ー【第4節】疫病の蔓延と死者ゼロの奇跡、そして王都からの非情な通告
第4節 疫病の蔓延と死者ゼロの奇跡、そして王都からの非情な通告
平穏な修行の日々は、唐突に終わりを告げた。
アッシュバーデンに、致死性の高い疫病「黒斑熱」が流行し始めたのだ。発熱と共に全身に黒い斑点が浮かび、数日で死に至る恐ろしい病だった。
アルスの住む集落でも、次々と大人が倒れた。
「うう……苦しい……」
「誰か、薬を……」
道端には苦しむ人々が溢れ、空気は死の気配で淀んでいた。上層からは何の支援もない。最下層の命など、ゴミと同等だからだ。
「僕が、助けるんだ」
アルスは覚悟を決めた。師匠から教わった錬金術、そして【バベルの鍵】で得た深い物質理解。これらを使えば、特効薬を作れるはずだ。
彼はドブ川へと走った。材料は、この汚れた水の中にしかない。
「解析!」
視界に情報の奔流が走る。汚水に含まれる無数の毒素、菌、そしてわずかな有用成分。【バベルの鍵】が、物質の「声」を翻訳し、アルスの脳内に最適な抽出式を構築していく。
「分離、濃縮、合成!」
小さな手から放たれた光が、バケツ一杯の泥水を包み込む。毒素は蒸発し、泥は沈殿し、残った液体が黄金色に輝き始めた。それは最高級のエリクサーにも匹敵する、超高純度の治癒ポーションだった。
アルスは不眠不休でポーションを作り続け、集落の人々に配り歩いた。
「飲んで! これなら治るから!」
その効果は劇的だった。瀕死の状態だった老人さえも、一口飲んだだけで斑点が消え、呼吸が整ったのだ。
結果として、アッシュバーデン全体では――奇跡的に、死者は一人も出なかった。
だが、その「奇跡」は大きすぎた。
上層や中層では数千人の死者が出ていたにも関わらず、最も不衛生な最下層だけが無傷。その異常事態を不審に思った王都ホワイト・セレスティアから、調査団が派遣されてきたのだ。
数日後、きらびやかな鎧に身を包んだ兵士たちが、アルスのボロ小屋を取り囲んだ。
「アルス・ロウェルだな」
冷酷な目をした隊長が、羊皮紙を突きつける。
「貴様が作った怪しげな薬が、疫病を抑えたことは確認された。……王宮は貴様の身柄を要求している」
「え……?」
「王立錬金術学院への特待生入学だ。光栄に思え、ドブネズミ」
言葉とは裏腹に、それは明確な命令だった。アルスの才能を独占し、あるいは危険分子として監視するための強制連行。
「い、嫌だ! 僕はここに……!」
「拒否権はない」
隊長は剣の柄に手をかけた。その視線の先には、病み上がりの祖母がいる。
「家族や、この集落がどうなってもいいのか?」
アルスは唇を噛み締めた。自分の力は、病を治せても、暴力から大切な人を守ることはできない。
悔しさと無力感に、涙が滲む。
『……行け、アルス』
懐から、マリモ師匠の声が響いた。
『貴様はここで終わる器ではない。王都だろうが学院だろうが、行って食い荒らしてやれ。我もついていく』
「師匠……」
アルスは涙を拭い、隊長を睨みつけた。
「わかった。行くよ。……でも、絶対にみんなには手を出さないで」
「フン、約束しよう」
こうして、ドブ川の神童アルス・ロウェルは、たった四歳にして生まれ育った最下層を離れることになった。
背中には小さなリュックと、白い毛玉を一匹連れて。
それは、世界を変える大錬金術師の、苦難と栄光に満ちた旅路の始まりだった。




