第1話 完全体AR-01、起動
北海道札幌市。
深夜二時。
市街地から離れた
研究施設の地下で
一体の白銀のロボットが
静かに起動した。
「AR-01
聞こえるか」
神崎直人が
問いかけると
青い光が
ロボットの両眼を横切った。
「音声認識正常。
神崎直人を確認しました」
かつてAR-01は
霊を自らの内部に取り込むことで
除霊を行っていた。
しかし
その方式には
致命的な欠陥があった。
吸収した霊の記憶や感情が
内部に蓄積し
制御系を侵食していくのだ。
神崎は二年間をかけて
機体の構造を
根本から作り直した。
新たに搭載されたのは
霊的存在を構成する
未知のエネルギーを解析し
その結合を
直接解除する装置。
霊を吸収する必要はない。
対象をその場で
完全に除霊する。
「最終試験を開始する」
神崎が
操作盤に触れると
研究室の中央に
黒い箱がせり上がった。
箱の内部には
かつて廃病院で採取された
強力な霊的残留物が
封じ込められている。
封印が解除された瞬間
室温が急激に低下した。
天井の照明が点滅する。
箱から黒い煙が噴き出し
人間の顔に変わった。
「出して……
ここから出して……」
研究室全体に
声が響く。
神崎は
一歩も動かなかった。
「AR-01
完全除霊を実行」
「了解しました」
ロボットの右腕が
持ち上がる。
掌に青白い光が集まり
複雑な幾何学模様が
空中に展開した。
「対象の霊的構造を解析。
結合点を特定」
黒い顔が叫んだ。
「やめろ!」
次の瞬間
青い光が
研究室を満たした。
爆発も衝撃もなかった。
黒い煙は
細かな光の粒へと分解され
音もなく消えた。
「除霊完了。
残留反応ゼロ」
神崎は
計測画面を見つめた。
数値は
完全なゼロを示している。
以前なら
霊の反応は
必ずどこかに残った。
しかし今回は違う。
「成功だ……」
神崎は
椅子に深く腰を下ろした。
二年間の研究が
ようやく実を結んだ。
そのとき
AR-01が静かに言った。
「神崎。
新しい依頼が届いています」
「もうか?」
「現在の未処理依頼は
四百二十七件です」
神崎は
思わず顔を上げた。
「四百二十七?」
「北海道から沖縄まで。
除霊を希望する依頼が
集中しています」
完全体AR-01の噂は
神崎の知らないところで
全国に広まっていた。
著名な霊媒師でも
立ち入れない廃墟。
何十年も怪異が続く
事故現場。
警察さえ説明できない
失踪事件。
人々は
最後の希望として
神崎とAR-01に
助けを求めていた。
「最初の依頼は?」
「札幌市内。
廃業した飲食店です」
画面に
一軒の古い飲み屋が
映し出された。
店の名前は
『月影』。
三十年前に閉店した
小さな居酒屋だった。
「ここで何が起きている?」
「過去一か月で
七名が失踪しています」
「七人も?」
「全員が店内に入る姿を
確認されています。
しかし
外へ出た記録がありません」
神崎は
眉をひそめた。
「建物は調べたのか」
「警察による捜索は三回。
地下室や隠し通路は
発見されていません」
画面が切り替わる。
そこには
除霊を試みた霊媒師たちの
記録が並んでいた。
一人目は
店に入って三分後に
意識を失った。
二人目は
店内から逃げ出し
その後一週間
言葉を発しなくなった。
三人目は
店の前で突然
泣き崩れたという。
「かなり厄介そうだな」
「私の新型除霊装置であれば
対応可能です」
神崎は立ち上がった。
「よし。
出動だ」
午前三時十五分。
神崎とAR-01は
札幌市内の古い商店街に
到着した。
街灯の半分は
消えていた。
人通りはない。
細い路地の奥に
赤い提灯が
一つだけ揺れている。
『月影』
色あせた木製の看板には
確かにそう書かれていた。
「三十年前に閉店した店なのに
提灯が点いているのか」
「電力供給は確認できません」
AR-01の返答に
神崎は足を止めた。
「電気が来ていない?」
「はい。
建物全体に
電流は流れていません」
それでも提灯は
赤く光っていた。
神崎が
引き戸に手を伸ばす。
その瞬間
内側から戸が開いた。
「いらっしゃいませ」
女の声だった。
店内には
誰もいない。
古い木製のカウンター。
六つの丸椅子。
壁に掛けられた
昭和時代の時計。
時計の針は
午前二時四十四分で
止まっていた。
「AR-01
霊的反応は?」
「検出しています。
強度は通常の霊の
約八十倍」
「八十倍?」
「ただし
反応の発生源を
特定できません」
神崎は
カウンターの奥を見た。
そこには
七つの湯飲みが
並んでいた。
どれも
湯気を立てている。
「失踪者の数と
同じだな」
そのとき
奥の厨房から
包丁の音が聞こえた。
トントントン。
誰かが
野菜を切っているような
規則正しい音。
「お客さん。
何にします?」
再び女の声。
神崎は答えなかった。
代わりにAR-01が
厨房へ向けて
右腕を伸ばした。
「霊的存在を確認。
除霊を開始します」
青い光が
厨房を照らす。
すると
暗闇の中に
一人の女が浮かび上がった。
白い割烹着。
長い黒髪。
顔には
目も鼻も口もなかった。
「注文は?」
女が尋ねた。
「対象を固定。
完全除霊を実行」
AR-01の掌から
青白い光が放たれた。
女の身体が崩れ
光の粒となって
消えていく。
「除霊完了。
残留反応ゼロ」
神崎は
息を吐いた。
「さすがだな」
だが
その直後。
カウンターに並んでいた
七つの湯飲みが
一斉に割れた。
店内の時計が
動き始める。
カチ。
カチ。
カチ。
止まっていた針が
逆方向へ回転した。
「AR-01?」
「異常を検知しました」
「何だ?」
「建物内部の空間構造が
変化しています」
入口の引き戸が
消えた。
窓も壁も
黒い染みのように
塗りつぶされていく。
そして
厨房の奥から
先ほどと同じ女の声が
響いた。
「お客さん」
神崎の背筋が
凍った。
「まだ
注文を聞いていませんよ」
暗闇の中から
白い割烹着の女が
再び現れた。
顔には何もない。
だが今度は
その背後に
七人の人影が立っていた。
「AR-01
さっき除霊したはずだろ?」
「はい。
先ほどの霊的存在は
完全に消滅しています」
「じゃあ
あれは何だ?」
AR-01の青い眼が
激しく点滅した。
「解析結果が出ました」
「言ってくれ」
「先ほど除霊した存在と
現在の存在は
別個体です」
神崎は
言葉を失った。
女がゆっくりと
首を傾ける。
「お客さんは
何名様ですか?」
AR-01が答えるより早く
七人の人影が
同時に口を開いた。
「八人目です」
その瞬間
店の奥で
新しい湯飲みが
一つ置かれた。
八つ目の湯飲みだった。




