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【1-7】一生一緒!

 ——カリカリカリ


 狭い資料室で止まることのないペンが走る音が鳴り続ける。大昔に魔術書庫の本を書き写したノートたちが、今活きてくるなんて思いもしなかった。魔獣に関する本も何冊かあったことが幸いだろう。

 うす暗い部屋でひとり、私は取り憑かれたように紙に仮説を書き続けた。壁には無数の本のページが破り貼り付けられており、自分の後ろにも紙束が連なる。


(“あれ”を見るのは430年ぶりかしら。いや相変わらず気味の悪い見た目をしていたわぁ……)


 アンネリーゼのことを思い出しただけで数百年も前のトラウマが、ひっくり返された鍋のように溢れ出てくる。もう二度と対面することはないだろうと思っていた、自分より圧倒的に上位の生き物。大好きな人の人生を破壊した元凶。自分も含め、魔獣と関わる人間は大体ロクな最期を迎えられないのだ。


『うーん……魔獣と契約を交わしていないとすれば、あの手は魔獣が自発的にお姉様のために出したことになるわね』


 魔獣は人間には到底理解できない謎の存在だ。昔から残っている話も「突然現れて、ある程度手助けをしてくれたと思ったら契約者も含めて全てを破壊していなくなる」なんてのが大半な癖に、定期的に人の前に姿を見せて契約する。何が目的か私にはずっと分からなかった。

 だからこそ死んでも尚、研究を続けてきたわけだが。


『まさか魔獣にまた破壊されることになるなんてね』


 研究成果を食われて、しかも無かったことにされるとは思いもしなかった。アンネリーゼが絡んでいることに間違いはないが、あの様子だと今のところ制御できそうもない。これ以上何か消されたりすれば、私が今までこの世界に居座り続けた意味が霧散してしまう。


 本当に怖かった。誰からも忘れられてしまった私という存在を証明するものが、目の前であっけ無くなっていく恐怖。白い手とこれ以上同じ空間にいるというのは、私には耐えられなかった。可愛い犬だと思っていたら急に手を噛まれて、しかも実は狼だったのだから。私には、もうアンネリーゼがわからなかった。


『んー』


 長時間使い続けた手が少し辛くなってきて、私は伸びながらその場でくるりと一回転する。目線の先にある、苔が生えてボロボロの扉の向こうでは、お姉様が眠っている。物音一つ立てないので、本当に生きているのかと何故か不安になった。

 魔獣と彼女が契約してないとすれば、もしかすると身に危険が及ぶ可能性がある。なんだか急に怖くなって、私はそっと扉へ近づいて耳を押し当てた。


 ——コンコン


『ヒィィィ!』

「あ、ごめんなさい」

『何だ、アンネリーゼね……』


 耳に響く、予想だにせぬ大きな音に驚いて情けない声が出てしまった。こんな年にもなって恥ずかしい。


「あのね、この扉は開けなくて良いから。私の話を聞いてくれないかしら?」

『……いいわよ』

「よかった」


 何だろう、アンネリーゼの言動はさっきとは打って変わってかなり落ち着いていた。あんな酷く突き放してしまったというのに。はぁ、と息を吐いて、私は背を扉に預け床に座り込んだ。


「私も怖いのよ」

『……怖い?貴方が?』


 思わず聞き返してしまった。

 私の背中に伝わる扉の冷たさが、私の意識をアンネリーゼに向けた。だって怖がってるなんて思いもしなかったのだ。この子は、シルヴレッタの誇り高い王女だ。プライドが高く、何にも臆さない強さを持っている。あんな悍ましい「白い手」を従え、私の数百年を平らげた化け物。

 そんな子が、今、私と同じように怯えているというのか。


「制御できないこの手が何を食べてしまうのか、私には分からないの。いつか、シエルのことまで『なかったこと』にしてしまったら。そう思うと、扉を開けるのも怖いのよ」


 私は扉の先の声に耳を澄ませ続けた。


「……許してほしい、なんて身勝手なことは言わないわ。私が貴方の数百年を奪った事実は、どんな謝罪でも消えないもの」


 こんな時になんて言葉を返すべきか分からなかった。お姉様が悪いわけじゃないことは最初から分かっていた。とはいえ、『はい、いいよ』と許せるような規模の話でもないのだ。

 地下室の静寂が、こんなにも重く、冷たく感じたのは久しぶりかもしれない。しばらくお互い黙り込んでいた。


『……馬鹿じゃないの。そんなこと言ったら、私がお姉様を利用しやすくなるだけだって、分からない?』


 でも、あなたが嫌いになったわけじゃない。


『お姉様も私も、もう化け物だわ。大切なものに執着して、不器用で救いようのない、馬鹿なお姫様なのよ』


 最初から分かっていたはずだ。こんな所に幽閉されても尚、諦めずに戦い続けるなんて並大抵の精神ではない。普通は絶望の中、何かしらの精神的な病にかかって死ぬだろう。地下に来てからもプライドを捨てないこの子は、もう私よりずっと頭のおかしい存在だった。私だって、死んでから何百年と現世に縋り続ける本物の人外だ。

 そんな人ですら無い私達が、お互いに相手を怖がってどうするのか。


 私はため息を一つついて、鍵を外した。ギィィ、と古い蝶番が悲鳴を上げて、暗闇の向こうからアンネリーゼの銀髪が覗く。青い瞳と目が合うと、お姉様はほっとしたように少し微笑んだ。私はなんだかバツが悪くなって少し目を逸らす。

 私はこの人の本質を何も分かっていなかったのかもしれない。


『入りなさい、私のお姉様。その手がどうなっても私はずっと見ていてあげるわ』


 差し出した手を、お姉様はとろうとして少し躊躇った。私はその戻された右手首を掴むと、アンネリーゼの驚いたような顔が面白くて、ふっと笑った。

 バランスを崩した青い瞳は私に向かって倒れ込んでくる。ニヤニヤと笑いながら私は地から足を離す。何だかやり返したい気分だったんだ。

 頬を両手で包み、滑らかな白い額にコンと私の透けた額を押し当てた。


「シエル近いっ」

『ゴミ同士ずーーっと仲良くしましょうね!』


 許そうだなんて思っていない。ただ、ずっと隣にいたいと心の底から思えたのは久し振りだっただけだ。


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