第40話 同じ音、違う意味
数日後。
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いつも通りの場所。
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レジに立つ。
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同じエプロン。
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同じ景色。
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それでも。
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少しだけ、世界が違う。
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色が変わったわけじゃない。
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音も、匂いも、同じ。
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ただ。
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“触れ方”が、違う。
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私は、呼吸を整える。
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浅くならないように。
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崩れないように。
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「いらっしゃいませ」
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声を出す。
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いつも通り。
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でも。
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前より、少しだけ軽い。
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押しつけていない声。
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自分のままの声。
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自動ドアが開く音。
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あの音。
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何度も聞いてきたはずなのに。
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今日は、少しだけ違って聞こえる。
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少しだけ。
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待っていた音みたいに。
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私は、顔を上げる。
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その人がいる。
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変わらないはずの姿。
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でも。
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ちゃんと戻ってきた姿。
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“消えなかった人”。
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「袋、いりません」
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同じ言葉。
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同じ温度。
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それだけで。
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胸の奥が、少しだけ温かくなる。
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私は、小さく頷く。
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商品をスキャンする。
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ピッ、という音。
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一定のリズム。
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変わらないはずの音。
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それが、少しだけ嬉しい。
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前と同じはずなのに。
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全部が違う。
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私は、少しだけ視線を上げる。
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その人を見る。
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ほんの一瞬だけ。
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目が合う。
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逸らさない。
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どちらも。
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逃げない。
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追わない。
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ただ。
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そこに置く。
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それだけの距離。
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「……お身体、大丈夫ですか」
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自然に出た言葉。
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考えていない。
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整えてもいない。
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そのまま。
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その人は、少しだけ間を置く。
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ほんの一瞬。
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どこまで答えるか、測るように。
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「まあ」
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短く答える。
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曖昧で。
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十分で。
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ちょうどいい。
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それ以上はいらない。
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それでも。
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それで、全部足りている。
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私は、小さく息を吐く。
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知らないうちに詰めていたものが、
少しだけほどける。
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商品を手渡す。
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そのとき。
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指先が触れる。
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ほんの一瞬。
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一瞬だけなのに。
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時間が、わずかに伸びる。
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熱が、伝わる。
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冷たくない。
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ちゃんと、生きている温度。
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それだけで。
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現実が、はっきりする。
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ここにいる。
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戻ってきている。
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私は、少しだけ指を引く。
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名残を残さないように。
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残りすぎないように。
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「ありがとうございました」
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私は、言う。
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今度は、少しだけ柔らかく。
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押しつけない。
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でも、逃げない。
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その人は、軽く頷く。
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そのまま、背を向ける。
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自動ドアが開く。
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外の光が入る。
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白く、強く。
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その中へ、歩いていく。
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足取りは、少しだけゆっくり。
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でも、止まらない。
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私は、その背中を見送る。
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前と同じ。
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それでも。
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もう、同じじゃない。
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“知っている背中”になっている。
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自動ドアが閉まる。
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いつもの音。
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それなのに。
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少しだけ、長く残る。
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余韻みたいに。
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私は、視線をレジに戻す。
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指先を見る。
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さっき触れた場所。
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何も残っていないはずなのに。
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ほんの少しだけ、感覚がある。
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消えないほどじゃない。
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でも、消えても困るくらい。
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次の客が来る。
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私は、顔を上げる。
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「いらっしゃいませ」
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日常は、続いていく。
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止まらない。
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それでいいと思った。
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全部が変わる必要はない。
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壊れる必要もない。
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ただ。
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少しだけ。
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意味が変わればいい。
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同じ言葉でも。
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同じ動きでも。
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そこにある気持ちが、少し違えばいい。
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それだけで。
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世界は、ちゃんと変わる。
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それだけで、十分だった。




