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「どうしたのよ今日。いつもはアタシが話しかけるまでずっと空を見てるくせに」
訝しげな視線を向けてくる知り合いの話を聞き、彼女がおれを疑う理由が分かったおれは「そういうことか」と内心で呟く。
どうやらおれはいつも、声をかけられるまで趣味の青空観察をしていたのだらしい。
しばらく空を見上げない日々が続いていたために、自然と周りを見るようになっていたのか。
それとも幻想世界と現実世界の光景を比べ、感傷に浸っていたからか。
そのどちらにせよおれは最も付き合いの長い彼女から指摘されるほど、空を観ていなかったようだ。
彼女が日課より、おれを優先するほどに。
「…………なんとなく、ね」
じっとこちらを見てくる知り合いに、なんともないという態度で窓の外へ目を向けるおれだが、それでも疑わしそうにおれを見詰めてくる彼女の視線にが気になり――――少しの奮闘の末に負けた。
こうなると彼女は頑固だ。折れることは無い。
このままずるずると何もかも問い質させるのは困る。ルイスさんにも幻想世界については話さないようにと何度も言われているので。
だから、ほんの少しだけ。
おれは、胸の中にあるものを話すことにした。
「…………夢を、見たんだ」
「夢?」
「…………うん」
組織の人達から口止めされているので、詳しいことは言えない。
嘘を吐こうにも、心苦しくなるのでおれはすぐ本当の事を言ってしまう。
なので所々詳細を曖昧にして、彼女にこれまでおれが経験した奇妙な事を語ることにしたおれは、
本当の話を、空想のように、語る。
「…………空が、灰色で。何も無くて、寂しくて…………誰もいない。そんな場所で、化け物に襲われた」
「…………化け物? エイリアンとか、そんな感じの?」
「…………サナダムシのような」
「寄生虫の?」
図鑑で見た写真が正しいなら、と頷けば、携帯を開いた知り合いはネット検索でサナダムシについて調べる。
十数秒程して「うわキモ」と吐き捨てながら見せて来た画面には、白い体に長い胴体の、ミミズのような生き物の写真が映っていた。
――――うん。ちょうどこれを巨大化したような化け物だった。
ビルサイズのこんな生き物だったという事を伝えると、即座に携帯を閉じた彼女はもう一度「キモッ…………」と、路上にまき散らされた吐瀉物を見る様な嫌悪の表情を見せながら、おれに話の続きを促す。
変なものを検索させて申し訳ないと思いながら、続きを話す。
「化け物に襲われたおれは必死で逃げて…………死にかけたところを、助けられて…………。
それから色んな人と会って…………おれは、化け物と戦うことになった」
「…………戦うの? あんな気持ち悪い化け物と?」
「うん…………今はまだ、その…………化け物と戦うための力をつけなければいけないから…………化け物と戦う正義の味方、みたいな人達とは一緒に、戦場には出ていないけれど…………」
――――マスさんと手合せをした、その翌日から、おれは医務部員と科学部員数名による監修の元、自分自身のSFを基準値に上げるための訓練を受けていた。
おれ個人が持つB型のSFはとにかく身体を鍛えれば上昇する、というマスさんの弁もあり、地道な筋トレなどで少しずつ上がってきているものの――――おじ様やリッパーのSFがあるため、本来よりかなり早い段階でおれは戦場に出ることになるらしい。
その話をルイスさんから聞かされた時は、「まあ既に何体か殺してるしな」という、『当たり前』のような感覚があったが。
「…………おれは」
後々になって、ふと、思い返してみた時に。
「正直…………少し、怖い」
今更のように、恐怖を覚えた。
――――生きるため、生きて恩を返すために、殺すと決めた。
生き延びるために、たとえ何者が立ち塞がったとしても、殺して生き延びるという、覚悟はもう決めていた。
だが、それでも怖いのだ。
覚悟を決めても、そうやって生きていくと決断しても、海の向こう側でしか聞くことの無いような『戦い』に、参加するという事が。
その中に、徴兵された兵士のように身を投じる事になるという話が、訓練を受けるにつれ現実味を帯びて、冷たく重く身体にのしかかってくる。
ぴたり――――と。
『戦い』の気配が、影のように真後ろに立っているように思えて、仕方が無いのだ。
人と化け物の、戦争というものが。
「…………戦うのが怖いの?」
おれが目を見られることを苦手としている事を知っているため、おれの額の方へと目線を合わせてくれる彼女は問う。
「…………うん」
問われた事によって、はっきりとした形を持った恐怖を自覚したおれは、答える。
――――おれは、戦うことが怖い。
覚悟をしても、怖いものは怖いのだ。
「…………カズサ」
手元を見つめるように視線を落とすおれ。
そんなおれの俯いた顔を眺める彼女は、彼女だけが使う渾名でおれを呼ぶと、こう言った。
「でもカズサって、戦うことは嫌いじゃないでしょ?」
「――――え?」
予想もしていなかった事を言われ、おれは顔を上げる。
カラーコンタクトレンズを入れているのか。黒目の部分が大きい彼女の茶色い瞳と、一瞬視線が絡む。
まだ朝練に参加している生徒も帰ってきておらず、そもそもこれから生徒達が続々と登校してくる時間帯であるため、実質おれと知り合いの二人きりだけである、教室。
朝の薄い光が差し込むそこで、困惑のために返す言葉を探すおれに向けて、彼女は何気ない事を口にするように、淡い桃色に彩られた唇を開く。
「カズサって、中学校入る時からあのクズと連んでるから、その辺の不良より喧嘩経験してるでしょ?」
「…………そう、なのか?」
「そうよ」
ざっくりとおれの戸惑いを切り捨てる、わりと口の悪い人種である知り合い。
今この場にはいない隣人を『クズ』と呼び、『その辺の不良』という言葉を唾を吐き捨てるように唱えた彼女は、話を続ける。
「私、わりとカズサとあのクズが喧嘩しに行く時、一緒について行ってるでしょ」
――――それは喧嘩の後にファミレスで開かれる謎の恒例行事、『喧嘩お疲れ会』におれと隣人を強制参加させるためだろう。
何を言っても毎回おれと隣人の後をつけてはちゃっかり野次馬のように声援を送る彼女に、尊敬似た呆れを抱きつつ相槌を打つ。
ちなみに、おれか隣人のどちらかに、彼女主催のこの行事で財布を開けさせるためについてきていることを、おれは知っている。
「その時のカズサだけど…………仕方なさそうにしてるけど、私が知る限り嫌な顔なんて一度もしてないじゃない」
「……………………そう、なのか?」
彼女の言葉に対し、おれは半信半疑で自分記憶を振り返ってみる。
これまで隣人に巻き込まれた事、引きずり込まれた事を思い出せる限り思い出し、自分の感情を照らし合わせてみれば――――自覚していなかったが。
言われてみれば確かに、おれは隣人に巻き込まれる事を「嫌だ」と感じた事はないように思えた。
大体が拉致させる形で、おれは隣人の買った喧嘩に巻き込まれてきた。
時には引き摺られるようにして、時には何も言わず連れてこられて。
上級生だったり、気の立った同年代の元達の前にいきなり放り出され、一通り倒し終わるまでおれは家に帰らせてもらえず。
その上逃げる隙も無いほどに、隣人が面白半分で殺気立った者をおれの方へ送り込んでくるので、おれは仕方なく、正当防衛という形で攻撃してくる者達に対応して。
そんな事が、何度もあって。
上手く人の頼みを断ることが出来ないおれは中学生の三年生になるまで、しょっちゅう隣人の喧嘩に巻き込まれ、巻き添えを食らっていた。
またか、と呆れることはあった。
巻き込まれたことに気付き、仕方が無いと、逃走を諦めることもあった。
だけど思えば――――いつもおれを巻き込んでくる隣人に対して、おれはこれっぽっちも『嫌だ』という気持ちは抱いたことは無かった。
そもそも、そんな事を考えたことも無かった。
「それにあのクズに連れていかれる時、いつも抵抗しないし…………だからアタシ、カズサは心の底じゃ喧嘩を楽しんでるんだと思ってたわ」
じゃなきゃそもそもあんなヤツと仲がいいわけないし――――と。
話を締め括った知り合いは一度自分の席へ戻ると、机の中からチョコレート菓子を持ってくる。
その間に彼女が言った言葉を理解しようと頭を働かせていたおれは、彼女が放った言葉を脳内で反芻していた。
――――おれが、喧嘩を楽しんでいる。
そんな事は無い。それは母の人を傷付けてはいけないという教えに反する行為で、いけないことのはずだ。
そう思いながらも、しかし何故か完全に否定するには胸の奥に突っかかるものがあるその指摘に、没頭するようにおれは考え込む。
――――人を傷付けてはいけない。
それは母の教えで、法律でもやってはいけないことと罰則を設けられている。
けれど、おれは喧嘩に対して嫌悪感を抱かず、寧ろ知り合いの目からは好んでいるように思われていた。
何故。おれは喧嘩が嫌だとこれまで思わなかったのか。
何故。おれは一度も隣人の誘いを断らなかったのか。
もし仮に、喧嘩が好きだとしたのなら――――何故おれは、戦争に恐怖を抱いているのか。
喧嘩と戦争の違いは何だ。明確な死がそこにあるからか。だけど喧嘩も気を抜けば生死に関わることだ。なのに何故、おれは戦争に恐怖を抱くのだろうか。
考え込めば考え込むほど、堂々巡りとなってしまう思考。
終わらない黙考を続けるおれに、目の前で菓子の袋を破り机に広げていた知り合いは、
「はいカズサ、あーん」
「ぅぐっ――――!?」
がっ、とおれのアゴを掴むや強制的に口を開かせて、六角形のチョコレート菓子をおれの口の中に押し込んだ。
噎せるかと思った。
捩じ込まれた菓子のせいで擦れた舌が若干痛い。
「ぬぅ…………」
吐き出すわけにもいかないので、そのままもごもごとパイ生地に包まれたチョコレート菓子咀嚼すれば、パリっとした触感が歯に伝わる。
続いてさらりと、噛んだミルクチョコレートが唾液に混ざり広がる感覚。じわりと舌に溶ける甘さと香り。
一旦思考を中断し、もぐもぐと口を動かしていれば、チョコレートの入った小さなパイ菓子を上下で二つに割るという独特な作業を始めた知り合いは言った。
「多分だけどね、アタシ、カズサは戦争自体が怖いんじゃないと思うの」
「ぬ…………?」
何を言い出すのかと、ゴクリとチョコレートを飲み込みんだおれが目を見張る中、彼女はパイ菓子を生地とチョコレートの付いた生地に分けたものを並べながら。
「カズサは多分、知っている誰かが死ぬのが怖いんだと思う」
――――心の大切なところを、見透かされた気がした。
言葉を失い彼女を凝視していると、チョコレートの付いたパイ生地を、おれの口へ押し込んでくる知り合いは語る。
「カズサの夢の話。確かに気持ち悪いし、怖い感じが凄くした。でも、それだけじゃなかった。
アンタ、途中で嬉しそうに話してた。
夢の中で人と会ったって言ってたわよね?
少し話を聞いただけだけど、カズサがその人達の事を嫌いじゃないんだってことは、すごく分かったわ。だって、その時アンタ嬉しそうだったもの――――嫉妬しちゃうぐらいに」
そう不機嫌そうに言いながらも、彼女はおれの口にチョコレートを押し込み続ける。
まるで、八つ当たりのように。
「その人達は化け物と戦う人達で、アンタはその人達と戦うことになった。けれど、喧嘩が好きなカズサはそれが怖い。
何が怖いのか? 戦うこと自体じゃないのは、長年の付き合いで分かるわ。
だったら答えはただ一つ。
夢であった人達が、死んでしまうかのしれない。
それがアンタは怖いんでしょ?」
「――――――――」
言われて、おれは想像した。
たとえばおじ様が。たとえばリッパーが。
たとえばマスさんが。たとえばルイスさんが。前衛部隊の人が――――死んで、しまったら。
戦って、死んでしまったら。
それは――――――すごく、嫌だ。
「……………………生駒」
冷えた両手で胸を包まれたような、感覚。
戦争が怖い、その理由を正しく認識したおれは、脳裏に浮かんだ嫌な想像を意識の外へ振り払いながら、やっと菓子を捩じ込まなくなった知り合いに訊ねる。
「おれは…………どうしたら良いんだろう」
喧嘩は嫌いじゃない。戦争が怖い。知っている人が死ぬのが恐ろしい。彼らが死ぬのは嫌だ。
予想外の事を指摘されて、見透かされたように自分でも分かっていなかった本心を暴かれて、何を考えても纏まりがつかないおれは縋る気持ちで、彼女を見た。
残されたパイ生地の部分を啄みながら、彼女は平然として言う。
「守ればいいじゃない。いつも勝手についてくるアタシに、カズサがしているように」
「守る…………?」
そんな事が、出来るのだろうか。
そんな力が、おれにあるのだろうか。
どうにも「守る」という単語が舌に馴染まず、疑心暗鬼で目をやるおれに、知り合いは可憐な花のような微笑みを浮かべる。
「大丈夫よ。カズサなら出来る」
「…………よく、分からない」
断言する知り合いに、「その自信はどこから来るんだ」と問いかけると、今度は彼女はそっと目を細めた。
そして窓から注ぎ込まれる、朝の光より優しい笑みで、答えた。
「――――カズサにも、いつか『この人になら自分の全部をあげてもいい』って思う人が出来たら、分かるわよ」
そう、慈しみに満ちた――――聖母のように。
「――――なんてね」
「ぬっっ」
まるで赤ん坊を抱いている母親のような表情に、どきりと心臓が音を立てたおれが、どう反応していいか分からず硬直しているように間に、いつもの少し性格のキツそうな顔に戻った彼女は、ペシンとおれにデコピンを食らわす。
お陰で現実に意識を戻せたおれだが、彼女の言った言葉の意味とデコピンをされた理由が分からず、首を傾げていると、知り合いは「ふふっ」とからかうような、いたずら気な笑みを浮かべる。
なぜ、そんなに楽しそうな顔をしているのか。
謎が深まるおれであったが、しかし不思議と胸の内はすっきりとしていた。
胸のつっかえが、無くなったようだった。
彼女が話を聞いてくれたからだと、判断したおれは彼女に礼を言う。
「ありがとう、生駒。少し、気が楽になった」
「…………良かった」
「んぐっ」
――――礼を言っているのに、何故おれの口に菓子を捩じ込むのか。
いつもの事だが、つくづく彼女の事がよく分からないと思いながら、黙々と棒状のチョコレートスナックを咀嚼するおれに、彼女は一拍間を置いて。
「…………まあ、カズサの話なら、いくらでも聞いてあげるわよ」
そう言ったかと思えば、「まあ代わりに何か奢ってもらうけどね!」とビジネスを持ちかけながら、今度は別の菓子をおれの口に突っ込んだ。
餌付けをするにも乱暴すぎる彼女の頬は――――少し、赤かったような気がした。




