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「浅田さん、今日はお弁当ですか?」

「はい。そうです」

 黄李は尋ねてきた瀬戸内に、弁当の中身を披露した。

「美味しそうですね。今日は僕は、コンビニにでもいって何か買ってきます」

「いってらっしゃい」

 瀬戸内は社屋から外に出ていった。黄李は奥さん手作りの弁当をゆっくりと食べた。しばらくして、瀬戸内が戻ってきた。

「浅田さん」

 コンビニ弁当を膝に広げながら瀬戸内は、

「明日、お昼ご飯を外の店で食べませんか?」

「ええ。いいですね」

 黄李は気軽に答えた。

「約束ですよ」

 瀬戸内は、割り箸をパキンと音をさせて割った。それから不味そうにコンビニ弁当のご飯を、さっさと食べ終わりたい感じで早く食べ進めていった。

 昼食後、黄李が発注の数を二桁も多く書いているのを瀬戸内が発見して、修正してくれた。

「ありがとう。瀬戸内さん」

 重大なミスになるので、黄李は涙目になりながら礼を言った。

 瀬戸内は少し黄李を見くびるようにして薄く笑った。

 それでもその笑いは嫌なものではなくて、何か大切なものを庇護するときにみせるような笑い方に似ていた。

 黄李は、男の人が見せるこの笑い方が好きだと感じた。

 これは、智弘が見せない笑い方だった。

 智弘はいつだって誠実だ。笑顔も態度も正直なものだ。

 家に帰って、奥さんに

「明日は、お弁当は結構です。いつもありがとうございます」

 と伝えた。

「了解」

 奥さんは眠たいらしく、テーブルに突っ伏して眠っていた。日々が鬱陶しくてたまらないといった感じの大きな欠伸をして、またテーブルに顔を伏せた。

 邪魔しちゃいけないと、黄李は早めに二階に上がった。

 智弘がそこにいた。

「おかえり」

「ただいま」

 黄李は荷物をそこに置いたら畳の上に横になって目を閉じて寝た。

 翌日の昼、黄李は瀬戸内にステーキ店に連れてこられた。

「こんな高いとこ……。瀬戸内さん、もう少し庶民的なところにしません? 隣の町中華とか」

「大丈夫ですよ。僕が払いますので」

 瀬戸内は黄李の背中を押して入店させた。黄李はのけぞるようにおどおどと入っていった。

 鉄板が張られたカウンター席に付いて、瀬戸内はメニューを見、

「国産サーロイン、200gと150g、ご飯付けて」

 と注文した。黄李は水を口に含んでじっと小さくなった。

 目の前でお肉が焼けていく。「焼き加減は?」とシェフに聞かれて、瀬戸内が「ウェルダン」と答える。

「黄李さんもそれでいいですか?」

「はい」

 美味しそうなので、戸惑っていた黄李も期待し始めていた。肉が焼けるジュウジュウという音がする。香ばしい煙が鉄板から細い筋を立てる。

 シェフが皿に肉を載せて、黄李の前に置いた。

「美味しそう」

「召し上がれ」

 瀬戸内に促されて、肉にナイフを入れた。ナイフを不器用に前後に動かす。

「違う」

 瀬戸内から何か黄李に対して厳しい声が飛んだ。瀬戸内は立ち上がって黄李の後ろに来て、ナイフを持つ黄李の手を掴んだ。

「ナイフの角度はこうした方がいい。その方がきれいに切れる」

 いうとおりにしたが、それだとナイフの先が皿にあたって切りづらい。瀬戸内の方を向くと、上品に肉を口に運んでいる。黄李はやっと一切れ切り分けて、口にした。

 肉の脂がとろけて、甘くて旨味がある。こんなに美味しいお肉は初めて食べた。

 しかし、二切れ目がなかなか切れない。瀬戸内はこっちを見て、トントンと指でテーブルを叩いて、不機嫌な汚いものを見るような顔をして苛立ちを隠さない。

 黄李は焦った。瀬戸内はじっと見ている。変な切り方はできない。

 そうしているうちに二切れ目を口にできた。コツがわかった。三切れ、四切れと口に運んでいく。美味しい。幸せ。

 瀬戸内が黄李の小さな頭を大きな手で後頭部から前に向かって撫でた。

「よくできました」

 瀬戸内は黄李のステーキを口に入れたままどぎまぎしたような顔を見つめていた。瀬戸内は陶器で作ったような端正な顔に笑みを浮かべている。

 黄李はどきどきしながら肉を飲み込んだ。甘さと芳醇さが喉を落ちていく。

 会計をした瀬戸内と外に出た。

 午後の勤務開始十分前だった。自然と瀬戸内の腕を取って歩いた。瀬戸内は当然のようにしている。良くない魔法にかかっている、甘い美味い毒を食べさせられた心地だった。

 それなのに今までで一番幸せだった。

 真っ黒な甘いクリームの沼に沈んでいくみたい――。

 会社のある通りに出る前に、黄李から瀬戸内の唇にキスをした。瀬戸内はまた、黄李の頭をその大きな手で包んだ。

 黄李は夕食後、智弘が仕事に戻らないのを見た。

「お仕事、今日終わり?」

「うん。そこの喫茶店で珈琲でもどう?」

「いいね」

 喫茶店で、智弘は珈琲に砂糖を三杯も入れた。

「甘いの好きだね」

 黄李はブラックで飲んだ。智弘の背後のドアのカウベルが鳴った。

 入ってきたのは瀬戸内だった。瀬戸内はこっちを見ると、穏やかな笑みを浮かべて、

「黄李さん、こんばんは。お友達ですか?」

 と、尋ねてきた。

「あ、いえ、弟です」

「弟さんですか」

 智弘は砂糖をもう一つ珈琲カップに入れながら、

「……の、ふりをした恋人なんですよ」

 と言った。

「へえ。ご一緒していいですか? 黄李さん」

「はい」

「普段から、黄李って彼女を呼ぶんですか? 職場の方でしょ」

 智弘が瀬戸内に尋ねた。

「可愛らしい方なんで」

「非常識では?」

「大人だから大丈夫ですよ」

 智弘が珈琲カップをすすった。

「帰るよ。黄李。それとお兄さん」

「なんでしょう?」

「黄李は嫁入り先が決まってるんで、手を出しちゃだめですよ」

「古臭い」

 瀬戸内はカウンターの方を向いて、珈琲店のマスターに

「紅茶とチーズケーキ」

 と、頼んだ。

「黄李さん」

 瀬戸内が黄李の方を向いた。智弘が敵意のある顔を瀬戸内に向けている。

「ケーキでもどうですか?」

「黄李は犬や猫じゃない」

 智弘は黄李の手を取った。

「行こう」

 二人は店の外に出た。智弘はすぐに黄李の手首を離して、怒りを露わにした。

「何あの人。黄李、気をつけなくちゃだめだよ」

「うん」

 黄李は智弘の手を繋いだ。瀬戸内に惹かれているのに、智弘から離されると考えると、惜しいような愛しいような気持ちが湧いてくるのだった。

 二人は古書店の近くまでそうして帰っていった。

 翌日、退勤後、会社から出ると後ろから瀬戸内が隣に追い付いてきた。

「一緒に行きませんか?」

「はい。いいですよ」

 瀬戸内は黄李を人気のない路地に引っ張り込んで、猛烈なキスをした。黄李はそれに応えてしまい、そして背伸びをして瀬戸内の耳たぶを甘噛みした。瀬戸内はいい子いい子するように黄李の頭を撫でた。

 それから他の路地に入り、ラブホテルへと二人は入っていった。黄李はラブホテルからプリペイド式の携帯で古書店の奥さんに、遅くなると連絡を入れた。

「何かあるの? 友達と遊び?」

「はい。そうなんです。明日の朝帰ることになるかもしれません」

「そっか。まあ明日休みだしね。楽しんでおいで」

「はい」

 電話を切った。瀬戸内が背後から抱きすくめてきた。

 暖かくて、吞み込まれるみたいだった。他人に所有されつつある感覚が身体を甘く突き抜けた。

 ラブホテルの部屋の中で、黄李は振り返ってキスを交わし、シャワーも浴びずに、瀬戸内は黄李とともにベッドに横倒れになった。

「きゃあ」

 黄李は小さな喚声を上げた。瀬戸内はむしり取るよう黄李の服を脱がせて、下着姿にしてから、ゆっくりといたぶるようにブラジャーをずらして、乳首を吸った。そうして下着も全てはぎ取ると、照明を少し落としてから自分も裸になった。

 黄李の首筋に歯を立てて、黄李は「痛い」と呻いた。臀部の片側を掴みかかり、爪を立てた。快感が身体を満たして到達した後に、黄李は身体中をまだ探られながら、質問攻めにされた。

「イエスかノーで答えて」

「はい」

「人が多い、明るい場所で、誰かが倒れていたら君は関わるかい。イエスかノー」

「イ、イエス」

 黄李は顔を軽く叩かれた。

「だめ。危ないからそういう時は関わらないで。自己中になって」

「はい」

「じゃあ、次。君はヒマワリが好き」

「イエス」

「だめ。ノーって言いなさい。僕はヒマワリ嫌い。桜が好き。桜は好き?」

「好きです」

「イエスって言って」

「イエス」

「君は白が好き」

「ノー」

「オーケー。君は黒が好き」

「イエス」

「オーケー」

「君はズボンよりスカートが好き?」

「イエス」

「君は気持ちいいことが好き? こういうこと」

 瀬戸内は黄李の股の間に指を入れた。

「はいっ。イ、イエス」

「君は痛いのが好き?」

「イエス」

「素直でいいね。君は僕が好き」

「イエス。好き。愛してる。愛してる」

 黄李は瀬戸内の首にしがみついて、耳たぶに強く噛みついた。

「いい子だ」

 瀬戸内は黄李の頭をぽんぽんと軽く叩いてやった。 

 二人は疲れ果てて、ベッドに放心して横たわったままになった。

 その時、ヘッドボードに羽虫が止まったのを黄李の目は捕らえた。黄李は羽虫を人差し指で押し潰して殺した。瀬戸内がじっとそれを見ていた。

「死んだ」

 と言って、子供のように指先を瀬戸内の目の前に見せると、「汚いよ」と言って、彼は彼女の指先をティッシュで丹念に拭いた。

「手、洗っておいで」

「うん」

 黄李は幼女のようにいい子に従った。

「僕、一回帰って着替えてくるから、黄李、今日の十二時に駅前のコンビニの前においで。デートに使えそうな服くらいあるでしょ」

「うん。シャワー浴びてくる」

 二人は、ホテルを出てめいめいの家の方角へ帰っていった。

 深夜の一時だった。帰ると、智弘が心配して起きて待っていた。

「どうしたの? こんな遅くに。何かあった?」

「そんな大袈裟よ。友達と飲んできただけ」

「友達なんていたの?」

「うん。いるよ」

「お風呂入る?」

「もう、今日はいいや。寝かせて」

「うん。僕も寝るよ。腕枕してあげる」

「うん」

 黄李は、智弘の腕枕が心臓に悪く、寝付くことができなかった。一方、仕事と黄李を待つのに疲れた智弘は黄李に腕を出したまま深い眠りに就いていた。


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