7
瀬戸内と黄李は以前も使ったことがあるラブホテルに逃げ込んでいた。寒い身体を二人いっしょにシャワーを浴びて温めた。服が濡れていたので、バスローブを羽織った。
「創さん」
黄李はベッドに腰かけたまま瀬戸内の腰にしがみついて、顔を胸にくっつけた。
「怖かった」
「何が? 俺?」
「智弘が」
「俺は、怖くないの」
「創さんは、ずっと怖い。怖くて怖くて、惹かれてしょうがない」
「怖いもんみたさか。俺と一緒にいるのは」
「いいじゃない」
黄李はそっと瀬戸内の身体をベッドに押し倒した。
「私は創さんのもの。それで今日は創さんが、私のものになる日」
黄李は瀬戸内の胸に手を滑らせていった。瀬戸内の顔が紅潮していった。
「熱い……」
瀬戸内が呟いた。
黄李は瀬戸内の右の耳たぶを甘噛みして丹念に丹念に舌先で舐めた。
「甘い……」
黄李はとろけるような声で呟いた。
「甘いの。創さんの身体は。甘いの……」
黄李は創の鼻の頭をぺろっと舐めた。創は戸惑うように瞬きをした。
黄李は瀬戸内の首筋に唇を移した。吸い付くようにキスを降らせる。同時に、瀬戸内の胸から背中を手で愛撫した。瀬戸内の身体は熱をもって火照っていた。
黄李は瀬戸内の手を自分の胸にもっていった。瀬戸内は黄李に従って、黄李の胸を愛撫した。
瀬戸内は黄李の中で果てた。黄李も熱く甘く上り詰めた。
二人でベッドの中で温め合っているうちに、ホテルの部屋のドアがノックされた。
瀬戸内には懲役7年が下された。
黄李は古書店の店主に、
「ここにいたいのならいてもいい」
と言われて、厚意でまだ古書店の二階に置かせてもらっていた。その代わり、印刷会社の仕事を辞めさせられて店を手伝うことになった。
殺人事件を招いた黄李に店主は怒っていた。だから、店ではかなりこき使われた。
古書は重く、黄李はしょっちゅう整体に通って、痛めた腰を癒す必要が生じた。
奥さんは黄李に蔑んだ目を向けるようになっていた。一緒に食事を取っていても会話は無く、
「あれして。これして」
と、黄李の仕事の合間を狙ってはうるさく指図するようになった。
針の筵だが、黄李には他に行き場が無かった。
黄李は智弘を弔う場所にも行かせてもらえない。
一度、智弘が死んだ花壇のある公園に向かった。ちょうど、智弘が死んだ場所に何故かホームレスがテントを張っていて、黄李が近づくと、黄いろい歯をしたぼろぼろのTシャツとデニムの短パンの背の低い男性が、
「あっち行け。あばずれ」
と石を投げてきた。黄李は嫌な思いをして逃げ帰った。
持ってきた花束を店のごみ箱に投げ入れる。その時だけ、黄李は智弘を真剣に思った。
黄李の心は懲役7年の刑についている男の元にあった。
週に一回、黄李は瀬戸内に面会した。
「創さん。ご飯食べてる? 瘦せたみたいだけど」
「食べてるけど、あんまり旨くないんだ。自分で作る方が美味しい」
「創さんの作る和風のミートボール、また食べたいな」
「模範囚ですぐに出所して、また作ってあげるよ」
「創さんは私が守るから。でも結婚したらちゃんと働いてね」
「守るってなんだよ。俺は男で、お前が女だろ」
「でも、創さんは犯罪者だから、出所したら大変よ。私の保護が必要」
黄李は、創との間の面会室のパーテーションをとんとんと叩いて、妖しく微笑んだ。
「怖い女」
「創さん」
「なんだよ」
「私に見放されたら、創さんどうなっちゃうのかな」
「自殺するよ。絶対に」
「じゃあ、創さんは私のもの。創さんは私から離れられない虜だから」
「いいな。それ」
瀬戸内は、天井を見上げて呟いた。
「いいの?」
「うん。いいよ」
「創さん」
「うん?」
「愛してるからね」
「うん。ありがとう」
また、別の日には黄李は京都の干菓子など、舌の肥えた瀬戸内に菓子を差し入れた。
「黄李、また来て」
瀬戸内は、猫のように目を潤ませて黄李を上目づかいに眺めた。
数年後、瀬戸内は出所した。黄李は別の就職先を見つけて、賃貸アパートに住んでいた。
古書店を出る時、黄李は店主に釘を刺された。
「このまま上手くいくと思うなよ。俺は智弘が可愛かったんだ。可憐なふりしてる毒婦のあんたよりな」
黄李は、まさしく「毒婦」こそ瀬戸内の女にふさわしいと思い、内心で笑った。
幼いころに黄李の心に植え付けられた毒は育っていた。それは避けようのないことだったのかもしれない。
「お世話になりました」
黄李は深く頭を下げて、古書店から出ていった。奥さんが何故か泣いていた。
「めそめそするな」
と言う店主の声は、いつか聞いた瀬戸内の父親の口調とどこかしら重なった。
人生は不思議だと思った。類似するものがどんどん積み重なって、桜のように色を濃くしていく――。
瀬戸内の出所を迎えに行くと、彼は前よりも少しばかり毒気が抜けて、少しばかり精悍さを増していた。
彼は相変わらずの大きな手で黄李の頭を包んだ。
「ねえ、黄李」
「なあに」
駅への道のりで瀬戸内が尋ねた。春のうららかな日和だった。
「僕は、君の恋人を殺した犯罪者だよ」
「そうよ。あなたは私に贖罪し続けるの」
「一緒にいていいの? 僕は、君に振られてこのままそこの川に夜になってから身を投げてもいいんだよ」
「だめよ。もっと強いあなたでいないと。あんなに高慢だったのに、どうしたの?」
「刑務所で矯正された」
「じゃあ私が矯正し直す」
「悦んでやってほしいな」
瀬戸内がいきなり、そう言いながら黄李の両肩を腕の中に包み込んだ。
罪すら孕んだ二人の愛は、熟していて、甘く、温かく、強くなっていた。
瀬戸内は黄李のアパートに一緒に住んだ。彼は焼き肉店に職を見つけて、ホールとキッチンで働き始めた。
彼は、たった一度だけ浮気をした。アルバイトの苦学生だった。その学生が瀬戸内の後を付けてきて、帰ってきた彼の肩越しに見えたところを、黄李は走って追いかけて、
「何の用? どうしてこっちを見ていたの?」
と問い詰めた。バイトの子はすぐに白状した。
黄李の剣幕は、悪鬼のようでもあり、裁きを下す怖い神か女神か、何か捉えきれない恐ろしいもののようでもあった。黄李は自分の家にその子を連れてきて、こんこんと説教した。
「学生なのにこんな恋をしてはいけない」
「次があったら私は容赦しない」
それから、その子が帰ってから、瀬戸内に説明を求めた。そしてそれらの説明全てを「不倫」として論破した。正確には不倫ではなかった。しかし瀬戸内は黄李の般若のような怒りと滲み出る涙に罪悪感を膨らませて、身を縮こまらせながら謝った。虐められた猿のように惨めに謝った。
その次の日に、二人は入籍した。
その日もまた、春だった。瀬戸内は黄李を川べりの花見に連れ出した。
「今度、ちゃんと黄李の両親に挨拶させてほしい」
黄李はそれについては丁寧に説明して断った。
「どうして?」
と創はすがるようにお願いしたが、黄李は頑として譲らなかった。瀬戸内は、
「俺、親父に二階からわざと落とされて、足の骨折ったことあるんだよ」
と話した。
「だから何?」
「黄李の親に会えないのなら、黄李、俺の親に会いに来てよ。俺にとっては、親に会ったり会わせたりするのは、パートナーを繋ぐ言い訳を積む方策でしかないんだから」
「どういう意味?」
「親に会ったら別れにくくなるでしょ。黄李にとって俺よりいい男が現れたら、黄李、俺のこと捨てそうだから。俺自身がその証明」
黄李は唇を突き出して膨れた。そんなつもりはないが、言い訳のしようがなかった。
「黄李」
「ん?」
「俺も親は嫌いだよ。使って捨てればいいとしか思ってない。この世に存在してるから仕方ない」
「うん」
花弁が創の瞼に落ちた。黄李がそれを摘まんで舌に載せて食べた。
「美味しいの? それ」
「創の目を食べてる気がする」
「耳フェチじゃなかったの?」
「あなたの薄情な目を情熱で満たしていくのが大好き」
黄李はさっきから黄李の膝に頭を載せて寝そべっている創の唇に口づけした。
「ねえ、黄李」
「何?」
「子供作ろうよ。幸せな子にしようよ」
「女の子がいい? 男の子がいい?」
「どっちでもいいよ。決め付けたら可哀そうだろ」
「うん」
黄李は創の首を抱いた。
その晩、創は黄李を抱いた。
「黄李、君の好きなものは何?」
「ミックスのソフトクリーム……」
黄李は胸をまさぐられてキスの雨を身体に降らせられながら、夢見心地に呟いた。
「違う。君の好きなものは京の干菓子と僕の身体」
「はい……」
「君の夢は、僕と幸せな結婚を続けること?」
「イエス……」
「ダメ。君の夢は子供のいる幸せな家庭を築くこと」
「はい……」
「君はお母さんになるのが子供の頃からの夢だった?」
「イエス……」
「そうだね。それでいい」
創が黄李を果てさせた。創の作るセックスはより情熱的に、より優しくなっていた。
創は時々黄李を玩具のように扱った。時々壊れそうな硝子のように扱った。
創は決して黄李を飽きさせなかった。
そのうち、黄李は懐妊した。
病院で子供がお腹にいると告げられた日の深夜。創と一緒に未来の夢を話し込んで眠った日の夜。夢を見た。
桜が木ではなく、地面から生えた茎のてっぺんに付いて足元に広がっているみたいな花畑の中に、智弘が立っていた。黄李から二メートルくらい離れた場所に立っていて、悲しいような懐かしむような顔をしていた。
思えば、自分は智弘に対して残酷だった。身勝手な自分の身は幸せになってから毒気が抜けたように反省していた。智弘は、考えてみれば可哀そうな男だった。古書店の店主と奥さんの怒りも今になると分かる。彼らは智弘を息子のように思っていたのかもしれない。
智弘がこっちに近づいた。膝から下が花畑に埋まってよく見えない。黄李は後ろに下がろうとしたが、足が動かない。
――これは、夢だ。
「お腹の子は男の子だよ」
智弘の口が開いた。
「その子は、僕だからね。大切に育ててね。幸せな子にしてね」
智弘がさらに近づいた。黄李は動けない。
智弘は黄李のお腹に顔を寄せた。いつの間にか、黄李のお腹は臨月のように大きく膨らんでいる。
智弘が、桜が散るようにさーっと消えていった。
あとに残された自分は、自分のお腹をさすっている。
黄李はどうしてだか幸せな暖かな気持ちになった。身体中が陽だまりの中に浸かったように暖かい。温もりに包まれている。
――この子を大切にしたい。そしていつか自由にしたい。
そう思った。
目が覚めるとまだ夜中だった。黄李は隣で寝ている創の肩に額を寄せた。
朝になると、創が朝食を作っていた。
「トーストにする? ご飯にする? ちゃんと食べなきゃ」
黄李は微笑んだ。
「お腹の子ね」
「え? お腹痛い?」
「お腹の子ね、男の子だと思う」
「ふーん。夢のお告げでもあった?」
「なんでわかったの?」
「いや、何となく」
「どんな子だと思う?」
「思い遣りがあって気弱な子」
「思い遣りがあって強い子よ」
黄李が頬を膨らませてむくれた。創はトーストと目玉焼きと京野菜の漬物を朝ごはんに出してくれた。
十年時が過ぎて、創と黄李は一戸建てに住んでいた。創は広告代理店を起こして数十人の社員を使っていた。
息子の時也の髪の色は、創より黄李より、智弘に似ていた。
「いってきます」
と家を出る時、黄李の胸は罪の意識に少し痛んだ。
それでも、幸せを一生手離したくないと思った。創と黄李の幸福は、贖罪を包まざるを得ない――。
愛してる。




