【1-9】移り変わる世界
「もうそんな時期になっているのね。あとどれくらい期間があるのかしら。魔導回路越しだと小さいし、話し声も多くてよく聞こえないわ」
『前に庭園に隠しておいたドールがあるの。盗聴させてみましょう』
王宮内にはいくつか庭園があり、一番広い大庭園を中心に囲うように建物は建てられている。シエルの言う庭園はここのことだろう。季節の花や、大きな彫刻が飾られてそれは美しい、が、私が最後にちゃんと見たのはかなり幼い頃だ。どんな見た目だったかあまり覚えてはいない。
ふとシエルは立ち上がると、少し伸びて準備運動をしてから私に手を差し出した。
「どうかしたの?」
『お姉様、私と手を繋いで。ドールの目と耳を共有するわ』
「共有もできるなんて便利な魔術ね」
『私達の身体は魔力が通るんだからそれくらい楽勝よ。何より、彼らは私が作ったんだもの』
前からドールの視界で外を見るシエルの姿は見てきた。片目を閉じればその目だけにドールの視界が映り、両目を閉じれば意識ごと向こうへ潜り込める。しっかり耳を塞ぐと、より鮮明に向こうの音が拾えるらしい。耳は強く手を押しつけて閉じるほど聞きやすいそうだが、今は片耳しか無理そうだ。
『さあ行くわよ!』
「『せーの!』」
——パシッ
目を瞑って手を勢いよく掴むと、視界は真緑に染まった。地面が異様に近いこの視界は見慣れず、少し眩暈がする。
「わっどこよここ」
『どこかの花壇ね。この前隠した場所から動いてないといいんだけど……あーー、移動しちゃってるわね』
遠くから微かに、祭り前の喧騒や荷馬車が石畳を軋ませる音や人々の慌ただしい怒号が届いてくる。
動く範囲に関してはある程度指示は出せるそうだが、シエルが見ていない間にどこに彼らがいるかは分からない。ドールだって魔力を命とする生き物だからだ。
草をかき分けて出ていくと、目の前には白い壁と整然と刈られた優美な庭が現れた。なんだか懐かしい視界に、少し息を吐いた。
(知らないうちに、私がいないうちに春が来ている)
自分だけがあの冬に取り残されていて、この光景が現実であるという事実だけで胸が締め付けられるようだった。
『ぼーっとしないでお姉様。一度近くの建物とかに入ってみる?』
「待って、右から誰か来てるわ」
コツコツと音を立てて歩くヒールの音。この早足なのにどこか優雅な歩き方には見覚えがある。ドールが茂みの隙間から首を伸ばして上を見上げると、木漏れ日が透けるようなブロンドのお団子と同じ色の切れ長の瞳が映り込んだ。
「マドライナ!」
『誰?』
「レトお兄様の従者よ。無口で無表情でレトお兄様にしか心開いてない問題児」
『まぁ……』
レトお兄様とマドライナが特別な絆で結ばれているのは見ていて分かっていた。レトお兄様も彼女を信頼しているし、明らかに惚れていた。でもお兄様も絶対そのことを口に出さないから、幼い私はやきもきしながらその様子を眺めていたものだ。
今になれば従者に恋する主人なんて、周囲の側仕え達に確実に引き剥がされ、貴族からは格好の攻撃材料にされるのだから、当然とも言えるが。
『問題児さんの後を付けて見ましょうか。なんだか急いでるみたいよ』
キュッキュッとドールが鳴く声が聞こえる。予想でしかないが、恐らくこのドールはリスだと思う。シルヴレッタではありふれた生き物なので馴染みやすいのだろう。鳴き声まで付ける必要があるのかは分からない。
シエルが舵を取りながらお利口にマドライナの後を付けていった。人間にとってはなんてことのない小さな段差も、今の小さな身体にはよじ登る壁のように立ちはだかる。足音を立てないよう、茂みから彫刻の台座へ、そして植え込みの影へと跳び移っていく。
庭園で対称になるように作られた階段を登ると、どうやら上に誰かいるらしい。階段の柱にこそっと隠れて下から見上げてみた。スカートの裾の色を見るに、レトの従者であることに間違いは無い。
〈——ザ、あなた分かってたでしょ?〉
〈なんのことですか〉
「なんて? というか誰なの?」
『うるさいお姉様、聞こえないじゃない』
「ザ」で終わる侍女なんかいただろうか、コンラッドお兄様が亡くなり、私が幽閉されてからの数ヶ月で、新しく息のかかった人間が補充されたのか、と一人考えている間にも、彼らの話はどんどん進んでいく。
「シエル、相手の顔を見たいわ」
『これ以上上向いたらドールの首もげちゃうわよ!』
〈レト様のこと庇ったじゃない〉
〈まあ良いじゃ無いですか! あの花は私のものということにすれば万事解決〉
レトお兄様を庇うような仲の良い侍女がいるなんて知らない。こんな短い期間で中々心を開かないお兄様と打ち解けるなんて、普通無理だ。マドライナは違和感を抱いて問い詰めている、という風に見える。何があったか知らないが、女同士の険悪な雰囲気はいつまで経っても好きになれない。
そういえばあの子はかなり疑り深い性格だった。納得がいくまで聞いたし、レトを守るために怪しい人物には全てを吐かせていた。コンラッドお兄様がレトお兄様にいたずらした日には、相手が貴人とは思えぬ殺気を飛ばしていたのは、今じゃ笑い話だ。
〈レト様とヒルデガルド王妃の関係を知らないとあんな行動には出られないはずよ。何者なの〉
それまで一段上に立って距離を置いていた見知らぬ侍女は、ふわりと軽やかに階段を一段降り、警戒して距離を置いていたマドライナに近寄ると、肩にぽんと手を置いた、ように見える。
〈私は、大好きなご主人様に幸せになって欲しいのですよ。そのためなら犠牲になっても良いし、だから今ここにいるんです〉
侍女は本当に主人を愛している、というのは言葉の節々から伝わってきた。それに間違いはない。
けれど、何か狂っているような、異常性を感じた。きっと彼女は嘘をついている。
『お姉様、あの人何かおかしくないかしら……?』
繋いだ手がしっとりと汗ばむ。緊張で二人の握る手には力が入っていた。
侍女はくるりと背を向けて会話を打ち切るかと思いきや、不自然なほど滑らかな動作で、深く膝を曲げた。その顔がぐっと下がり、目が合った。
「……っ!」
そして彼女はこちらに向かって笑いかけた。目は光がなく、宇宙のような理解できない恐怖を感じて、私の心臓はドッと音を立てた。
白く長い指はこちらを指している。
〈……ところで、そこのお人形はなんですか?〉




