第32話 見えてしまった場所
昼だった。
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いつも通りの時間。
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レジに立っている。
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同じ場所。
同じ動作。
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それでも。
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その日は、少しだけ違った。
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店内が、ざわついている。
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最初は、小さな違和感だった。
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「……煙?」
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誰かの声。
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私は、顔を上げる。
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店の外。
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ガラス越しに見える景色。
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北山学園。
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いつも見えているはずの場所。
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その上に。
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黒い煙が、上がっていた。
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一瞬、理解が遅れる。
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煙。
学校。
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結びつかない。
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結びつけたくない。
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それでも。
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次の瞬間。
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スタッフのスマートフォンが、一斉に鳴る。
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通知音。
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重なる。
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現実が、押し寄せる。
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「……学校から」
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誰かが、画面を見ながら言う。
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「火事……?」
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空気が、一気に変わる。
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「え、うちの子……」
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「どこ!?」
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保護者のスタッフが、声を上げる。
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ざわつきが広がる。
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店の中なのに。
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もう、店じゃない。
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私は、動けなかった。
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視線は、外に向いたまま。
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煙が、はっきり見える。
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現実として。
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そこにある。
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「副校長が指示出してるって」
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誰かの声。
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「避難は進んでるみたい」
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断片的な情報。
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それでも。
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一つの言葉だけが残る。
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副校長。
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私は、息を止める。
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思考が、追いつかない。
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それでも。
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体が動く。
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エプロンを外す。
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手が、少しだけ震える。
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気づけば、走り出していた。
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誰かが何か言っていた気がする。
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聞こえない。
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店を出る。
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外の空気。
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煙の匂いが、はっきりする。
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焦げた匂い。
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現実が、近づく。
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走る。
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ただ、走る。
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何も考えないように。
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考えたら、止まる。
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北山学園が、近づいてくる。
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煙が濃くなる。
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サイレンが響く。
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人の声が混ざる。
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現場が、目の前にある。
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足が、止まる。
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怖い。
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はっきりと。
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足が、動かなくなる。
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それでも。
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次の瞬間には、また走っていた。
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理由はない。
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止まれなかっただけ。
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人をかき分ける。
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中へ入ろうとする。
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止められる。
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「危険です!」
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強い声。
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現実に引き戻される。
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それでも。
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視線は、離れない。
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煙の中。
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何も見えないはずなのに。
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見ようとしてしまう。
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そのとき。
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担架が運ばれてくる。
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反射的に、目が向く。
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白いシート。
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その上の人。
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見えた。
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動かない。
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あの人。
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時間が、止まる。
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音が消える。
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何も聞こえない。
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ただ。
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そこにある現実だけが、はっきりする。
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――遅かった。
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その言葉が、浮かぶ。
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自分でも、信じていないのに。
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勝手に浮かぶ。
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「関係者ですか!」
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誰かに言われる。
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私は、何も考えなかった。
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考えたら、否定する。
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「……はい」
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気づけば、そう答えていた。




