【1-11】シルヴレッタの春の訪れ(レト視点)
「アンネリーゼ様は生体核としてのお勤めがお忙しいようで、最近は公に出られないのね」
「どうかしら。コンラッド様が亡くなられて、隣国へ逃げたのかと思っていたけれど」
「いやいや、隣国なんかそれこそ無理だろう」
「何故だい?」
「ヒルデガルド様は隣国の公爵家の家系じゃないか。匿ってはくれない」
廊下で話す噂好きの侍女の話からも分かるように、世間のアンネリーゼへの認識なんてこんなものである。次期国王の妹であり、彼の魔導補佐官として申し分無い実力を持っていた。ただでさえ正妃の子ではないから、兄という後ろ盾を失えば明らかに政治的立場は弱くなる。亡命は当然の選択肢だ。
「亡命……か」
僕ーーレト・シルヴレッタは異母妹アンネリーゼの犠牲の上で生活を続けていた。
廊下を通る主人にも気がつかず、噂話を続ける彼らの横を早足に抜けて、自室の扉へと逃げ込む。聞いていれば自己嫌悪で吐きそうになるから。無駄に大きい窓からは夜とは思えないほどの光と、市場を巡る人々の話し声が聞こえてきた。
「聞きたくないなぁ」
「城下は今までで一番の賑わいを見せていますね」
「マドライナ!いたなら声をかけてくれるかな?!暗闇から出てくるとびっくりするんだよ……」
侍女のマドライナはあまり表情が動かない子で、小さい頃から共に育てられてきた。アンネと同じくらいの年頃で、僕なんかよりよっぽどしっかりした女の子だ。
「失礼致しましたレト様。何か思いふけっていらっしゃったので、声をかける時を見誤りました。もっと後でかけるべきでしたね」
「それはそれで怖いからやめてよ……」
マドライナは謝罪すると、綺麗にまとめたブロンドの髪を揺らしながらスタスタと部屋の外へ出て行った。
(あの子だって、僕が沈んでいるのは、まさにこの窓の外の景色のせいだって分かっているだろうに)
アンネが魔石の間に移動してから数日。王国には大きな変化が起きた。国にめぐる魔力量がこれまでの数倍に増え、明らかに豊かになったのだ。夜中になっても市場が続けられ、冬でも寒くないように、魔力で動く暖炉を一晩中つけられるようになった。
未だかつて無い活気に溢れる現状を、国民は喜んでいる。アンネリーゼが地下でどんな目に遭っているか考えることも無いだろう。仮に考えたとして、今の生活を捨てる勇気は誰も持ち合わせていない。
「魔力をこんな一気に抽出されているなんて、アンネリーゼは無事だろうか」
大人しく従って魔力を魔石に吸わせるような妹じゃないはず。それなのに外に出ず、シルヴレッタはこんなに魔力に溢れているということは、まさか貼り付けにされたり拷問に遭っているのではないか。
早く助けてあげたいのに、自分にそんな力は持っていない。そんな現実を見る度に、せめて自分がその役割を代わりたかったと強く思う。自分では役として不十分なのも分かっていたが。
窓の前で僕はうずくまって泣いていた。
「レト様寒いのですか? 部屋に暖炉をつけますか?」
「いいよマドライナ、このままにして」
マドライナは僕の隣に来ると、共に座って慰めることも手を差し伸べることもなく横に立っていた。
「アンネリーゼ様のことを後悔してらっしゃるのですか。もっと早く気がついて自分が動けば、あの方を助けられたと思いますか」
「……」
「ヒルデガルド様に、楯突く勇気が貴方にありましたか」
「それはっ」
「私は貴方を責めるつもりは毛頭ございません。が、アンネリーゼ様だって貴方の今の姿を見れば『国王は厳しい』と思われますよ。もう、引き返せない場所まで来てしまっていることに、自覚はおありですか?」
マドライナの言う通りだ。僕にはお母様を止めることはできなかっただろう。それでも、考えることはやめられない。
「せめて、私としては貴方に今を精一杯で生きて欲しいのです。例え望む方向でなかったとしても、後悔してグスグズするのを見ていられません」
静まりかえった暗い部屋に、外から暖かい空気が差し込む。僕は涙を止められなかった。
コト、と音がしてふと床を見ると瓶が置かれている。
「レト様」
「わかっている、飲めということだろう」
「申し訳ございません。レト様」
見上げた彼女の顔は、眉間にしわが寄って苦しそうだった。顔に出ない彼女にこんな顔をさせてしまうのが情けない。
「……本日の分の魔力増強剤です」
黒っぽい瓶の中の液体は、外の光を反射させてキラキラと輝いた。その光すら今の僕には見るのが辛くて、目をつむり薬の蓋を開けた。
「ねぇマドライナ、こんなことではきっと贖罪にはならないことは分かっているんだよ」
「はい」
「アンネリーゼは僕を見て何て言うのかな」
マドライナの返事を聞く前に、僕は中身を飲み干した。ふわふわとした心地がして、次に吐き気が襲う。目の前がチカチカと光って気持ちが悪い。何度飲んでもこの不快感は慣れることはないだろうなぁと他人事のように考えていた。
王宮の輝きも、市場の歓声も消えた奈落の底で、アンネリーゼが冷たい瞳でこちらを見上げているような錯覚。
「レトお兄様、外は暖かいですか?」
そんな幻聴に、また一人で嗚咽する。せめて僕を恨んでいて欲しい。僕さえいなければ、いや僕がいたところで国王になるべき人は君なのだから。
レトは意識を失い、マドライナはそっと瓶を片付けた。せめて主人の夢が悪夢でないことを祈りながら、彼をベッドまで運んだ。
「おやすみなさいレト様。己のことを責めないで、どうか今自分にできることをして生きてください」
***
いつもは静かな王宮の朝も、最近はずっと騒がしい。侍女達がバタバタと走り回り、寸法だとか発注が遅れてるだとか騒ぐ声が廊下越しに聞こえてくる。冬の終わりを感じる温かい日差しが差し込み、僕もいつもより気分が良かった。
「もうすぐ建国祭だね」
建国祭、それは我が国の一大イベントだ。その起源は数百年遡らなければならない。
シルヴレッタは元々、とある国の上流貴族一家が支配していた地域だ。各国の王に娘と婚姻を結ばせることで力を強めていき、他国の王であっても彼らを無下に扱うことができないような家系となっていた。権力を振りかざす一家に嫌気がさし、国民は次々と反乱を起こしていく。
まとまらない国民を束ねるため現シルヴレッタ王家の初代国王は立ち上がり、独立を果たした、なんて歴史があり、今の祖国は誕生した。
「レト様達王族にとっても、国民にとっても誇り高き日、お祭りですからね。来週に差し迫っていますし」
カツカツとヒールの音を立てて歩いてきたマドライナは、普段は無表情だが最近は少し浮かれている。窓を開けると春の風と共に、近くの飛ばされたガーランドが吹き込んでくる。紐がパタパタと靡く音よりも先に、パンっという激突音が耳元でなった。
「へぶっ」
クスッと笑ったマドライナが僕の顔に直撃した布を剥がし、二人で笑い合った。料理の準備や飾られていく街を眺めてマドライナも少し、口角がいつもより上がっていた。
「レト様、少し浮かれておられますね?」
「それを言うならマドライナが、だろ?」
春の風が窓辺におく植木鉢の花の香りを運んだ。こんな時間がずっと続けば良いのに、と心の底から思う。政治なんて興味ないし、大切な人達とのんびり暮らせたらそれで良い。
(もっとも、母様がそんなこと許さないだろうけど)
自分の人生は自分のものだ、何てあんな夢みたいな文章をいつか言ってみたいものだ。働いて、好きな人と恋愛して、結婚して、子供を愛で育てたい。そんな願望は僕が王族である限り、叶わないのだから。
風に当たって目を瞑る横の彼女を見た。気持ちよさそうに窓に寄りかかり、上でまとめられた髪の毛の飛び出た毛先が揺れている。小さいときは自分よりずっと背が高い女の子だった。今も男であるはずの自分と同じくらい高い身長のせいで、いつも揶揄われている。「あんな可愛げが無い背高のっぽの女となんか、誰も結婚してくれない」と。
(なら僕と……)
半歩空いた彼女との距離を詰める勇気は無かった。ハァ、とため息を付いて窓辺に肘を置きながら後ろを振り返り、天井を見上げた。
「建国祭では男性から女性に花束を贈るのが慣習だそうですね!」
「ローザ!レト様に向かってその態度は止めなさい」
ローザは最近侍女に加わった子だ。実家は田舎の辺境伯爵で、父親のその愛人の子だったから外に出されてしまったと不幸な身の上話を聞かされた。おさげの髪に、そばかすがあって元気の概念を具現化したような人だ。
「いやー女の子の夢ですよね! 私も花束とか貰って玉の輿したいです〜!」
「いや、君は十分できる立場だろう」
「こういうのはやはり平民じゃないとドラマチックにはならないですよね!」
僕はこの子が少し苦手だ。苦手というか扱い方に困る。マドライナはため息を付くと、手元の新聞紙でポンと彼女の頭を叩いた。
「貴方は王族に仕えているということの自覚はないのですか?」
「ありますよ!超あります!レト様優しくて大好きですから〜!」
「……本当勘弁してよね」
ローザが来てからマドライナは少し元気になった。姉貴肌というか、本職が侍女なのもあってか面倒を見るのは得意らしい。ローザに向かって怒るマドライナは完全に顔から表情が抜け落ちていて人形のようだ。少し怖い。
「レト様は誰かに花束を送る予定はありますか?」
「えぇっと……」
僕はチラリと植木鉢を見た。しばらく日光に当てていたのでもうかなり元気になっただろう。青いリンドウが、もう少しで花開きそうになっていた。
(この花をマドライナにあげるためにこっそり育ててるなんて、言えないしなぁ)
——コンコン
「っは、はい!」
「レト様、ヒルデガルド王妃がお見えです」
「母様が? マドライナ、準備を」
マドライナに声をかけるため後ろを振り返ると、彼女は真横を通り過ぎていった。近くの他の侍女を呼び寄せて連れて、こちらを見向きもせずに行く。先程までの年頃の女の子のような姿が思い出せないほど、ピンと背筋を伸ばしており、髪もいつの間にか綺麗に整っていた。
——ガチャ
並んだ僕の侍女達が頭を下げた。扉を開くと両側に文官と侍女を連れた母様がゆっくりとこちらに向かって近づいてくる。部屋に満ちた春の陽気など過ぎ去り、真冬でもやってきたかのように僕の身体は震えていた。
母様と僕は似ているが、ぱっと見は親子には見えない。昔は僕と同じ赤毛だったのに今は暗い色に染め直されており、明るい若葉のような色の僕と比べて深く暗い色をした緑の目。射殺されてしまうかのような圧を感じる鋭い目つき。
「母様、どうかされたのですか」
僕はわたわたと髪を直しながら近づくと、母様は上から下まで僕を眺めた。
「最低限の身なりはなっているようで結構。もう庭いじりで泥いじりなんて、はしたないことしないようになったようで」
「母様に言われてからは庭園には近づいておりません」
まずい、さっきの植木鉢をまだ隠せていない。幸い真後ろにあるから、母様の視界にはギリギリ入っていないだろう。
「あら素敵な花の香りね」
「え、あ」
「こんな花を、間違えて庭師が植木鉢のまま持ってきたのかしら?」
母様が指をさす方向へ、バッと振り向くと母様の侍女が、植木鉢を無言で抱えている。いつの間にか僕の後ろに立っていた。
呼吸が荒くなる。母様が怒り始めたことで喉が締め付けられるような圧迫感と、気分の悪さを感じ始めた。まただ、また情けない姿を好きな人の前で晒すことになる。目の前に見える自分の手足は青く、現実味のない色に染まっていった。
「あ、あ、あの」
「ヒルデガルド様、私です!」
この明るい声の主は誰かなんてすぐにわかる。僕はすぐに顔を上げて、マドライナの横を見た。おさげの小柄な女の子は、真っ直ぐ手を上げていた。
「部屋が質素でしたから、お花を飾ったら如何かと思いまして置かせていただきました!田舎者が出しゃばった真似をして、申し訳ございません。この"ローザ・ド・フォールネージュ"どんな罰でも受けます!」
「……ド・フォールネージュ、ね」
母様は眉間に指を置いてとんとんと叩き、少し考えた後、ローザに一週間の給料減額を伝えた。ローザはガーン、と分かりやすく落ち込んでいた。僕は全てに違和感を覚えた。怒った母様がこの程度で済ますはずがない。首が飛んでも仕方が無い、と思われるようなことだ。
(フォールネージュ家って一体……)
そもそもただの辺境伯爵の愛人の子で、王子の侍女というこの待遇は不自然なほど良すぎる。色々思うところはあるものの、とりあえず間一髪のところで何故か助けて貰えたので、後でお礼をしなくては。
「か、母様は何の用で来られたのですか?」
「あぁ、本題に戻しましょうか。建国祭の舞踏会に参加する際、ローゼンベルク公爵家のフェリシア嬢をエスコートしなさい」
「それって……」
「お前の婚約者候補ですよ」
「……っ!」
その無慈悲な宣告の背後で、控えていたマドライナが深々と頭を下げるのが見えた。
(やめてくれ、マドライナ。そんな目で僕を「王」として見ないでくれ)
僕は自分に課せられた呪いのような血統を恨み、ただ、爪が掌に食い込むほど強く拳を握りしめることしかできなかった。
かなり長くなってしまいましたが、建国祭はまだ始まりません。嵐の前の静けさです。
時系列順だと、庭園でマドライナがローザに問い詰めるのはこの後のお話。
9話目と10話目を読み返してみるのも面白いかもしれませんね。




