第29話 言えなかったこと
あの日のことを、思い出す。
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レジの前。
いつも通りのやり取り。
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「なんで、勝手にやるんですか」
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自分の声。
静かで。
冷たくて。
はっきりしていた。
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あの人は、何も言い返さなかった。
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ただ。
ほんの少しだけ、視線を落とした。
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そのときの表情を。
今になって、思い出す。
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はっきりとは、見えていなかったはずなのに。
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なぜか、残っている。
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少しだけ。
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遠くを見るような、目。
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私は、目を閉じる。
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何もできなかった。
何も選べなかった。
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それは、事実だと思う。
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それでも。
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あの言葉は、違ったかもしれない。
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責めたかったわけじゃない。
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ただ。
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怖かった。
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自分で決めていると思っていたことが、
どこまで本当なのか、分からなくなって。
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その不安を、
あの人に向けただけだった。
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――それでも。
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ゆっくりと、言葉が浮かぶ。
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あの人は、何も言わなかった。
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言い訳も。
否定も。
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何も。
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そのことの方が、
少しだけ、重い。
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私は、ゆっくりと息を吐く。
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何を、決められるというのだろう。
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そう思う。
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でも。
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何も決めなかったままで、
済ませていいわけでもない。
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その間に、立たされている。
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今は、まだ。
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どちらにも、寄れないまま。
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胸の奥に、残るものがある。
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消えない。
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消えなくていいのかもしれない。
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そう思ったところで、
まだ、言葉にはならなかった。




