第33話 間に合わない場所
救急車の中は、狭かった。
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音が近い。
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機械の音。
短い指示。
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すべてが、速い。
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時間だけが、ずれている。
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私は、ただ座っている。
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何もできない。
動けない。
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視線は、一点に固定されている。
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担架の上。
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あの人。
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動かない。
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呼ばれている。
触れられている。
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それでも。
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返ってこない。
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「意識なし!」
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声が飛ぶ。
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「呼吸、弱い!」
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言葉が重なる。
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意味は分かる。
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でも。
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理解しようとしない。
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できない。
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ただ。
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一つだけ。
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頭の中で繰り返される。
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――さっきまで。
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あそこにいた。
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レジの前に。
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いつも通りに。
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それが、繋がらない。
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現実にならない。
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救急車が止まる。
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扉が開く。
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光が、差し込む。
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一瞬だけ、現実が戻る。
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運び出される。
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私は、後ろからついていく。
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止められない。
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止まれない。
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井上総合病院。
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名前を見た瞬間、胸が重くなる。
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ここは。
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助かる場所のはずなのに。
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中に入る。
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白い光。
消毒の匂い。
冷たい空気。
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全部が、整っている。
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それなのに。
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何かが、間に合っていない。
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担架が押し込まれる。
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処置室。
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ドアが開く。
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その奥に。
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井上がいた。
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目が合う。
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一瞬だけ。
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時間が止まる。
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井上の表情が変わる。
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はっきりと。
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初めて見る顔。
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「……おい」
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低い声。
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それは。
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医者の声じゃなかった。
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人の声だった。
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「状況は!」
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すぐに切り替わる。
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指示が飛ぶ。
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周囲が動く。
機械が動く。
音が増える。
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私は、ドアの外に立っている。
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入れない。
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入らない。
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ただ、そこにいる。
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ガラス越しに見える。
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動かない体。
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動き続ける手。
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井上の手。
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迷いがない。
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それでも。
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どこか、強すぎる。
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“間に合わせるために、無理を通している”。
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そんな動きだった。
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「心停止」
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誰かが言う。
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その言葉が、静かに落ちる。
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私は、動けなかった。
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理解は、していない。
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それでも。
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分かる。
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間に合っていない。
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井上が、何かを言う。
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聞こえない。
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ただ、見える。
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諦めていない。
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止めない。
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普通なら。
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止めるはずのところで。
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止めていない。
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理由がある。
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そう思ってしまう。
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そう思いたい。
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時間が、伸びる。
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長すぎる。
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終わるべき時間を、越えている。
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それでも。
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終わらない。
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私は、壁にもたれかかる。
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力が入らない。
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それでも。
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目は、離せない。
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――ありがとう。
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言ってない。
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言っていないのに。
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その言葉だけが、残る。
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何度も。
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何度も。
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繰り返される。
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遅すぎる言葉。
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それでも。
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消えない。
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私は、口を開く。
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声は出ない。
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それでも。
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中に向かって。
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何かを伝えようとする。
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届かない。
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それでも。
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やめられない。




