第28話 決めさせてくれなかった人
終わっていた。
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三千万円。
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手術費用。
これまでの医療費、これからの医療費。
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全部。
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自分が決める前に、全部。
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数日経っても、その事実は変わらなかった。
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母は、少しずつ元気になっていく。
父は、何も言わない。
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日常は、戻ってきている。
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それでも。
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何かが、残っている。
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胸の奥に。
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レジに立つ。
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いつも通りの場所。
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それでも。
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今日は、はっきりしている。
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来る。
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そう思った。
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自動ドアが開く音がする。
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顔を上げる。
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その人がいた。
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変わらないはずの姿。
それなのに、もう同じには見えない。
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「いらっしゃいませ」
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声をかける。
少しだけ、固い。
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「袋、いりません」
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同じ言葉。
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商品をスキャンする。
ピッ、という音が響く。
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沈黙が落ちる。
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前なら、そこで終わっていた。
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でも。
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今日は違う。
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「……なんで」
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気づけば、言葉が出ていた。
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その人が、視線を上げる。
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止まらない。
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「なんで、勝手にやるんですか」
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声は大きくない。
それでも、逃げない。
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「頼んでないです」
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続ける。
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「もういいって、自分で決めるって言ったのに」
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喉が、少しだけ詰まる。
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それでも。
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「決めさせてくれなかった」
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言い切る。
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静かに。
はっきりと。
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その人は、少しだけ視線を落とす。
ほんの一瞬。
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すぐに戻る。
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「そうですね」
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短く、それだけ。
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否定しない。
言い訳もしない。
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だから、逃げ場がない。
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私は、視線を逸らす。
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間違っていない。
そう思う。
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それでも。
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分かっている。
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助けられたこと。
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救われたこと。
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全部。
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「……怖いんです」
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小さく、言葉が落ちる。
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「このまま、全部決められる気がして」
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止まらない。
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「自分で決めてるのか」
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「分からなくなる」
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息が、少しだけ荒くなる。
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それでも、涙は出ない。
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その人は、しばらく何も言わない。
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沈黙。
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逃げたくなるほどの、短い時間。
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そして。
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「それは、しません」
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静かな声。
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私は、顔を上げる。
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「あなたの代わりに、決めることはありません」
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はっきりと。
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それだけ。
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それなのに。
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言い逃げにならない。
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その人は、続ける。
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「決められていない部分だけです」
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わずかに言葉を置く。
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「埋めたのは」
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私は、息を止める。
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意味が、遅れて入ってくる。
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自分が選ばなかったもの。
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空いたままだった場所。
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そこに。
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誰かが、手を入れた。
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重い。
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逃げられない形で。
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会計が終わる。
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言葉が出ない。
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「ありがとうございました」を
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言えない。
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その人は、軽く頷く。
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自動ドアが開く。
背中が遠ざかる。
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私は、その場に立ったまま動けなかった。
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――決められていない部分。
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その言葉が、残る。
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自分が選ばなかったもの。
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誰かが、選んだもの。
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それが、どこまで許されるのか。
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まだ、分からなかった。




