笑わず言える少年
俺、たぶん死ぬんだよ。
そらの声がふたりきりの病室に染み込んだ。
真っ白いシーツやカーテンを見ていると、これからどこか遠くへ行くために、いろいろのものを清算して、片づけた後のようだ。
俺は、自分の部屋みたいにもっとこの病室も、マンガや、プリントや脱いだ服で散らかっていればいいのにと思った。
「そらはさ、嘘つきだったよね」
「おお、なんだよ涼沍、いきなりひでえな。俺重傷なんだぜ」
そらの声に、いつものような力強さはない。
いろんなところが、痛むのだと思う。何しろ彼は今、体を起こすこともできないのだから、それは当然、俺にも分かった。
「俺、なんか初めて会ったときに思ったんだよね。あ、こいつ嘘つきだなって」
「けっ、いつの話だよ」
「小三かな」
「俺そんなに嘘吐いてるか?」
真顔でそういう。
でもその、いかにも本気で浮かべる疑問符が嘘なのだと、俺は気付いてしまった。
「吐いてないのは、ばれる嘘でしょ。そらは自分のこと、なんにも考えてない。いっつもヒトの為に嘘を吐いてる」
そういう姿をかっこいいとも思っていた。
自分を犠牲にしてまで、彼が欲しているものとはいったい何なのだろう。
そらは、当然いつものように、俺のいったことに、いっさい本音を見せず否定の言葉を返すだろうと思った。「ばれる嘘もばれない嘘も別に吐いてない」と言うものと思っていた。
それが俺の知っている有泉そらという少年だ。
しかし、彼は「なーんだ、ばれてたのかよ。しかたねえなぁ」とため息を吐いた。
「否定しないんだ」
「今はそういう気分なんだよ」
「珍しいね」
「ああ。珍しい」
何か考えるように、あるいはまとめるように、目を瞑って、少しの間そらは黙った。一瞬、彼がもうこのまま起きないんじゃないかと思った。それほど彼の寝顔がすっきりとしていた。
「嘘を吐いたりさ」
と口を開き。目を開いた。
「嘘を吐いたりしてさ。本当の気持ちを誤解されたり、嫌われたり、まして嘘の自分を好きになられたりするのは、なんていうか辛いことだ」
俺は驚いた。
そらが言ったことは至ってその通りで、とても共感できるけれど、そらの口から「辛い」という言葉を聞くことがあるなんて思ってもみない出来事だった。
そらは、吹っ切れたように話す。
「誰も自分の本音を知らなくて、でも実は今までのは嘘でホントはこうなんですなんて言って知ってもらうこともできなくてさ。それなのに周りのヒトは、有泉そらを理解したようなことを言うんだ。君はこういうやつだよな、って」
そういうのはやっぱり、よくわかんねえけど辛いことなんだよ。とそらは言う。
辛い。辛い。と。
「じゃあどうして……」
どうして辛い思いをしてまで、嘘を吐くのか。
「単純なんだよ」
と自分にあきれたみたいに言う。
「理由っていうのは、大抵の場合単純なんだよ。ただ人間が『人間の心理は複雑だ』って信じてるだけで」
そらは、少しだけ恥ずかしそうに見えた。
俺は、これからそらがいうのは、彼の本音なんだなと感じた。それは、水をさわって「水だ」って思ったり、野球ボールをさわって「丸い」って感じるのと同じくらい自然に感じられた。
「俺、自分より不幸な思いをしてるやつが目の前にいるのが赦せなくってさ。でもそれって、きっと少なからず誰もが似たような思いを持ってると思うんだ」
たとえばそらは、目の前で転んで泣いている子どもがいれば「なんで転んだのが自分じゃないんだろう」と思う。昼食の弁当をひっくり返してしまったクラスメイトがいれば、なんでひっくり返ったのが俺の弁当じゃないんだろうと思う。おそらくそういうことを言っている。それはたぶん、彼がとても我慢強い人間だからだ。辛いと思いながらも、平気な顔で嘘を貫けるほど我慢強いから。自分の痛みなら我慢できてしまうから、そんな風に思えるのだろう。
自分の方が同じことが起きたとしても、目の前のヒトよりも苦しまないはずだと信じている。想像できない他人の痛みに胸を痛めるよりは、自分が我慢した方がまし。そういう考えだ。
俺にもその気持ちは、少しだけ共感できる。
でも彼に勝てないと思うのはそういうところじゃない。
「だから俺は、幸せなふりをしてでも誰かを笑わせたいと思ったんだ」
ヒト知れず引き受けた他人の痛みを笑ってやり過ごすことができる。誰にも自分を心配させない。それが有泉そらのすごいところだった。
そらは強い人間だと、改めて思った。
「じゃあ今日は失敗だね。全然幸せなふり、できてないよ」
「流石にこれはどうしようもない」
包帯を巻かれた腕を軽くあげてみせる。その少しの動作でも、彼には辛そうだった。
「まあ、ずっと誰かに話したくて仕方なかったんだけどな」
「今のを?」
「そう。本音を」
「話せばよかったじゃん」
「それじゃ、かっこわるいだろ。強い人間てえのは、自分の決めたことを貫き通さなきゃいけねえんだよ」
「かっこいいこと言うね」
ふたりで顔を合わせると、笑いがこみ上げてきた。
いつもよりずっと、そらの笑い方は静かだ。
「だから、このことをおまえに話したのは、一生に一度の俺の弱さだ」
「他のヒトには話さなくていいの? 横根は?」
「サクヤには必要ねえよ。あいつは昔の俺のこと知ってるから」
「そっか」
どうして、そらは、一生に一度の相手を俺にしたのだろう。そこまでの誠意を持って返せるものが、果たして俺にはあるだろうか。
「サクヤのこと、よろしくな涼沍」
今話題に出たからか、そらはつぶやく。
いいタイミングなので、前から気になっていたことを訊いてみることにした。
「そらは、横根のこと好きだったんじゃないの」
「そんなことねえよ」
それは嘘なんだと思った。彼の本音の時間は、もう終わってしまったらしい。
「サクヤは俺の友達だ。大切な友達だからおまえに頼むんだ、涼沍」
おまえこそ、サクヤのこと好きなんだろ。にやけるそらに「え?」ととぼけた声をだしてしまう。
俺が横根を好き?
「い、いい、え? いや、そんなことないでしょ」
「ばか、ちゃんとしろ」
いや俺は横根のことを好きだなんて思ったことはない。あれ、じゃあどうしてこんなに動揺しているんだ。まさかそうなのか。無自覚? いや、そらがいるから気付かないようにしていたのか?
「俺のことは気にすんなよ涼沍。俺は本当におまえとサクヤは友達だと思ってるんだ」
「友達いっぱいいるじゃんか。そら」
「バカ野郎。今言ってる友達は、本当に本当に大切な馬鹿どもって意味の友達だ。俺は、笑わず『愛してる』って言える奴しか友達なんて呼ばねえよ」
言ってることはわかりにくいけど、いつもおどけて、全力のそらが、今日はずいぶん格好付けたことばかり言う。
病室のドアがドッと音を立てて開かれた。
「そら! 浅津君も」
「おおサクヤ、ちょうどいいとこに来たな」
包帯まみれのそらを見て、血の気が引く横根。俺もさっき病室に入ったときにそんな顔をしていたのだろう。
帰り際、俺と横根が病室を出るときにそらは言った。
「じゃあな、愛してんぜ、涼沍、サクヤ」
それがそらとの最後の日だった。




