第14話 名前のついた距離
昼過ぎ。
店内は、少しだけ落ち着いていた。
⸻
レジの奥で、スタッフ同士の会話が聞こえる。
「昨日さ、学校行ってきたんだけど」
何気ない話。
それでも、なぜか耳に残る。
⸻
「学校説明会、副校長先生、すごかったよ」
手が、ほんの一瞬だけ止まる。
⸻
「若いのにね。落ち着いててさ。さすが北山学園って感じだよね」
その言葉に、少しだけ引っかかる。
⸻
「話もちゃんと聞いてくれるし」
別の声が続く。
「うちの子も、あの先生大好きなんだよね」
⸻
ただの、いい話。
それでも。
私は、動けなかった。
⸻
「なんて言ったっけ、名前」
⸻
空気が、わずかに止まる。
私は、レジの画面を見たまま、動かない。
⸻
聞かない方がいい。
そう思う。
⸻
それでも。
⸻
「世古先生」
⸻
その名前が、落ちる。
静かに。
確かに。
⸻
私は、何もできなかった。
⸻
手は動いている。
いつも通りに、レジを打っている。
⸻
それなのに。
何も、入ってこない。
⸻
――あの人。
⸻
頭の中で、何かが繋がる。
⸻
整っている理由。
落ち着いている理由。
話し方。
距離の取り方。
⸻
すべてが、ひとつの形になる。
⸻
副校長。
⸻
その言葉が、ゆっくりと沈んでいく。
⸻
納得する。
⸻
だからこそ。
⸻
少しだけ、怖くなる。
⸻
――あの人は、“そういう人”なんだ。
⸻
夜。
レジに立つ。
いつも通りの場所。
⸻
それでも。
何かが、決定的に違っている。
⸻
自動ドアが開く音がする。
顔を上げる。
⸻
その人がいた。
⸻
変わらないはずの姿。
⸻
それなのに。
もう、同じようには見えない。
⸻
「いらっしゃいませ」
声をかける。
ほんの少しだけ、間があった。
⸻
「袋、いりません」
同じ言葉。
⸻
商品をスキャンする。
ピッ、という音が響く。
⸻
私は、視線を落としたまま考える。
――副校長。
⸻
目の前の人と、その言葉が重ならない。
⸻
それでも。
⸻
確かに、同じものを指している。
⸻
「……先生なんですね」
気づけば、言っていた。
⸻
その人は、ほんの一瞬だけ手を止める。
⸻
「聞いたんですね」
静かな声。
⸻
否定しない。
隠さない。
⸻
それだけで、十分だった。
⸻
私は、少しだけ息を吐く。
⸻
「……なんか」
言葉を探す。
⸻
「納得しました」
⸻
それが、一番近かった。
⸻
本当は、それだけじゃない。
⸻
でも、それ以上は言えなかった。
⸻
その人は、ほんのわずかに目を細める。
⸻
「そうですか」
⸻
それだけ。
⸻
それなのに。
⸻
前よりも、距離が遠くなった気がした。
⸻
名前がついたから。
⸻
触れてはいけないものに。
⸻
会計を終える。
「ありがとうございました」
その人は、軽く頷く。
⸻
自動ドアが開く。
背中が遠ざかる。
⸻
私は、その場に立ったまま動けなかった。
⸻
――整っている。
⸻
その理由が分かったはずなのに。
⸻
逆に。
⸻
分からなくなった気がした。
⸻
分かってしまったことで、
近づけなくなるものがある。
⸻
それを、初めて知った。




