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正午少し前に黄李は瀬戸内の言った通りコンビニの前で待っていた。
心の中で不安と期待と罪悪の果実が実っては破裂するのを繰り返していた。
ほどなくして瀬戸内がやって来て、黄李を見て眉をしかめた。
「いつもそんな色気のない服を着ているの?」
「え、そうだけど……」
黄李は青いカットソーに黒のワイドパンツを合わせていた。首には三百円のハートのネックレスを付けていた。
「服でも買いにいこう」
瀬戸内は都心に向かう切符を二枚買った。
電車の中で横並びに座って、瀬戸内は腕組みをして目をつむっていた。黄李はその瞼にそっと触れた。
「危ないじゃないか」
黄李は指を離した。
「きれいに閉じてるなって」
「何が?」
「瞼が。色白いね」
「変なことを言う子だ」
電車を降りて、駅から出たところのデパートに入った。瀬戸内がデパート内の店を選んで服を買いに入った。黄李は黒のハイネックのワンピースを試着した。
「だめ」
瀬戸内にダメだしされた。様々試着を繰り返して、その度に黄李は選び直して、胸の空いた黒のノースリーブシャツと薄ピンクのラメが入ったフレアスカートを選んでオーケーが出た。
「それならいい」
瀬戸内はいい子いい子と黄李の頭を撫でて、試着したその服の会計をした。
結局、都心では服を買う用事だけを済ませて、電車で戻って夕食前に二人は別れた。
「じゃあ、また職場で」
瀬戸内は大きくて分厚い、白々とした色の手のひらを顔の横で振った。黄李も手を振り返した。
その後、黄李と瀬戸内は終業後にホテルに入ることを繰り返した。普段支配的な瀬戸内は、時々甘えるように黄李の胸に頭を預けたまま座っているのが好きだった。
「いい匂い」
と子犬が鳴くようにいたいけな声で呟いて、黄李のバストの中に顔を埋めた。
黄李は瀬戸内の耳を親指と人差し指でつまむようにして撫でてあげた。
年末になった。
大みそかに黄李と智弘は、夕食にそばを食べた後、居間の炬燵に足を入れて奥さんと一緒にテレビを見ていた。
二人はテレビ番組の同じタイミングで笑った。奥さんが、
「二人はよく似た姉弟やねえ」
と言いながらお茶を淹れてくれた、二人は同時にそれをふうふうと冷ました。智弘が
「最近仕事の帰り遅いのなんで? 僕も仕事しているから最近気が付いたけれど」
「友達とお茶したり」
「ふうん。あの変な男は?」
「誰それ」
「喫茶店で馴れ馴れしかった奴。黄李に気が合っただろ」
「何それ? 変なの」
「変? どこが!」
「あの時も智弘変だった。変だよ。やきもち焼いちゃって」
「なに……」
閉じていた居間と台所の間の襖が向こうからパンッと開かれた。
「あんたらほんまに姉弟か⁉」
店主がこめかみに青筋立てて怒鳴った。黄李たちは驚いて黙った。店主はまた音を立てて襖を閉めて去っていった。
黄李は俯いて蜜柑の皮を剥いた。奥さんが黄李の湯飲みに緑茶のお代わりを何か誤魔化すようにして注いだ。
一瞬、悪い予感のような寒気がして、黄李は奥さんに礼を言いながら腕をさすった。智弘は俯きながら、「姉弟ですから」と呟いて、「トイレ」と席を立った。
沈黙が下りるのを防ぐように奥さんが無邪気なさまでテレビの芸能人の批評を喋り出した。
黄李はわざと声を立てて笑った。
「黄李ちゃんは可愛いからね」
と、奥さんが疲れたような顔でしみじみと言った。
明日から黄李は友人との旅行と称して、瀬戸内と泊まり掛けで京都旅行に行く予定だ。
京都にて。元旦の午前中に京都に着いて、駅から出た黄李は瀬戸内の顔を見上げて、
「どこに行くの?」
と尋ねた。
「僕の実家」
と瀬戸内は答えた。
「え? なんで?」
「なんででも」
瀬戸内は黄李の手を引いて、茶屋街に入っていく。黄李は不安な思いで連れていかれるがままになるしかなかった。
「ただいま」
造り酒屋の店の戸を瀬戸内は開けた。
「はい」
奥から着物姿の老婦人が出てきた。
「あら、創さん。よく来てくれて。そちらは?」
「彼女だよ」
「ようこそおいで下さいました」
黄李はもたもたと頭を下げた。瀬戸内は冷たい目で老婦人と黄李を見下ろした。
「母さん。親父に挨拶したらすぐに出る。親父は?」
「今呼んでくるから」
老婦人は樽が並んだ店先から奥に引っ込んだ。歳をかなり重ねた男性が出てきた。
「親父。明けましておめでとうございます」
「また、女に金を使っているのか。母さんからの仕送りだろう、どうせ」
「お陰様で」
「前の職場の近くには恥ずかしくて行けないだろう。俺んところにだけ挨拶に来たか」
「以前の職場にだって行く必要があるのなら行けますよ」
「青いことを言うからこんなことになるんだ。さっさと出ていけ」
「では、ごきげんよう」
瀬戸内は黄李の手を取った。温かく熱い手だった。寂しがりの人懐こい手だった。
「行こう。黄李」
二人は外に出た。戸を閉じる時老婦人の母親の声が聞こえた。
「創さん。あれ。酒と漬物持たせようと思ったのに」
「ほっとけ。親のすねとコネがないと生きられん餓鬼じゃ」
父親の声は厳しく、心を断罪するような冷たさで張っていた。
「お腹空いたね」
そう言って、瀬戸内は黄李の肩を抱きながら歩いた。家族のことに部外者が慰める言葉を持たないのが、黄李はもどかしかった。
同時に、彼の少しばかり哀れな場面を見て彼を可愛く愛しく思う気持ちが募った。皮肉なことに、いつも不遜な彼の不幸を見ると、黄李の中では彼から得る辛さと幸福と快楽が全て大きくなっていった。
それは、愛の残忍さだった。
一泊二日の旅行の帰り道。電車から家の最寄りの駅に降りると、予報外れの豪雨に見舞われた。
瀬戸内といっしょに駅から出ると、厄介なことに智弘がそこにいて、怒りを顔に浮かべて仁王立ちしていた。
「お兄さん」
智弘が瀬戸内に近づいて詰め寄った。
「なんでうちの姉貴と一緒に旅行から帰ってくるんですか?」
「姉、なんだろ? シスコンか、あんた」
「ふざけんな。姉でも弟でもねえよ。男女の仲だよ、俺たち二人は」
「可哀そうに。終わった男がぐだぐだと」
智弘は黄李の方を見た。
「黄李」
「自分が何してるか分かってるよね」
黄李は唇を尖らし、目を吊り上げた。
「もう、私は、智弘を……」
途中まで言ったところで智弘は黄李の手首を掴んで、帰り道の方角へ引っ張っていった。
雨足はますます強まるばかりだった。手首は折られるんじゃないかと思うほどに強く握られ痛かった。
「智弘。智弘、痛い」
「俺はもっと痛いよ!」
智弘が自分の傘を風の中に投げ出して、黄李の方を向いて怒鳴った。
「なんなんだよ。エロ女。そんなにあの男が好きかよ! 黄李は俺のものじゃなかったのかよ」
「私だって気が変わることもある……」
「変わりすぎだろうが! おかしいだろ」
黄李の背後から車道を車が走っていった。ヘッドライトに照らされた智弘の顔は嫉妬で醜く歪んでいた。
か弱い阿修羅みたいだった。
その顔を見ていると、黄李は泣きたくなった。めそめそとしゃがみ込んで泣きたかった。
その代わりに涙をひとしずく落とした。
「ごめんね」
「ずるいんだよ。黄李は。昔から!」
智弘が黄李の首を絞めはしないが片手で掴んだ。
「泣けば! 泣けば許されると思って。あんたの涙って怖いんだよ。なんでも叶えてあげたくなるんだよ。あんたは女の怪物だよ。魔物みたいだ」
「こっちこい!」
智弘は黄李を近くの公園に引きずり込んだ。傘を差してはいるが黄李の身体が雨に濡れそぼって寒かった。智弘は自分に裏切られてもっと心が寒いだろう。そして身体が嫉妬に燃えて熱いだろう。そう感じた。
黄李はベンチに座らされた。
智弘は黄李の太ももに膝をベンチに付けてまたがり、雨の中で黄李に猛烈に熱いキスをした。痛いようなキスだった。黄李は智弘を押しのけようとした。だが、無駄だった。智弘は決して黄李を許さない。離さない。
智弘はスカートの中に手を入れた。
「ごめん。智弘。それはやめて……。やめて」
智弘は黄李の肩を片手で掴んで、動けないようにベンチの背に押し付けた。
「お願い。やめて」
黄李はやめてくれるよう哀願した。
がつんっと音がした。
瀬戸内がそこに立っていた。智弘が地面に尻をついた。よくよく見ると何か金属製の小さなもので瀬戸内が智弘の頭を殴ったらしい。
「何すんだ。あんた」
智弘が闘牛の牛のように瀬戸内に掴みかかろうとした。しかし雨にぐしょぐしょに顔を濡らしていた智弘は視界も悪く、瀬戸内はまた同じ物体で智弘の顔を殴りつけた。
「俺の女だ……」
瀬戸内は倒れた智弘を引きずって、植え込みの方へ向かった。そして黄李が青い顔をしてみている前で、智弘の頭を花壇の煉瓦に何度も打ち付けた。
智弘はぐったりと動かなくなり、雨の中に濡れていった。




