第51話 演じる人間
谷河。
⸻
昔は違う名前を名乗っていた。
⸻
どちらでもいい。
⸻
名前なんて、呼ばれるためのものだ。
⸻
本質じゃない。
⸻
本質は、もっと奥にある。
⸻
俺は、なんでもできた。
⸻
勉強も。
⸻
運動も。
⸻
人付き合いも。
⸻
やればできる。
⸻
そういう人間だった。
⸻
周りは言う。
⸻
「才能あるよな」
⸻
「羨ましいわ」
⸻
「苦労したことないだろ」
⸻
笑いながら。
⸻
軽く。
⸻
本気でそう思っている顔で。
⸻
違う。
⸻
全部、違う。
⸻
俺は、努力していた。
⸻
見えないところで。
⸻
誰にも気づかれないように。
⸻
孤児だった。
⸻
それが、すべてだ。
⸻
親がいない。
⸻
帰る場所がない。
⸻
頼れる人間がいない。
⸻
それがどういうことか。
⸻
子どもでも分かる。
⸻
(ちゃんとしないと、消える)
⸻
必要とされなければ。
⸻
置いていかれる。
⸻
それが怖かった。
⸻
だから、やった。
⸻
全部。
⸻
完璧に。
⸻
でも、それだけじゃ足りない。
⸻
もう一つ必要だった。
⸻
“軽さ”
⸻
冗談。
⸻
笑い。
⸻
適当さ。
⸻
それを身につけた。
⸻
本気を見せないために。
⸻
深く踏み込まれないために。
⸻
「谷河ってさ、軽いよな」
⸻
「分かる、なんか本気出してない感じ」
⸻
その評価は、都合がよかった。
⸻
それでいい。
⸻
それで、生きてこれた。
⸻
⸻
T大学。
⸻
場所が変わっても、やることは同じだった。
⸻
やるべきことをやる。
⸻
期待に応える。
⸻
軽く振る舞う。
⸻
それだけ。
⸻
そのはずだった。
⸻
一人だけ。
⸻
違うやつがいた。
⸻
世古。
⸻
最初は、よく分からない男。
⸻
頭はいい。
⸻
でも、それを見せびらかさない。
⸻
人に合わせない。
⸻
それなのに。
⸻
浮かない。
⸻
むしろ。
⸻
妙に自然にそこにいる。
⸻
ある日。
⸻
いつも通り、適当に笑っていたときだった。
⸻
「お前さ」
⸻
世古が言う。
⸻
軽い調子で。
⸻
それなのに。
⸻
逃げ場がなかった。
⸻
「なんでワザと軽く見せてる?」
⸻
その一言で。
⸻
全部、見抜かれた。
⸻
笑って誤魔化す。
⸻
「は?なにそれ」
⸻
いつも通り。
⸻
それで終わるはずだった。
⸻
世古は、視線を外さない。
⸻
「お前、頑張り屋だろ」
⸻
淡々と。
⸻
当たり前みたいに言う。
⸻
「ちゃんとやってるやつの動きしてる」
⸻
逃げ道がない。
⸻
言い訳も、効かない。
⸻
全部、見えている。
⸻
谷河は、言葉を失った。
⸻
初めてだった。
⸻
見られたのは。
⸻
表じゃなくて。
⸻
中身を。
⸻
世古は、少しだけ間を置く。
⸻
それから。
⸻
「俺は、お前みたいな奴、好きだよ」
⸻
軽く言う。
⸻
何でもないことみたいに。
⸻
それだけ。
⸻
その瞬間。
⸻
崩れた。
⸻
守ってきたものが。
⸻
隠してきたものが。
⸻
音もなく。
⸻
崩れた。
⸻
理解された。
⸻
初めて。
⸻
全部じゃなくていい。
⸻
それでも。
⸻
本質を見られた。
⸻
それだけで。
⸻
十分だった。
⸻
⸻
今。
⸻
俺は、北山学園にいる。
⸻
主任として。
⸻
そして。
⸻
世古の下で働いている。
⸻
上司と部下。
⸻
それが、表の関係。
⸻
でも。
⸻
本当は違う。
⸻
あいつは、不器用だ。
⸻
真っ直ぐすぎる。
⸻
だから。
⸻
潰される。
⸻
簡単に。
⸻
理不尽に。
⸻
悪意に。
⸻
組織に。
⸻
俺は、それが分かる。
⸻
だから。
⸻
整える。
⸻
繋ぐ。
⸻
守る。
⸻
ピエロでいい。
⸻
軽くていい。
⸻
本気を見せなくていい。
⸻
それで。
⸻
あいつが動けるなら。
⸻
それでいい。
⸻
谷河は、少しだけ笑う。
⸻
静かな職員室で。
⸻
誰もいない場所で。
⸻
小さく、呟く。
⸻
「……貸しは、でかいぞ」
⸻
少しだけ間を置く。
⸻
それから。
⸻
「でもな」
⸻
視線を上げる。
⸻
遠くを見る。
⸻
「舞台に立ってるのは、あいつだ」
⸻
その言葉だけが残る。
⸻
静かに。
⸻
確かに。
⸻




