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青天の彼岸花-regain the world-  作者: 文房 群
四章 日常と非日常
49/79

ーー3


 ――――そんな、おれが経験した夢の話が終わってからは、知り合いはいつものように今日のホットニュースについて話し始めた。

 曰く、カルガモの親子が無事に道路を渡っただとか。

 非道い殺人事件があっただとか。

 電車に人が挟まれただとか。

 今年の五月は例年より暑いだとか。


 他愛の無いニュースを聞きながら時折コメントをしていくおれは、教室が賑わってきた事に気付き、黒板の上に掛かっている時計に目を向ける。

 いつの間にか生徒が登校してくるピークの時間帯を過ぎていたようで、 あと数分で朝の朝礼が始まるところだった。


 後ろの席のクラスメイトが窓を全開にするのを見かけたので、おれも席の真横にある窓の鍵を外し、限界まで開ける。

 こうしないと、窓が割られてしまい周りに危険が及ぶ可能性があるからだ。



「またあのクズは寝てたの?」

「うん」

「わざわざカズサが起こしに行ってるのに…………」



 不満げに頬を膨らませる知り合いを「もうすぐホームルームか始まるから」と席に帰したおれは、窓から見える校門が教員によって閉められていくのを眺めながら、もうそろそろだな、と思う。

 そろそろ、彼が登校してくる時間だ。



 このクラスには名物となっている事が二つある。

 一つは体育の時間。

 もう一つは、週二回は必ず行われる、ちょっとした超人による、派手な登校風景である。


 それはおれが平日に毎朝起こしに行っている隣人が、おれと一緒に登校しなかった時に見られる光景。

 朝礼が始まるチャイムが鳴り響いた瞬間に繰り広げられる――――筋肉番付の時間である。


 その筋肉番付の内容を、少し説明するとするなら――――



 ――――グラウンドの先にある高く聳え立つ校門。

 生活指導の教員と警備員の二人がかりで開閉されるこの門は、この前測ってみたところ、横幅五メートル、高さは四メートルで厚さは十五センチあった。

 第一関門である、重厚な門。

 これを乗り越えるには、柵を掴みよじ登る方法でも相当運動神経が優れていなければならない門だ。

 朝のホームルームの時間までに登校できなかった生徒は、眼前に聳え立つこの門に立ち向かう事はまず考えず、門の脇にあるインターホンを押して警備員に校内に入れてもらうしかない。


 だがたとえこのギリギリで閉まる門を通過できたとしても、その次に待ち構えている第二の関門がある。



 第二の関門は校舎と中庭、グラウンドを繋ぐ計七十二段の階段だ。

 山を開拓した場所に建てられたため、地形により高低差があるこの学校は、基本的に地形に差のある場所にはスロープが設けられている。

 だが学校の各所にスロープが設置させたのはこの数年の間で、この学校の設立当初からある校舎と中庭、グラウンドの間にある五メートル弱のなだらかな断層には中心に手摺があるだけの石造りの階段があるだけだ。

 入学時、新入生がこの石階段による洗礼を受ける様子を、上級生達が「若いなぁ…………」と微笑ましげに眺めるのが伝統と化しているらしい。


 余談だが、あまり運動をしないタイプの女子高生である知り合いは、階段を上り終えると必ず産まれたての仔鹿のように脚が震える。

 見ていられなかったので、優しく抱き上げて運んだら、降ろしたと同時に全力で腰を殴られた。

 解せぬ。



 そして階段を上り終えた先。

 最後の関門として君臨するのは――――壁。

 窓と、鉄筋コンクリートの、足を引っ掛ける場所など存在しない。

 平たい、壁だ。


 一階は購買部や昇降口となっているこの学校では、二階から四階までを三年生、二年生、一年生が各フロア毎に使う教室がある。

 新入生であるおれや生駒がいる教室は、四階。

 地上から約十三メートルの高さにあるこの教室まで、登れないならば、校舎裏側にある下駄箱まで迂回し校舎内を移動するのが最も安全で確実な方法だ。

 だが、それでは大幅に時間が取られる。

 各階ごとの窓が開いているならば、サッシを足場にするなりカーテンを利用するなりで登れないこともないだろうが、生憎とそう都合良く窓が開いているわけではない。

 最短で教室に着くなら、この九十度の壁を登りきるしかないのだ。



 最後に、時間制限。

 おれのクラスの担任は少しのんびりとした性格の人物なので、チャイムが鳴ってから教室に入ってくるまでに最低一分の時間を要する。

 それまでに――――つまりチャイムが鳴ってから一分以内に教室に入っていればセーフ。

 入っていなければ、アウトだ。



 これら三つの関門と制限時間をクリアし、教室に辿り着くのが我がクラスの筋肉番付だ。

 この最早人間の限界を超えるような超難関な筋肉番付を週二回攻略してみせるために、寝坊した時の隣人の登校風景は必然的にクラスの名物となった。

 入学から一月経過していても、全く冷める様子のないクラスメイト達の期待と


携帯電話のストップウォッチ機能を作動させる準備をしたおれは、窓の外に映る校門、そのその外にある道路へ視線を移し、見知った彼の姿を探す。


 その直後。

 見知った頭髪が、おれの目に留まった。



「来た!」



 窓から身を乗り出していたクラスメイト数名が、この瞬間を楽しみにしていたとばかりに声を上げる。

 彼の頭が見えた時点でストップウォッチを作動させたおれは、「先生が来るまであと少しか」と思いながら、我がクラスの伝統光景へ意識を移した。



 今日も始まる筋肉番付の挑戦者こと、おれの隣に住む腐れ縁の『隣人』は、スタントマン顔負けのパフォーマンスを見せつける。



 まず第一関門。

 道路の奥から走って来た彼はスピードを緩めることなく、五メートル×四メートル×十五センチの金属製の門へ突っ込み――――門の手前で身体を捻りながら高く跳び上がる。

 まるで走高飛のように、全身をバネのように使って、



 門を、飛び越える。

 それはまるで、背中に羽でもあるかのように。



 体が門を飛び越えたところでもう一度全身を捻り、しゃがみ込むように地面に着地した隣人はクラウチングスタートを切り、グラウンドを横切る。

 校門の側に立っていた警備員は呆然と口を開けていた。

 第一関門、クリア。



 続いて緩やかな断層に設置された全七十二段の石階段。

 昔足を滑らせ頭を打った生徒がいるなどと噂されているこの階段を、跳ぶようにして進む隣人は、あっさりと頂上まで辿り着く。

 階段を登るというより、一定間隔で瞬間移動をしているようだった。

 第二関門クリア。

 残るは第三関門だけだ。



「おい! 先生来るぞ!」



 扉から顔を出し、最新情報をクラスメイトに伝える役であるらしい男子生徒がそう告げる頃、中庭の芝生を駆け抜けた隣人は既に第三関門である高さ十三メートルの壁の前まで辿り着いていた。

 ここまで二十秒程しかかけていない隣人は、スピードを緩めることなく、力強く壁を蹴ると、



「「「おおおおおおお!!?」」」



 観客者の歓声が響く中、壁と平行するように壁の上を走り――――

 ダンッ、と。

 体格に似合った体重と重力の合わさった、相当な重みのある音を立てて、おれの机の上に着地する。

 そのタイミングでストップウォッチを止めたおれが、携帯に表示された時間を見れば――――三十秒弱。

 通常の生徒が教室に来るまでは、走っても約十分はかかる道のりを、大幅にショートカットした結果が、これである。



「すげぇえええ! すげぇよお前ええええ!」

「毎回思うけどどんな身体してんだ!!」

「つーか普通にスタントマンいけんじゃね? つーか超人かよお前!?」



 超人的登校光景と、ついでに記録も更新してみせた隣人に、祭りのメインイベントの様な盛り上がりを見せるクラスメイト達。

 興奮を隠し切れない彼らが、今回も見事な筋肉番付を見せつけてくれた隣人に駆け寄り、おれの机周辺に群がる中、おれの机から降りる隣人は興味が無いように「シッシ」と適当な態度でクラスメイトを追い払う。

 登校して数秒で物理的にクラスメイトの中心となった彼が、隣の机に鞄を掛けるのを見ながらおれは思った。



 ――――隣人。

 彼は本当に人間なのだろうか、と。


 …………毎回の事ではあるが、今回もおれは思わずにはいられなかった。

 昔から思っていたが、いくら何でも身体能力が高過ぎではないだろうか。

 人類かどうかを疑うレベルで。



「おー、応援ありがとうなぁクラスメイト共ぉ」



 クラスメイトの尊敬の声や称賛を受け流しながら、おれが座る席の隣に立つ隣人。

 運動部に所属していそうな体格をしていながら、実際は万年帰宅部である彼に隣に立たれると、その恵まれた体躯から来る威圧感により中々迫力がある。

 それでなくとも粗暴さが目立つ性格から肉食獣に喩えられることが少なくない彼は、気怠げな動作で、「それで?」と。

 朝から筋肉番付というこれだけのパフォーマンスをしておきながら汗一つかかず、何事もないような涼しい顔でおれの手元にある携帯電話を覗き込むと「おっ」と声を上げた。



「タイム更新じゃねぇか。流石俺。サノスケもそう思うだろ?」

「…………ああ」



 純粋に身体能力が凄いと頷けば、満悦そうにうんうんと首を縦に振りながらおれの肩を抱く隣人。

 遠くから知り合いの鋭い視線を感じたおれは、ちらりと隣人の顔の向こう側を見遣れば、鬼のような形相でこちらを睨みつけている知り合いの姿があった。

 彼女はどうにも、おれと隣人が関わることが嫌であるらしい。


 だがそんな彼女の視線など無視し、さらには今し方教室に入ってきた担任の号令も全く耳に入れない隣人は、号令に応じ席を立つおれの肩を自分の方へと寄せて「相変わらずほっせぇなぁ」と呟くと、ここで不思議そうに首を傾げ。



「ん? サノスケよぉ…………」



 すん、と。おれの項へ顔を埋め、鼻を鳴らすと。



「お前、シャンプー変えたか?」



 おれはこのタイミングで、おじ様の言葉が脳裏に蘇った。

 ――――犬と思え、と。



 ――――今になって気付いたが、どうやら隣人はおじ様やリッパー、マスさん同じく犬のような人物であったらしい。

 通りでこれまでスキンシップが激しかったはずだと、隙あらば肩を抱いてくるところといいご飯を強請ってくるところといい、大型犬のような様子であった隣人の行動に納得がいったおれは、頭の片隅で「シャンプー変えた…………?」と考えながら、



「…………ああ。変わった」



 使っているシャンプーの種類が変わった、という意味では間違いがないだろうと思い、そう答えた。

 ここ最近組織の自室にあるシャンプーを使っていたため、おれがいつも使っているシャンプーの香りと匂いが違ったのだろう。

 その違いを敏感に嗅ぎ分けたらしい隣人は「ふーん…………」と呟きながら、おれの耳の後ろへ顔を寄せると、しばらくそこで匂いを嗅いでから、



「…………まぁ、悪くはねぇなぁ」


 と、俺の頭を掻き回すのだった。

 彼が何をしたかったのか分からなかった。



「ミツ!! 先生来てるからさっさと座る!!! あとカズサに近付かないシッダンッッッ!!!」

「あ? うるせぇぞクソアマ。俺は今サノスケと話してんだからテメェは入ってくんな殺すぞ」

「…………ミツ、前を見て欲しい。先生が待っている」

「あー…………サノちゃんが言うならしゃぁねぇなぁ」



 隣人を待っているためいつまで経っても始まらない朝礼に痺れを切らした知り合いの注意に、反発する彼。

 だがおれが「またか…………」と言わんばかりに諦めの表情でこちらを傍観している担任の様子を見て、朝の挨拶を促せば、これには二つ返事で従う隣人。

 理由は分からないがおれの言葉は普通に聞く彼に、やはり隣人も犬だったかと実感するおれは、これまでに会った人々の顔を思い浮かべ、こう思った。


 おれの周りには、犬のような人間ばかりいるような気がする――――と。



「サノスケぇ、メシぃ」



 朝の挨拶を終えるや直ぐに席に着き、そうおれへと催促してくる隣人に、おれはいつもの様に今朝コンビニで買っておいたパンを一つ手渡す。

 これにまた遠くの机で不貞腐れながら睨みつけてくる知り合いの姿が見えたが、毎回の事なので今度は軽く流した。


 机の中に仕舞っていた一時間目の授業に使う教科書や参考書を取り出し、机の上に出す。

 朝礼が終わり、数分後に始まる授業の用意のために席を立つクラスメイトの姿を見かけながら、窓の外へ意識を向けるおれはああやっぱりと目を奪われる。


 灰色ではない、青い空が広々と広がっていた。

 十数年間、毎日ずっと見上げ続け、変わることのなかった空だ。

 そして今日も変わらずに澄み渡る青空に、これからまたいつもの様な、化け物に襲われることのない日常が始まるのだと思い、安堵するおれは、始業の鐘を遠くで聞きながら。



 その一方で、灰色の空の下で戦った事を思い出していた。




 ――――ところでおれは日々の暮らしの中で一つ、いくら考えても分からない疑問が一つある。

 それはおれが隣人と話をしている時、必ず周囲のどこかで誰かが息を呑む音を聞く事だ。


 特に割合としては女子生徒による声が多いような気がする。

 知り合いと話している時には全く聞こえないのに、あれは何なのだろうか。

 一度知り合いに訊ねてみたのだが、彼女は何かを悟ったような微笑を浮かべてこう言いながら、首を振っただけだった。



「カズサ、腐界に手を出しちゃいけないのよ」



 今でもおれは、彼女言った言葉の意味が分からずにいる。

 ちなみに、辞書で意味を調べてみても分からなかった。





 ところで、おれの二人の友人について話をしようと思う。

 こんなおれの傍に居続ける、非常に物好きな二人の話だ。



 まず、毎朝おれに本日のトップニュースについて話題を振る、聞き上手の彼女。

 知り合いの、生駒。

 彼女と出逢ったのは、中学一年生の秋だった。


 おれが住む町は大きく分けてオフィス街と住宅地に分かれ、住宅地側にあるオフィス街の中にある駅の裏にはもう一つ、隣町と繋がっているある区域がある。

 そこは所謂歓楽街と呼ばれる場所で、ビジネスホテルやバー、キャバクラといったものが建ち並んでいる。

 夜になるときらびやかに照明やネオンが光る街となり、安っぽいインターネットカフェやゲームセンターがある事から、スーツを着た大人だけではなく普段着の大学生まで集う場所となる――――眠らない街。


 彼女はその街を歩き回る、不良少女だった。



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