ランニング。コンビニの店員さんに挨拶
急に恥ずかしくなってしまった。
口から白い息が吹き出す。
あつい。さむい。あつい。やっぱり寒い。
冷凍庫の中で熱々の鉄板を持たされているようなよくわからない気分だ。
いつもと同じアスファルトの道を走っているはずなのに、足の裏がふわふわと柔らかに感じる。あれ、私ちゃんと靴履いたっけ? ……履いてる履いてる、というか履いてないわけない。大丈夫か私。
それもこれもあっくんのせいだ。
「『サクヤ、振り袖着ないの? 成人式の時にすごく似合うと思ったんだけど』って。成人式の時に言えええ!」
いったい何年越しだ。今更だ。なのに何でこんなに恥ずかしくなるくらい嬉しいんだ。デートらしいデートは、久しぶりだった。今日初日の出を見に行く約束があったから、確かにもとから少しドキドキ? ——いや、ワクワク? していた。浮き足立っていた。しかし、だからって、こんな花畑の蝶々みたいに、ひらひらと気持ちが舞い上がってしまうのはなんでなんだ。どんな初デートだって、大学受験だって、会社の面接だって、知人に交際を申し込まれた時だって、私は今ほど浮き足立つ経験をした覚えがない。
単に覚えていないだけなんだろうか。
昔の自分と、今の自分の感覚を比較するのは難しい。どうしたって、今の方が現実味において、格段に勝っているんだから。どんな人生の転機よりも、今の自分が体験しているなんてことない約束とか、ほめ言葉の方がずっと大切な気がする。
少しづつ速度をゆるめて、ミニストップの駐車場の中を歩く。いつも折り返し地点にしている場所だ。裏野ハイツからの道のりはおよそ千五百メートル。毎朝のランニングとしてはちょうどいい距離感だ。
店舗前の喫煙スペースでたばこを吸う男性の横を通り過ぎ店内に入った。普段は中には入らず、駐車場まで来たらそのまま折り返すことの方が多いのだけど。今日は少し時間を使って落ち着いてから帰りたかったので、適当に飲料水でも買おうと思った。いつもよりも息が上がっている気もする。腕時計を見ると、かなり速いペースで走っていたらしく、平均的なタイムよりも三十秒以上速かった。ランニングというより、ダッシュに近い。
元旦の空気は、それはそれは冷たいのだけど、ホットドリンクという気分ではなかった。ランニングで上がった体温に、エアコン利いた店内で汗がシャツと肌を接着させている。けれど外に出て飲むことを考えると、あまり冷たいものも選び辛く、常温で置いてあったウイダーinゼリーを持ってレジに向かった。若い女性の店員が小さな声で「いらっしゃいませ」と言ってそれを受け取る。彼女は私とあまり変わらないくらいの年齢に見える。近所で通り魔事件も続いているのだし、この時間に店内に二十代の女性ひとりというのは、少し危ない気がするなと思ったが、それは私にも言えることだと気付いた。「不用心だなぁ」と、つい小さくつぶやいてしまう。店員は私の声に反応しかけたが、私のただの独り言だと気付いてなにも言わなかった。私の後ろにひとり別の客が並んだ。コンビニのレジは完全に暇な時と、列ができるときが極端だといつも思う。多くの時間は誰も並ばないのに、ひとり会計を始めると途端に列ができ始める。誰かこの現象について、研究して名前を付けたりしていないものだろうか。と以前調べてみたことがある。そしたらそれっぽいものがあった。しかもふたつ。いや、ひとつは本当に名前を付けただけで、理論も理屈もないのだけど。その『導かれし者たち現象』というのを私はちょっと気に入っていた。
後ろに並んだ、私と同じくジャージの男性をチラッと見て「あ、導かれし者来た」と少しだけ楽しい気持ちになる。
ウエストポーチから小銭入れを取り出そうとファスナーをあけると、なぜか普段使っている長財布が入っている。いつも小銭入れとスマートフォンを入れているのだけど、変なテンションで焦って部屋を出てきてしまったせいで、スマートフォンと財布を間違えて持って来てしまったらしい。しかも小銭入れもない。焦りすぎだよ、私。
財布には万札が六枚入っていた。年末だから銀行口座から多めにお金を下ろしていた。「すみません、これで」と言って一万円札をレジに出した。
若い店員は疲れた様子ではあったけれど、対応は丁寧だった。枚数確認のお札を弾くリズムがちょうどいい。ウイダーinゼリーにテープを貼ってもらい、受け取る。
自分と同じくらいの年齢の女性が、年始から働いている姿を見て少し応援したい気持ちになって、
「ありがとう、がんばってね」
と私は言った。
「ありがとうございます」
疲れ目の彼女は、ちょうどいい笑顔で、そう返してくれた。




