第41話 残っているもの
夜。
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静かな部屋。
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灯りは、ひとつだけ。
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机の上に、書類が並んでいる。
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以前と同じ。
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整っている。
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無駄がない。
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順番も。
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意味も。
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すべて、揃っている。
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それでも。
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少しだけ、違う。
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世古は、椅子に座っている。
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ゆっくりと、紙に目を通す。
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動きは変わらない。
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迷いもない。
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必要なところだけを見る。
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それだけの視線。
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それでも。
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どこか、力が抜けている。
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張り詰めていない。
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“崩れてはいない”けど、
“固まりきってもいない”。
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ふと、手が止まる。
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小さく息を吐く。
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深くはない。
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それでも。
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少しだけ、長い。
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机の端に、スマートフォンがある。
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画面は消えている。
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触れない。
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見ることもない。
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それでも。
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そこにある。
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置いたままにしている。
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“触れないままにしている”。
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頭の中に、音が残っている。
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「戻って」
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あの声。
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はっきりと。
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消えない。
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消そうとしていない。
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世古は、目を閉じる。
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一瞬だけ。
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思い出す。
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白い場所。
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何もない空間。
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音も。
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意味も。
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選択もない場所。
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終わっていた場所。
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そこにいた自分。
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動かなくてよかった自分。
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そして。
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残ったもの。
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「……あの子」
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小さく呟く。
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呼ぶほどでもない。
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忘れるほどでもない。
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その中間にある名前。
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それ以上は続かない。
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言葉にしない。
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形にしない。
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必要もない。
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ただ。
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残っている。
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消していない。
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それだけ。
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世古は、目を開ける。
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視線を戻す。
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書類へ。
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現実へ。
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仕事へ。
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変わらない日常。
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処理すべきもの。
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選ぶべきもの。
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整理すべきもの。
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全部、変わっていない。
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それでも。
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一つだけ。
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前と違う。
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選ばなくていいはずだったものが。
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まだ、残っている。
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“選ばないままにできなかったもの”。
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世古は、ペンを手に取る。
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少しだけ、考える。
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ほんの一瞬。
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それは、迷いではない。
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“置き場所を決める”時間。
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それから。
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何かを書く。
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短く。
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迷いなく。
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それで終わる。
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書いた内容は、見えない。
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ただ。
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“残すことを選んだもの”がある。
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ペンを置く。
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指先が、ほんのわずかに止まる。
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それから、離れる。
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椅子から立ち上がる。
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部屋を出る。
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静かに。
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いつも通りに。
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足音も、変わらない。
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それでも。
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どこかだけ。
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まだ、終わっていない。
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終わらせていない。
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そのまま、夜の中へ溶けていく。




