第53話 綾は見たくない②
落ちていく夜
夜。
部屋は、静かだった。
灯りはついている。
テレビも消えていない。
それでも。
音が、入ってこない。
綾は、ベッドの端に座っている。
靴も脱いでいない。
そのまま。
動かない。
頭の中に、昼の光景が残っている。
何度も。
何度も。
同じ場面。
自動ドア。
並ぶ二人。
近い距離。
「先生」
その呼び方。
柔らかい声。
自然な会話。
全部。
消えない。
綾は、ゆっくりと息を吐く。
「……なんで」
小さく呟く。
理由は分かっている。
何もおかしくない。
学校の人。
保護者。
関わりがあって当然。
それなのに。
胸の奥が、重い。
じわじわと。
広がっていく。
「……関係ないのに」
そう言う。
自分に。
言い聞かせるみたいに。
関係ない。
本当に、関係ない。
付き合っているわけでもない。
約束もない。
ただの客と店員。
それだけ。
それなのに。
目を閉じると、浮かぶ。
世古の顔。
少しだけ柔らかくなった声。
あの女性に向けたもの。
自分に向けられていたものと、同じなのか。
違うのか。
分からない。
分からないのに。
比べてしまう。
「……バカみたい」
小さく笑う。
うまく笑えていない。
乾いた音だけが残る。
ベッドに倒れる。
天井を見る。
何もない。
白いだけ。
それなのに。
逃げ場がない。
「……嫌だ」
もう一度。
今度は、少しだけはっきり。
言葉にすると、形になる。
逃げられなくなる。
それでも。
止められない。
「……嫌だ」
同じ言葉が、繰り返される。
理由をつけようとする。
でも、つかない。
ただ。
そこにある。
それだけ。
綾は、顔を覆う。
息が、少しだけ浅くなる。
苦しいわけじゃない。
でも。
楽でもない。
中途半端に、残る。
「……取られたくない」
ぽつりと落ちる。
その言葉に、自分で止まる。
静かに。
時間が止まる。
今のは。
何だ。
誰を。
何を。
綾は、ゆっくりと手を下ろす。
天井を見る。
目を逸らさない。
逃げない。
「……そういうことか」
やっと。
言葉が、追いつく。
焦りじゃない。
違和感でもない。
もっと単純で。
もっと厄介なもの。
――欲しい。
その感情に、近い。
それを認めた瞬間。
胸の奥が、少しだけ軽くなる。
同時に。
少しだけ、怖くなる。
綾は、目を閉じる。
眠れる気はしない。
それでも。
そのまま、動かなかった。
夜は、長かった。




