に出ていた人たち。
全部、繋がる。
――本気。
その言葉が、残る。
綾は、ゆっくり息を吐く。
逃げられない。
もう。
分かっている。
自分が、どこに立っているのか。
そして。
何もしていなければ。
どうなるのかも。
次の客が来る。
「いらっしゃいませ」
声は、いつも通り。
でも。
その中に、ほんの少しだけ。
迷いが消えていた。




