第3話 名前のない違和感
自動ドアが開く音に、少しだけ敏感になっている。
気のせいだと思っても、身体の方が先に反応する。
顔を上げる。
違う。
そう思って、また手元に視線を落とす。
その繰り返しが、何度か続いていた。
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昼を過ぎた頃、店内は少しだけ落ち着いていた。
レジの前に人はいない。
ほんの短い、空白の時間。
そのとき。
自動ドアが開いた。
音が、少しだけ遅れて聞こえた気がした。
顔を上げる。
――迷わなかった。
そこにいた。
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整っているのに、どこか疲れている。
仕立てのいいスーツ。
袖口からのぞく腕時計。
無駄のない線で整っているのに、
ほんの少しだけ崩れて見える。
その違和感だけが、はっきりと残る。
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その人は、ゆっくりと店内を歩く。
商品を手に取って、少しだけ見て、戻す。
迷いはない。
けれど。
選んでいるようには見えなかった。
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やがて、その人がレジに来る。
私は、いつも通りに顔を上げる。
「いらっしゃいませ」
声は、少しだけ遅れた。
「袋、いりません」
前と同じ言葉。
同じ声。
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商品をスキャンする。
ピッ、という音が響く。
今度は、ちゃんとここで鳴っている。
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「ポイントカードはお持ちですか」
同じ流れ。
同じ言葉。
「……いいえ」
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――違う。
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前とは、違う答えだった。
ほんのわずかな違い。
それでも、はっきりと分かる。
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「前は、持っていたことがあるって言ってましたよね」
言ってから、ほんの少しだけ後悔する。
その人は、少しだけ視線を上げて、私を見る。
「……覚えているんですね」
静かな声だった。
「……なんとなくです」
そう答える。
その人は、ほんのわずかに目を細める。
「それは、いいことなのかもしれません」
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会計を終える。
釣り銭を渡す。
指先が、ほんの一瞬だけ触れる。
今度は、はっきりと触れた。
――普通だった。
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なのに。
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次の瞬間、その感触が思い出せなくなる。
触れたはずなのに、どこにも残っていない。
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「……ありがとうございました」
声をかける。
その人は、軽く頷いた。
自動ドアが開く。
振り返らないまま、外に出る。
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ほんの数秒。
視線を外して、レジに戻す。
もう一度、顔を上げる。
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――いない。
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さっきまで、そこにいたはずなのに。
ガラス越しにも、外の歩道にも、
それらしい姿は見えなかった。
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私は、何も言わずにレジに向き直る。
「あなたは――」
気づけば、声が出ていた。
けれど、その先は続かなかった。
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店内は、いつも通りの音で満ちている。
バーコードの音。
店内放送。
遠くで鳴るカゴの音。
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それでも。
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レジの上に置いた手を見る。
何も変わっていない。
触れたはずの感触も、そこには残っていなかった。
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私は、ゆっくりと息を吐く。
考えようとすれば、いくらでも考えられる。
理由を探すこともできる。
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それでも。
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――考えなければ、なかったことにできる。
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「いらっしゃいませ」
次の客に、声をかける。
少しだけ遅れて出た声は、
それでもちゃんと届いた。
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同じことを繰り返す。
同じ場所に立ち続ける。
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けれど。
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もう、さっきと同じ場所ではなかった。




