第31話 最後の一人
昼だった。
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日常の中で、突然それは起きた。
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焦げた匂い。
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遠くで鳴る警報。
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最初は、小さな違和感だった。
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「……煙?」
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誰かの声。
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次の瞬間。
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非常ベルが鳴り響いた。
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校舎が、一気にざわつく。
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児童の声。
教師の叫び。
足音。
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全てが、一度に動き出す。
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「落ち着いて!」
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その声だけが、通る。
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世古だった。
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「一列で移動!」
「走るな!」
「前を見ろ!」
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短い指示。
迷いがない。
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状況を判断しているのではない。
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“もう判断は終わっている”。
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だから、速い。
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それだけで。
流れができる。
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混乱が、形になる。
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教師たちが動く。
児童が従う。
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「外に出ろ!」
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煙が広がる。
視界が悪くなる。
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火元は特定できない。
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それでも。
止まる理由にはならない。
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校庭。
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次々に児童が出てくる。
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点呼。
確認。
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「……全員か」
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「……いや」
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一人、足りない。
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空気が止まる。
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“最悪の可能性”が、現実に変わる瞬間。
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「どこだ」
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低い声。
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「三階、図工室で……」
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教師の声が震える。
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谷河が動く。
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「俺が行く」
2人の時にしか使わない言葉遣いで。
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即答だった。
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考えていないわけじゃない。
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考える前に、体が決めている。
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「場所、分かるな」
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「おう」
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短い確認。
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それ以上はいらない。
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谷河が走る。
煙の中へ。
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消える。
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世古は動かない。
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全体を見る。
流れを止めない。
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ここで動けば、全体が崩れる。
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だから、動かない。
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「他は全員外へ!」
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声が響く。
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教師が動く。
児童が誘導される。
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数分。
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長すぎる時間。
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煙が濃くなる。
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視界がさらに悪くなる。
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そのとき。
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世古は、校舎を見た。
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残っている“最後の一人”。
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そして。
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その場所に向かった人間。
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一瞬。
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全体と個を、同時に測る。
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そして。
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走る。
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煙の中へ。
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誰も止められない。
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止める理由が、もうない。
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――中
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谷河。
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腕の中に、児童。
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「……見つけた」
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軽い声。
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それでも。
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その声で、自分を保っている。
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児童は、ぐったりしている。
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意識があるかも分からない。
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「大丈夫だ、しっかりしろ」
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分かっている。
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大丈夫じゃない。
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それでも。
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“教師だから言う”。
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それが、役割だった。
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息が荒い。
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煙を吸っている。
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長くはもたない。
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崩れた天井。
塞がれた退路。
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残されたのは、わずかな穴だけ。
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「……おい、ここだ」
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声を張る。
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返事はない。
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それでも。
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“来る”と分かっている。
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その直後。
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気配。
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世古が来る。
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迷いなく。
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一直線に。
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児童を受け取る。
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「外へ」
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それだけ。
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説明はいらない。
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谷河が児童を押し上げる。
世古が引き上げる。
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連携ではない。
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“前提”だった。
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「よくやった」
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短く。
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その瞬間。
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音が変わる。
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軋み。
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空気が歪む。
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崩れる前の音。
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世古が振り返る。
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一瞬。
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構造を読む。
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落ちる位置。
時間。
重さ。
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全部を、瞬間で判断する。
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次の瞬間。
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崩れる。
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天井が落ちる。
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瓦礫が降る。
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音が、全てを飲み込む。
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世古が。
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谷河を押し出す。
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強引に。
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児童ごと。
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迷いはない。
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選択ではない。
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“決定”だった。
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校庭。
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誰も動けない。
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谷河が、振り返る。
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目を見開く。
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何も言えない。
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煙の向こう。
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何も見えない。
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それでも。
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分かる。
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あいつが。
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中にいる。
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動かないまま。




