【1-12】君のためなら国家転覆も(レト視点)
「レト様! 建国祭の衣装素敵ですね!」
「ローザ近いわよ、離れなさい」
普段は着ない儀式向けの煌びやかな飾りのついたキラキラとした服。上げられた前髪のせいでなんだかいつもより視界が広い。
空は少し雲がかかりつつも晴れ、街は今までに無い活気に溢れている。窓を開けると温かい春の陽気が共に連れてきてくれたのは、祝う声、繁栄を願う歌、鳴り響く鐘の音。僕は大きく息を吸うと、胸いっぱいに幸せを詰め込めた気がした。
我が国きっての国事、建国祭が始まったのだ。
しばらくローザとマドライナの言い合いを眺めていると、それを止めるようにノックがされる。母様の文官だ。
「レト殿下、そろそろヒルデガルド王妃のご挨拶です。陛下は本日も体調が優れず……」
「分かっている、座席まで案内して貰えるかな」
「もちろんでございます」
廊下から差す光は心なしかいつもより明るい。浮き足立つ従者は今日は何か粗相を起こしても目を瞑るつもりだ。それほど今日は大事な日だった。
そんな雰囲気に似合わない険しい顔をしている、年をとった掃除の筆頭侍女と、この階層の警備をする騎士が話しこんでいた。
「なぁ、ルカ・シュタイナーの姿が見えないが……」
「私は城壁の草を切るよう伝えたんだがね。今日は建国祭で掃除は午後から無いし、そろそろ来るだろうよ」
「どうかしたのかな?」
「レト殿下っ」
女は慌てふためくと、少し下を向いてバツが悪そうな顔だ。騎士は顔こそキリリとしているが手足がガッタガタに震えている。女は口を開いた。
「いや、その、下級使用人が一人見つからないようで、建国祭が始まる前には戻ると思われまして……」
「それはアンネリーゼ王女の使用人では?彼がいないというのは報告事項でしょう」
マドライナがすっぱり言い切ると彼らはもごもごと口篭もる。
ルカといえばあの可愛らしい黒髪赤目の少年だろう。よくアンネに懐いていたはずだ。シュタイナー侯爵は元第一王子派で今は手を翻して第二王子派……僕派だとマドライナから聞いた。彼は解雇されていなかったようだ。
ただ、母様はどう思うだろう。アンネを地下に追いやるほどの母が、元々アンネの従者だったルカを果たして良く思うかと言われると自信が無い。警戒してはいたが、それ以前に勝手に職場を離れるのは駄目だろう。
「ルカ・シュタイナーのことをどうして隠したんだい?」
彼らが口を開いたとき、突然地面が大きく揺れた。かけてあった絵画がドン、と音を立てて床に落ち、いくらか食器が割れたのか悲鳴があがっている。
「爆発!?」
「外の様子を見てきます!」
「待ちなさいローザ!」
駆け出すローザの首根っこを掴み、マドライナが止めたが僕はそれを押しのけて窓へ走った。バンっと開けると、激しい風と共に砂埃が入ってくる。目が痛くて腕で顔を隠しながら隙間の景色を垣間見る。
崩れた城壁と町の屋根。叫び逃げ惑う人々の声。
(くそっ、一体何が起きたんだ)
城の正面の高い青い屋根の塔。そこに一つの人影がゆらゆらと揺れていた。目を細めてよく見ていると、少年のようだ。空気は段々澄んでいく。
彼はゆっくりとこちらを振り返ると、僕と目が合った。けたたましい憎悪を抱いた射殺すような赤目が光る。あんな特徴的な目の持ち主は一人しかいない。
「シュタイナー!」
ルカは塔から飛び降り、姿を消した。
背後で彼と同じ目をした少女がいなくなっていたことに気がついたのは、もっと後の話。
僕はそんなこと気にする余裕もなく錯乱状態に陥っていた。
(一体、どうしたらいいんだ。僕に何ができる)
母がいる一つ上の階層である3階は、さきほどのルカの攻撃で一部が崩れている。巻き込まれてる可能性だってある。顔を青白くさせながら持ち場を離れ、家族の元へ駆けていく従者に、統率を取れない護衛達。
城下だって大パニックだ。
(父様と、母様は……!?)
母であるヒルデガルド王妃はどうなっているのか、陛下はどうしていらっしゃるのか、なんの取次もなく確認に行っても首が飛ばないのは僕だけだ。母様の部屋へ走ろうと足を踏み出す。僕は二歩目が出せない。違う、このイレギュラーな事態に足が竦んで動かなくなっていた。
国民の避難と両親の安否どちらが先だろうか。従者にはなんて言えば良いのか。自分の行動は責任が取れるか。
「どうしよう」
情けない声が口から溢れた。そのとき、僕の震える肩を、冷たいけれど絶対に揺るがない強固な力がガシッと掴んだ。
「レト様、考えることを放棄してはなりません。我々は貴方の指示に従います。御自身のできる範囲でどうか命令を」
「マドライナ……」
自分の後ろに立っていたのは、不安そうな顔をした自分の従者達と護衛騎士。そうだ、僕までパニックになれば彼らは本当にどうしようもなくなってしまう。
「今の僕には僕の視界に入る範囲にいる人間しか助けられない。だから協力して街の人も含めて皆を救いたいと思う」
「殿下……!」
周囲の人達の顔色が少し良くなり、悲壮感に満ちた顔で窓を見るのをやめて自分を見ている。みんな、自分に視線を集中させている。息を少し吸ってお腹に力を込めた。
「街の大聖堂を避難所とする。護衛騎士は二班に分かれ、大聖堂までの導線の安全を確保してくれ!」
これでいいはず。これならきっと母様も許してくれる。
「まぁずいぶんと威勢の良いことですこと。貴方にそんな権限、あるのかしら」
早足に迫り来る重圧に、どうして僕は気がつけなかったのか。僕の人生はいつだって王の子という枠組みを外れることが許されない。
この原因の一端は僕の後ろで、本当に無機質な壁のように立っていた。
「母様……御無事でしたか」
「崩壊した場所からして当然でしょう。被害の状況も確かめず避難を優先なんて愚かなこと、しようとしてないでしょうね?」
周囲がザワザワと統率を失い始める。全くもってその通りだと思い、自分の未熟さを痛感すると同時に、母様がやってきて内心ホッとしている自分がいたのに、僕はそれを無視していた。母なんて来なければいいと思っていた自分は、僕に残された小さな反抗心でこんな指示を出してしまった。
「皆待ちなさい、大聖堂なんて開ける必要はありません! f民など放置していなさい。不安な者は街から出て行きます。そして、直にここへ戻る」
母様がそう言った瞬間、いつも僕を守る背中が、美しい女の背が、また自分の前に立ってくれていた。
「ヒルデガルド様、それでは暴動が起きます。民は混乱しているのです。導く王がいなくてどうするのですか」
マドライナは民を放置する母様に納得がいっていないようだった。僕は、このとき何を考えていたのか。何より先に自分に課される罰のことを思案していた。母様の言うことを聞いてからは、民を想う思考を放棄していた。決して、民を蔑ろにしたかったわけではない。
自分の手に届く範囲に民などいない、何故なら僕は母と王の子であって、王ではないからだ。
「この国に導く王など端からいないでしょう?」
「それは現国王をっ」
僕は母に声を荒げて詰め寄るマドライナの肩を掴んだ。驚いてこちらを見る彼女の顔は、普段の起伏のない顔からかけ離れた怒りの感情が露わになっている。
「下がれマドライナ」
「っ、申し訳ございません。取り乱しました。ヒルデガルド"王妃"御無礼をお許しください」
マドライナは一瞬眉に皺を寄せたが、自分のしたことの恐ろしさに気がついたのか大人しくなった。彼女は母様の文官に睨まれていたが、気にしていないような顔をしている。焦った騎士が青い顔をして彼女の手を掴み、自分達の間に連れていった。
「はぁ、 こうやって秩序は乱れていく……本来の職務を全うできない人間なんて、ねぇ、レト」
マドライナを処分しろ。
深い緑の矢が僕をグサッと突き刺した。避けられなかった視線。僕は喉を鳴らした。マドライナのことを、母は要らない人間だと判断している。
解雇だけで許されるだろうか。不穏分子になり得ると思われたマドライナはこの国にいられるのか、生きていられるのか。
僕のわなわな震える口と身体に、ポン、と彼女の命を預けられていた。
険しい顔で強張るマドライナが赤や青に変わり、視界がチカチカと点滅する。ギュッと目を閉じると、大きな波のような抗えない力に、溺れ飲み込まれていくような感覚がした。
(やっぱり僕は誰も守れない)
——ピシッ
ふと顔を上げると、開け放たれた窓のガラスが音を立てながらパラパラと散っている。窓がガタガタと暴れ、暴風と共に白い花弁が舞い込んだ。曇っていた太陽が晴れ、割れた窓に反射した宝石のような輝きがまぶしい。
「神、様……?」
違う。
僕はそこで黒髪に海のような瞳を持つ天使を見た。青い空を透かし、白い光線を放つ太陽を背にくるくると回って宙に浮かぶ少女に、全員の視線が釘付けになっている。母様もまた、その少女を凝視していた。
天使は僕を見た。僕だけを見ていた。汚いリズムを刻んで震える身体からブワッと汗が噴き出た。
今しか無い。
これは天使が与えてくれた最後のチャンスだ。
周囲の意識が完全に上空へと逸れたその一瞬。僕は足に目一杯力を入れて、僕の後ろ、騎士たちの横に抑え込まれていたマドライナの元へ踏み込み、彼女を自分の手の届く範囲に入れた。
「マドライナ!」
僕は彼女の手を取って走り出した。
建国祭の開幕と共に、地上がとんでもない大惨事に……!
そして、空に浮かぶ少女の姿を見たレトは、ついに自らの足で走り出しました。
次回はアンネリーゼ視点へ戻り、物語は第一章のラストスパートへ突入します。お楽しみに!




