第39話 同じ場所
病室は、静かだった。
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窓から光が入っている。
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昼の光。
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柔らかい。
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あの日とは、違う。
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同じ昼なのに。
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まったく違う場所みたいだった。
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私は、ドアの前で立ち止まる。
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手をかける。
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少しだけ、迷う。
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深く息を吸う。
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ゆっくりと、開ける。
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中に入る。
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その人がいる。
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ベッドの上。
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上体を起こしている。
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包帯。
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点滴。
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それでも。
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ちゃんと、そこにいる。
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私は、少しだけ歩く。
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距離を詰める。
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近づきすぎないように。
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でも、離れすぎないように。
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「……こんにちは」
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声をかける。
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普通の言葉。
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それなのに。
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少しだけ震える。
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その人が、視線を向ける。
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今度は、ちゃんと合う。
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はっきりと。
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逃げ場のない距離で。
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「……どうも」
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短く返る。
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かすれている。
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それでも。
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いつもの調子だった。
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私は、少しだけ安心する。
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椅子に座る。
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何を話せばいいのか、分からない。
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沈黙が落ちる。
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重くはない。
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でも。
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軽くもない。
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逃げていない沈黙。
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私は、視線を落とす。
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言わないといけないことは、分かっている。
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それでも。
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うまく出てこない。
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少しだけ、息を整える。
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「……あのとき」
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やっと、言葉が出る。
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その人は、何も言わない。
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ただ、聞いている。
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「ありがとうございました」
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はっきりと。
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今度は、ちゃんと。
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言えた。
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その人は、少しだけ目を閉じる。
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ほんの一瞬。
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それから。
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「そうですか」
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それだけ。
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いつもと同じ。
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それなのに。
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少しだけ違う。
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私は、小さく笑う。
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うまく笑えていないかもしれない。
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それでも。
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少しだけ、楽になる。
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「……ごめんなさいも」
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続ける。
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「言ってなかったので」
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その人は、視線を外さない。
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逃げない。
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受け止めるだけ。
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それが、少しだけ怖い。
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「ひどいこと、言いました」
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正直に言う。
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言い切る。
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その人は、少しだけ視線を落とす。
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そして。
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「そうですね」
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あっさりと。
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肯定する。
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私は、少しだけ息を止める。
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でも。
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それでよかった。
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ごまかされるより。
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ずっといい。
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少しだけ、間がある。
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逃げることもできる。
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やめることもできる。
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それでも。
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私は、続ける。
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「……好きでした」
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小さく言う。
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静かに。
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逃げない声で。
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病室が、少しだけ止まる。
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音が、遠くなる。
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その人は、何も言わない。
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すぐには。
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ただ、少しだけ視線を外す。
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窓の方へ。
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光の方へ。
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そこに、何かを置くみたいに。
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そのあと。
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ゆっくりと、戻す。
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私の方へ。
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「そうですか」
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同じ言葉。
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それでも。
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今度は、少しだけ重い。
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受け取った重さ。
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私は、笑う。
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今度は、少しだけちゃんと。
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それでいいと思った。
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全部を返してほしいわけじゃない。
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答えがほしいわけでもない。
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ただ。
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届いたことが、分かればいい。
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その人は、少しだけ息を吐く。
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長くはない。
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でも、深い。
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そして。
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「……店、続けてますか」
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ふと、そんなことを聞く。
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私は、少しだけ驚く。
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それでも。
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「はい」
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すぐに答える。
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その人は、小さく頷く。
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「また、行きます」
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短く言う。
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それだけ。
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それなのに。
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胸の奥が、少しだけ温かくなる。
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私は、小さく頷く。
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「……待ってます」
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自然に出た言葉だった。
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作っていない。
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飾っていない。
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その人は、何も言わない。
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それでも。
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ほんの少しだけ。
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表情が緩む。
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気のせいかもしれない。
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それでも。
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確かに、そこにあった。
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それで、十分だった。




