【1-6】伝えたいことがあるの
風が気持ち良くて、太陽の明かりが眩しい。初夏の涼しい風が私のワンピースを通り過ぎていく。少し昼寝をしていたらしい。
「ん……」
目を開くと広大な青空と黄色の花々がゆらゆらと揺れていた。頬をかする若い草が気持ち良くて、いつまでもここにいたかった。
(ここ、どこだっけ。そうだ、昔お母様とよく来ていた離れの裏の中庭だ)
「アンネ、またこんな所で寝て……母様が心配しているよ?」
頭上に自分より大きな影ができて、元気な少年の声がする。お母様譲りの森のような深い緑の瞳と私と同じ銀髪。優しい笑顔と少し私より焼けた肌。
「コンラッドお兄様!」
剣術の鍛錬でできた硬いタコのついた手で私の頭を撫でると、私の両脇に腕を入れて立ち上がらせる。スカートについた土まで払うと、私に手を差し出した。
「あ、あれ、お兄様はどうしてここに?」
「またアンネがいないからお茶会ができない! ってシエルが言っていたのさ。外で皆お前を待ってるんだよ」
「ごめんなさい、迷子になってたの」
(あれ、どうしてお兄様がシエルのことを知っているの?)
私はお兄様の手を取ると、隣に並んで歩き出す。いつだって私の歩幅に合わせて歩いてくれた。見上げるとお兄様は私の顔を不安そうにのぞき込む。お兄様がいつでも守ってくれる、そんな安心感を体現したような存在だった。
「アンネ、何か悩み事があるんだろ?お父様に何か言われたか?」
「ううん違うの。ちょっと、その喧嘩しちゃって。私のせいで大事な子が怖がってて」
「アンネに友達ができるなんて俺は嬉しいよ。どんな子なんだ?」
私は嬉しくなって話した。シエルは今じゃ使われていない魔術の使い手だってこと。少し生意気だが、友達ができたらはしゃいじゃうような可愛らしさもあるってこと。意外と説明がうまくて、私がいくら分からなくても根気よく教えてくれる子だってこと。
私は彼女が大好きだってこと。
「なのに私のことをもう同じ『人』だって思ってなさそうで、『怪物』みたいに見られてて。なんて言えばいいのか分からないの。もう……話せなかったらどうしよう」
ポロポロと涙が出てきた。ルカと離れ離れになった時ですら泣かなかったのに、止め方がわからなくて下を向いて顔を隠した。お兄様は汚れることも構わず袖で私の涙を拭うと、私の前に目線を合わせるようにしゃがんでくれた。
「いいかいアンネ、人は『よく分からないもの』が怖いんだ。特に『奇跡』や『怪物』とか呼ばれるものは、実態が掴めなくて距離を置きたくなる。怖がらせたのは自分のせいじゃなくて、そのよく分からないもののせい、そうだろ?」
「うん」
「だったら、お前だってその『怪物』が恐ろしいはずだ」
「怖いわよ……! いつ誰を傷つけるか分からないもの」
「じゃあその気持ちをきちんと伝えるんだ。『私も怖い』ってさらけ出して、一緒にその正体を探る仲間になればいいさ。そうすれば必ず、シエルも心を開いてくれるよ」
「でも……もし、それでも拒絶されたら?」
不安は中々拭えない。もしこれで分かってもらえなかったら、私はこの誰もいない地下室で一人ぼっちじゃないか。俯いていると、私の頭をわしゃわしゃと豪快に乱した。驚いてポカンと口を開いてると、陽だまりのようなお兄様はピンッと私のデコを弾く。
「アンネリーゼ・シルヴレッタ」
「はいっ」
思わず姿勢が伸びる。お兄様は満足そうに頷くと、立ち上がって私と再び手を繋ぐ。両手をふいに掴まれて、お兄様の腕と輪を作るような形になると、私を掴んだまま二人はくるくると回り始めた。狂ったように風が吹いて、周囲の花が花弁を舞いあげる。辺りは黄色い祝福に埋め尽くされた。
「お、お兄様っ」
「あはは、綺麗な景色だね! アンネ! 大丈夫、その名前は君が君であることの証明さ。さぁ、大事な友人の元へ帰るんだっ」
お兄様が私から手を離すと、私の体はヒラヒラと舞う花のように空へ飛ばされていく。お兄様は庭の真ん中で幼い私の手を引いて歩いて宮殿へ帰って行った。まだ5つか6つの頃の私だ。
「コンラッドお兄様!」
お兄様は振り返らない。もう私の兄はいないのだから、あれが夢の中にいる幻想だって分かっている。それでも、幻想でも迷子の私を導いてくれたのだ。
——ありがとう
声に出せていたか分からない。それでも、天国のお兄様までこの気持ちが伝わりますように。
***
「……んー」
風の音も、花びらの擦れる音も、陽だまりの暖かさも、その全てが無い世界に帰ってきた。柔らかな草も何も無い、冷たい」石畳で寝たせいか、背中が痛みを訴えている。
「やっぱり、夢か」
ゆっくりと目を開く。青い空の代わりに、青い魔石があるこの地下室に戻ってきてしまったらしい。
冷えた目尻に触れると、涙が乾いた跡があった。お兄様も、風に乗って舞い上がった黄色い花弁も、もう地上には残っていないのだ。あの中庭も、きっと今は雪に埋もれているか、冷たい風が吹き抜けていることだろう。
(弱さをさらけ出して、一緒にその正体を探る仲間になればいい)
地下室の奥にある資料室からは、仄かな明かりが漏れている。胸の奥にあった迷いは、いつの間にか消え失せていた。
「ここから逃げていたら、玉座も幸せも取り戻せないわね」
静かに立ち上がり、止まることなく扉へと歩く。緊張を解すように少し息を吐き、その固い木の板を叩いた。
もし拒絶されたら、私の気持ちが伝わるまで声をかけ続ければ良いのだから。
「おにいさま、誰とおはなししてらっしゃったの?」
「俺にとっても、アンネにとっても、大切な人だよ。仲直りの仕方を教えてあげたのさ」
「その子、ちゃんとできるといいね!」




