第2話 誰も降りられない踏切
八つ目の湯飲みが
カウンターに置かれた。
誰も触れていない。
それなのに
湯気が立ち上っている。
「八人目です」
七人の人影が
同じ声で繰り返した。
神崎直人は
ゆっくり後ずさった。
「AR-01
あの七人は生きているのか?」
「生命反応を確認。
全員生存しています」
「なら助けられるな」
「ただし
通常の空間には存在していません」
神崎が振り返る。
入口は消えていた。
代わりに
真っ黒な壁が広がっている。
「どういうことだ?」
「この建物には
二つの空間が重なっています」
AR-01の胸部が開き
青い光が放たれた。
空中に
店内の立体映像が現れる。
一つは
神崎たちが立つ居酒屋。
もう一つは
その裏側に隠された
同じ形の居酒屋だった。
「七人は
裏側の空間に閉じ込められています」
「どうやって連れ戻す?」
「空間を維持している
霊的存在を特定します」
厨房から
女の笑い声が聞こえた。
「お客さん
注文はまだですか?」
白い割烹着の女が
再び現れた。
神崎は
女を見つめた。
「お前が
七人を閉じ込めたのか?」
女は答えなかった。
代わりに
八つ目の湯飲みを
神崎の前へ滑らせた。
「冷めますよ」
AR-01が
神崎の前に立った。
「飲まないでください。
液体から
強い霊的反応を検出しています」
その瞬間
七人の人影が
一斉に動いた。
神崎の腕をつかみ
湯飲みへ引き寄せる。
「飲んで」
「飲んで」
「飲んで」
神崎は抵抗した。
「AR-01!」
「対象を確認。
完全除霊を開始します」
青い光が
七人の人影を包んだ。
しかし
光は途中で停止した。
「除霊中断」
「なぜだ!」
「七人は生存者です。
除霊対象ではありません」
神崎は
歯を食いしばった。
「なら
あの女だけを狙え!」
AR-01の右腕が
厨房へ向けられた。
だが
女の姿が消えた。
次の瞬間
神崎の背後から
声がした。
「注文をお願いします」
神崎が振り返ると
女の顔が
目の前にあった。
目も鼻も口もない顔。
それなのに
女は笑っていた。
「AR-01
本体を探せ!」
「解析中」
青い光が
店内を走る。
壁。
天井。
床。
そして
時計。
「発生源を特定しました」
「どこだ?」
「時計です」
神崎は
壁を見上げた。
午前二時四十四分。
逆回転していた針が
再び止まっている。
「女じゃないのか?」
「女は
時計が生み出した
霊的な分身体です」
AR-01の解析映像に
三十年前の記録が現れた。
店主だった女は
閉店した日の深夜
客を待ち続けていた。
しかし
最後の客は来なかった。
翌朝
女は店内で
亡くなっていた。
それ以来
時計は同じ時刻を示し
訪れた人間を
客として閉じ込めていた。
「時計に
女の未練が残っているのか」
「正確には
未練を核として形成された
霊的空間です」
神崎は
七人の人影を見た。
「時計を壊せば
この人たちは戻れるのか?」
「可能です。
ただし
物理的な破壊では
空間の崩壊が発生します」
「じゃあ
どうする?」
「核となる霊的結合を
解除します」
AR-01が
時計へ右腕を向けた。
青白い光が
文字盤を包む。
時計の内部から
女の悲鳴が響いた。
「まだ
お客さんが来ていない!」
「対象の結合点を確認」
AR-01の掌に
幾何学模様が広がった。
「完全除霊を実行」
時計が
青い光に包まれた。
針が激しく回転する。
二時四十四分。
二時四十五分。
二時四十六分。
針はさらに回り続けた。
ニ時四十七分。
そして
時計は止まった。
女の姿が
光の粒へと分解される。
「いらっしゃいませ……」
最後の声が
静かに消えた。
店内の黒い壁が
元の姿へ戻っていく。
入口が現れた。
七人の人影が
床に倒れた。
神崎は駆け寄った。
「大丈夫か!」
一人の男が
ゆっくり目を開けた。
「ここは……」
「もう大丈夫です」
AR-01が答えた。
「霊的空間は消滅しました」
神崎は
時計を見上げた。
針は
午前ニ時四十七分を示していた。
「これで終わりだな」
「はい。
残留反応ゼロです」
七人の失踪者は
全員救出された。
そして
居酒屋『月影』の怪異は
完全に消えた。
翌朝。
神崎の研究施設には
さらに多くの依頼が
届いていた。
未処理件数。
五百三十二件。
「増えてるじゃないか」
神崎は苦笑した。
「次はどこだ?」
AR-01が
地図を表示した。
北海道の山間部。
人口の少ない町。
そこに
一本の古い鉄道路線があった。
「無人踏切です」
「踏切?」
「過去二十年間で
十一名が行方不明になっています」
画面に
夜間の監視映像が映った。
遮断機が下りる。
警報音が鳴る。
だが
列車は来ない。
それでも
踏切の前に立った人間は
突然姿を消していた。
「どうやって消える?」
「不明です」
映像が切り替わった。
今度は
三日前の記録。
若い男性が
踏切の前で立ち止まる。
遮断機が下りる。
そして
暗闇の中から
古い列車が現れた。
「列車が来てるじゃないか」
「この路線は
十五年前に廃止されています」
神崎は
画面に顔を近づけた。
列車の窓に
人影が見える。
一人。
二人。
三人。
全員が
窓の外を見つめていた。
「乗客がいるのか?」
「確認できません」
列車が通過する。
その直後
踏切の前にいた男性が
消えていた。
「これは……」
神崎が言葉を失う。
AR-01が
映像を拡大した。
列車の最後尾。
そこには
一枚の古い札が
取り付けられていた。
『終点なし』
神崎は
眉をひそめた。
「終点がない列車?」
「さらに
不可解な情報があります」
「何だ?」
「失踪者の携帯電話から
昨日
位置情報が送信されました」
「どこから?」
AR-01の青い眼が
静かに光った。
「この踏切です」
神崎は
画面を見つめた。
二十年前に消えた人間が
今も
同じ場所にいるのかもしれない。
「出動するぞ」
「了解しました」
その夜。
神崎とAR-01は
山間部の無人踏切へ
向かっていた。
遠くから
警報機の音が聞こえた。
カン。
カン。
カン。
道路の先で
赤い光が点滅している。
しかし
線路の向こうには
何も見えない。
神崎が
車を止めた。
「AR-01
何か見えるか?」
「はい」
「何だ?」
「列車です」
神崎は
暗闇を見つめた。
何も見えない。
だが
AR-01は続けた。
「すでに
踏切の中央に停車しています」
その瞬間
神崎の耳元で
男の声がした。
「次は
あなたの番です」
神崎が振り返る。
そこには
誰もいなかった。
そして
遮断機の向こう側で
見えない列車の扉が
ゆっくり開く音がした。




