【1-10】姫の化け方
何故、目の前の侍女は知っているのか。
階段の隅に落ちたリスのドール、普通なら、ただの精巧な置物だと見過ごすはずだ。
背後から不意に喉元へ刃物を突きつけられたような、衝撃と恐怖が、二人の間を駆け抜けた。シエルがビクリと肩を震わせたのがわかる。私は浅く息を吸った。
『はっ!? まずいわ、逃げるわよ』
「階段を駆け下りましょう!」
『無理よ追い付かれちゃう!』
私達がわたわたしている間に、侍女は近づいてくる。ぬっと手が伸びてきた時、上を見上げると鈍く光る生気の無い目が、こちらをのぞき込んでいた。
〈これは……〉
シエルからパシッと繋いでいた手を弾かれると、私の視界は急にプツンと真っ暗になる。
強烈なめまいに耐えながら目を開けると、いつもの視界が広がっている。なんだか夢から覚めたときのような現実感の無さがあった。耳元で鳴る草を掻き分ける音が無くて、不気味なほど静かな現実が帰ってきた。
ダンッ、と硬い床を叩く鈍い音がして、横を見るとシエルが何故だか倒れ伏している。
「シエル!?」
『あ"っぐっ……あら? もう終わりかしら』
全身冷や汗をかいていて顔が死人のように真っ白だ。もっとも、もう死んでいる身だが。
それなのに突然ケロッとした顔で頭をかきながら起き上がると、自分の手足をさすりながらホッと胸をなで下ろしていた。
「ねぇ、何が起きたの? ていうか、何で手を」
『飛び降りたの。階段から地面まで』
「え、ドールはどうなるのよ」
『また組み立てることはできるけど、多分バラバラね。魔術で五感を共有しているのよ、全身が身長の数十倍の高さから叩きつけられた痛みまでこっちにやってくるの。貴方が感じたらショック死するわ』
なるほど手を急に離された理由も納得だ。ただ一つ疑問が浮かんだ。
「待って、シエルも痛覚はあるでしょう?なんで大丈夫そうな顔してるのよ」
『落ち始めの瞬間から魔力を切ろうとしたんだけどね。どれだけ早くしても流石に完全には断ち切れなくて……まぁ、痛かったわ』
「本当急に倒れるとか怖いからやめてよね……」
何はともあれ、切り抜けられたからよかったものの無茶はできたら避けて欲しいものだ。シエルが動けなくなると、私達の脱出の難易度は跳ね上がる。死ぬことはないからこそ、常人では真似できないことをリスク無しでできてしまうので、それが寧ろ警戒心を緩めていた。
「にしてもあの侍女は何者なのよ。あの角度から見えていたなんて」
『お姉様気がついてないの?彼女の異常性に』
「マドライナに警戒されていたことかしら。あとはなんとなく不気味な子だったわね」
シエルはやれやれと言いたげな顔で肩をすくめる。お姉様はまだ実技が足りないわ、だとかなんとか文句を言ってきたので、少しカチンときた。
『ハァ、彼女は私達を見ていて「お人形」と言ったわ。普通はリスの飾り物だと思うはずでしょう?それを、ピンポイントで「人形」と認識したのよ』
「……これがただの置物のような人形じゃなくて、魔術で動く“ドール”だって見破られている?」
だとすれば、それはあまりにも恐ろしすぎる。敵か味方か分からないあの女が、何をこちらにすることを目的としているか分からない。外に出るにあたって一番の障壁となるだろう。ヒルデガルドの手先、と考えておくのが最も現実的だ。
「結局、建国祭の様子は見れなかったわね」
『警戒対象がわかって良かったじゃない。それに、庭園の様子が知れたのは大きいわ。彼らがここで内密な話をしたということは、今あそこに警備騎士を含めてもかなり人通りが少ない』
私達が大人しく扉から出入りなんかすれば即捕まるだろう。ここには他に通りなどない地下室で、壁を壊しても出てくるのは、地面という更に大きな壁だけだ。
では、天井はどうだろう。
「王宮のど真ん中……私達の真上は手薄だわ」
私達は上を見上げると相変わらず天井は高かった。でも、手が届く気がする。だってここには魔女が二人もいる。かなり悪い顔をしていたかもしれない。シエルは細い手を口元にあてると、上品に笑って見せた。
『お姫様がお淑やかな時代はもう終わったということを、奴らに見せてあげましょう』
姫だって、化けられるということを。
***
幸い、落ちた衝撃音は草木が吸収したようだ。マドライナが動揺する素振りはなく、私は階段の手すりを持って下を覗き込んだ。動物らしき影は見つからない。
「ローザ……?」
私――ローザは階段の手すりを持ったまま振り返ると、マドライナに向き合う。彼女はいつも不機嫌そうな顔をしているし無口だし無愛想だが、レト様が絡むと人が変わったように沢山話す。表情も多少変わるし見てて面白い人だ。
「あぁごめんなさいマドライナさん。ちょっと見間違えたみたいで!」
手をパッと広げて、何も無いことを伝えようと身の潔白を証明する。ここまで全体の動きが大胆すぎたかもしれない。
「先に帰ってて下さい! レト様の周りの侍女が少ないのは良くないですよ!」
「あなたはどうするのよ」
「私は少し外の空気を吸いたくて……こっちにきてから田舎が恋しくてホームシックになってるんです。あぁ神様は私を見捨てたのでしょうか。すみません、そっとしておいて下さい……」
少し顔を手で覆って泣く振りをすると、チラチラ振り返りつつマドライナは去って行った。無駄なことを喋りすぎた。ホームシックの奴は普通はこんなに話さない。
ふわりと風が吹き、殺伐とした己の心とは対照的に、庭園の春の花が揺れる。
「そうよね、うん、まだ欠片があるかもしれない。ラディの言うとおりにしなきゃ」
——コツン、コツン
一人分の足音が石段に鳴り響く。それが落ちた場所にはキラキラと光る金属片と、小さな青い宝石が落ちている。拾い上げて太陽に透かすと、その青い海のような光が私の目を貫いた。
その時、私は恋をしてしまったかのように胸が高鳴った。この光はただの光じゃない。暗闇に浮かぶ希望の灯火。
「御主人様……」
あなたのためなら、私はどんな泥にだって塗れてみせる。




